はてなブックマーク・コメント一覧を非表示にする機能ブクマカ(id)のブラックリスト・ホワイトリスト機能 idブラックリスト・ホワイトリスト機能の欠点 ①ブラックリストははてな社サービスからログアウトされると機能しない ②ブクマはできてしまう ③ブログカードが死ぬはてな社に対する改善要望 ブログをやっている皆さーん!はてなブックマークは嫌いですかー!? もしくはブクマされたくない何だったら読まれたくもないブクマカ(id)はいませんかー!? ちなみに自分ははてなブックマークが大好きだし嫌いなブクマカもいませーん(棒 さて。はてなブックマークは単体ではホッテントリ入りしてもPV流入しょぼくてしょーもないんですが、多くのWEBサービス・アプリからの流入に派生する可能性を持ち、「バズ/炎上」の「火種」としては一応、役に立たないこともない、みたいな面があります。 なのでエントリー主にとって基

≫ 【2週間無料!】もっと高速、さらに安定の快適なレンタルサーバー 何も言わずに、まずはこのCMを見て欲しい。本当に、何も言わずに見て欲しい。とにかく見て欲しい。とにかく最高なので10回くらい見て欲しい。 これは1989年にテレビCMとして放送されたJR東海のクリスマスエクスプレスのCMだ。時間にしてわずか30秒、牧瀬里穂主演、この情報だけである年代の人は「あー」っとなる、それほど強烈なインパクトを残したCMだ。 今回、とあるツイートからこのCMを見てしまい、様々な感情が噴き出してきた。それを考えるに、このCMには現代人が失った大切なものが多数含まれるような気がしたのだ。 なので、取り急ぎ筆をとることにしたのである。なぜこのCMがこんなにも心に入り込んでくるのか、なぜこんなにも素晴らしいのか。順を追って説明していきたいと思う。 このCMが作られた時代背景 このCMは1989年に制作されてい

羽海野9/29(月)18巻発売 @CHICAUMINO 20年以上前だと思うのですが ネットでとても面白いブログを書いている人を見つけまして あまりにも文章が面白いのでよく覗きに行っていたのですが お医者さんになる所だった人だったらしく 忙しくなって更新が無くなって でも何年経っても気になって 時折、ペンネーム等の断片で検索をして> 2020-04-17 19:08:40 羽海野9/29(月)18巻発売 @CHICAUMINO > その後お医者さんになられていて、ご家族もできて また味わい深い落ち着いた感じになっておられて でも、またそのブログも見つからなくなり けれどある日テレビをつけたら当時の教育テレビ?で 黒板のようなものをバックに専門分野の話を1人で語り続ける番組で「これはあの時のあの人では」> 2020-04-17 19:15:38

「あなたにとってのインターネットとは何か」。 もはや、そんな質問は無粋になったのかもしれない。インターネットは日常生活にもビジネスにもすっかり欠かせないものとなり、誰もが電灯に引き寄せられる虫のようにフリーWi-Fiスポットを探すようになった。 昨年、私はブログに以下のようなことを書いた。 思うに、一昔前のインターネットは、今よりいくらか本音が許される空気感があったのではないか。現実の社会で感じた憤りや鬱憤を、顔も見えない相手が集う夢幻の世界に書き殴る。そこでは、「思う」と「表現する」の距離が近かった。しかし今や、インターネットは「現実の社会」と密接な関係にある。ネットにも実名・顔出しが溢れている。その状況で「思う」と「表現する」の距離を測り間違えると、途端に火傷をしてしまうのだ。逆の言い方をするならば、昨今のインターネットは、「『思う』ことが許されなくなった」。南無三。 ・ネットで文章を

2013年から毎年、「年ごとにブックマークしたURLでよかったもの集めた」と題して、1年分の「自分がブックマークしたページ」*1を振り返り、まとめています。2018年分は以下です。 2018年にブックマークしたURLでよかったもの集めた - Really Saying Something 完全に「私得」なまとめなのでカテゴライズなどは一切しておらず、主に自分のブックマークした順番となっています。そのため、春ごろの記事が冬にいきなり登場したり、日付が前後していたりします。私の脳内に「その時こういうこと考えていたな~」という記憶を作るインデックスだからです!!! 何も考えずに見直したら、昨年よりは250ほど少ないので、そこからはあまり精査せずえいっと公開してしまいます。 基本的には、以下の基準で選出しています。 当年に作られたエントリーであることWikipediaや当年に作られたことが明確で
blogos.com —— とすると、もう我々にはネットで議論することは難しいという感じなんでしょうか いまはもう難しいですね。議論というのは本来、論点を抽出して、その勝敗を決めれば誰もが納得する結論が出るというものではないわけです。そもそも最初から意見は違うんだから。その最初の「意見が違うということ」の意味を深く考えず、勝ち負けだけ決めようとすると、不毛な罵倒合戦しか生まれない 自分はAが正しいと信じている。にもかかわらず、こっちには全然違うBが正しいと信じている人がいる。これはなんでなんだろう。まずはそう考えるのが大事なんです。説得や論破が大事なのではなくて、違う意見が存在するのはなぜなんだということを考えること。これは、違う考え方を持っている人に対する一種の尊敬の念がないとできないことです。そして、それがどうやって生まれるかというと、時間だったりコミュニティの感覚だったりが必要です。

3月1日付拙記事 に、『ボヘミアン・ラプソディ』は、クイーンとフレディ・マーキュリーという素材の新しさはさておき、ストーリーは古典的な筋運びが多用されているんじゃないかと思ったと書いた。「ここはパーティの結成だな」「シンデレラ・ストーリーモードに入ったか」「偉いさんという敵対者との対決」「ここからは難病物語か」ということが、なんとなくわかるのである。 しかるに、それでは物語のパターンを網羅してみようかという気を起こしたくなるが、それを成し遂げるのは容易でないような気もする。 先行研究として ウラジーミル・プロップ の31パターンであるとか… matome.naver.jp アンドリュー・リーガン の6パターンであるとかが思い浮かぶが…gigazine.net 「これで疎漏や重複はないのか?」とか、「そもそもこういうことがやりたかったのか?」とかいう疑問が浮かぶのである。 ハリウッドはずっ

先日、「「散るログ。ポジ熊。青二才。」 -シロクマの屑籠」という記事を書いたところ、はてなブックマークでやたらと反応があって驚いた。はてなブックマークのなかには、私が「散るログ、ポジ熊、青二才」という三つのブログを否定していると考えたがっている者が少なくなかった。「ブロガーを馬鹿にするシロクマ」という構図を期待している向きがあったようだが、そのような期待を持たせてしまったのは、ひとえに私の不徳のためだろう。 しかし、あの文章のなかで私は、彼らのブロガーとしての武運長久を祈りたかった。ブロガーとして今を生きているかけがえなさに思いを馳せて、彼らがこの先どう生きていくのであれ、少しでも良く生きて欲しいと願った。 それでもチルドさんはときどきヘドロ爆弾のような炎上記事を書くのかもしれない。そのときは、私はきっと「浅ましいやつめ!」と思うことでしょう。しかし、それはそれ、これはこれとして、ブロ
d.hatena.ne.jp こう、一時代が終わるって感じがしますね。 未だにはてなダイアリーを使っている有名またははてな村の歴史を刻むはてなユーザー一部 男の魂に火をつけろ! REVの日記 @はてな himaginaryの日記 見えない道場本舗 アンカテshi3zの長文日記 やしお 誰かの妄想・はてな版 finalventの日記 木走日記 キャズムを超えろ! アスペ日記 ARTIFACT@ハテナ系 私の時代は終わった。 キリンが逆立ちしたピアス 紙屋研究所 シートン俗物記 脳髄にアイスピック 法華狼の日記 雑種路線でいこう NATROMの日記 Apes! Not Monkeys!はてな別館 Ohnoblog 2映画評論家町山智浩アメリカ日記 ピアノ・ファイア ねこら対策研究要塞日誌@はてな 新小児科医のつぶやき 火薬と鋼Chikirinの日記 平民新聞 YAMDAS現更新履歴 ※

あざなわさんのブログ。ミッシェルが好きという記事を見てから見ているのだがずいぶん長いことはてなでブログを書かれている人だ。はてなで長いことブログを書いている人でいうとフミコさん、wattoさん、fujiponさん、シロクマさんなどなどいる。はてなブログの権威性で言えば彼らが果たしてきた役割は大きい。承認欲求を語らせればシロクマ先生にかなう人はいないし、劣情を語らせればフミコさんにかなう人はいなく、優しさで言えばfujiponさんにかなう人はいなく、最強の普遍性を持つwattoさんにはかなわない。 いっぽうではてな村の花形と言ってもいい批評。造語で言えば手斧と言ったほうがいいかもしれないが、まったく不毛なイデオロギーの対立もはてな界隈ではよく見られる。先日もあざなわさんがけっこうわけのわからない批判をして炎上していた。内容についてはあえて言及しない。そんな気分になることもあるだろう。自分は
新興宗教へ出家した姉の話をしようと思う。 私が生まれたとき、姉は中学生だった。母は早期に離婚し、私の父と再婚した。だから姉と私では父親が違う。再婚相手の娘というとても微妙な間柄だったけれど、姉と過ごした時間はとても長かった。母が朝5時から深夜1時まで働くような人だったので、年端もいかない姉に私を預けていたからだ。 姉は明らかに困惑していた。当たり前だ。中学生で恋愛なり何なりを楽しめる年齢だった。それを私の育児で台無しにされて、さぞ迷惑だったろう。 さらに母は姉の親権を放棄していた。というか厳密には父親も母親も親権を放棄したがったので、祖父母が育てていた。つまり姉は「母にも父にも見捨てられた」という自意識を持ちながら、父親が違う妹の私を育てていたのだ。人生ってこんなにひどい試練を人に与えうるんだろうか? それでも姉はよくできた人で、不器用ながらも私の面倒を見てくれた。だから私は姉が好きだ。幼
2016 - 07 - 07 スターバックスにおける「場所取り」の文化がキモすぎるので死ぬ スタバには、2種類の客がいる。注文を済ませてから席に着く客と、注文する前に席を取る客だ。 タイトルにスタバと書いたのだが別にスタバである必然性はなく、実は大学の学食でも、タリーズでもエクセルシオールでもミスタードーナツ、何でもいい。そして私の知るほとんどのスタバは、入るとまず注文カウンターがあって、座席があるのはその奥であったり別のフロアであったりするから動線としては注文してから座席に座ることが恐らく正しい筈である。 スタバに入るや否や「はい、ここは私の席ですよ」と早々にマーキングを済ませ、注文カウンターまで戻ってきて注文をする人たちがいる。事前に席を取る理由は明らかだ。コーヒーを買ったのに席がない状況を避けたいのだろう。当たり前である。しかし、なんの因果か知らないがその行動パターンには馴染めないで

自分はブクマカだが、互助会じゃない(はてなブログやってない)ので、これは常識なのかもしれないが、ホッテントリになりやすいカテゴリに自分で変更するのは互助会の常識なのか? こういうこと増田で書いて、知らなかったヤツまで始められると、ますますホッテントリの質が下がりそうだが、最近あまりにはてなブログでカテゴリ変えてるヤツが多い。 特に「挨拶ブコメ」が多いヤツ。 昔は、ある程度ブクマが多くなってからじゃないとホッテントリにはのらなかったが、最近カテゴリによっては、20程度でもホッテントリになってるのが目に付く。 ヤツらはそこに目を付けて、勝手に都合よくカテゴリを変えている感じ。 だいたいエントリごとのカテゴリって、ブログ管理人が任意で決められるわけじゃなくて、はてな側で判断してるんだよな? ただ、それがどう考えてもおかしい、というときに変えるものであって、他の似たようなエントリがあるカテゴリで決

昨日、一昨日と、書いてみました的な話題だったが、はてなのinumashさんが二つともう読んでくださって(ありがとう!)、昨日のには、こうしたコメントをされていた。まあ、こう。 inumash こうやってごく基本的な経緯すら把握していないくせになんぞ深刻ぶった顔で的外れな分析ばかりしてるから、「ブログを10年以上も続けてきた」にもかかわらず貴方の声に動かされる人間が出てこなかったんでしょうね。 愉快だった。読み違えしているかなと思えるのは一点、「深刻ぶった」というくらいで、どうも「バブー」のベタは受けなかったようだ。つまり、他の指摘は当たっていると思った。二つある。 一つは「こうやってごく基本的な経緯すら把握していないくせに」である。まあ、それでいいと思う。他のはてなーず(「女子ーず」みたいだな)のコメントに、「私はシャルリだ」の背景もわからんのか爺、みたいのもあった。 どう理解されているか

一橋大卒元編集者のニャートさん(id:nyaaat)さんから先日の記事(「安倍首相はお金もあるし、子どももいないから未来の景気なんてどうでもいい」)についてブログ上で言及いただいたので、返信します。どうやらご本人はブログでやり取りされたいようなので。別にメールでもいいと思うんですけどね。 「日本死ね」の『死ね』への批判と斗比主さんの記事に思う、切実さの伝わらなさ - 一橋を出てニートになりました 極私的なやり取りになりますので、興味のない方はそっ閉じしてください。 まず、私についてこんな形での言及を頂いています。 「日本死ね」の『死ね』への批判と斗比主さんの記事に思う、切実さの伝わらなさ - 一橋を出てニートになりました 斗比主さんの主張は、100%正しい。 ただ、人気ブロガーであり、あれほどの才と分析力を誇る斗比主さんに、「なぜこの方がこのようなコメントをしたのか、その心理と背景」まで分

T/Oでもいいんだが、例示もするし喩えもする。腹立ってるから。 20〜40usersって言えば「まあ一読する価値はある」ってレベルのものだった。はてブロ以前は。 はてブロとともに互助会が生まれて変わった。10人前後の互助会+とりあえず赤字になってればブクマする勢の天井が大体30users台後半。 ここの辺りの記事の質のばらつきがとんでもなくひどすぎてほんと使いにくい。 例示3/3 11:00付近の新着リストから拾ってみる。 はてダ新着23users 骨法・堀辺正史氏逝去。「梶原系ハッタリ」が許された時代は遠くなりにけり…… - 見えない道場本舗 - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20160303/p1 22users 出版状況クロニクル94(2016年2月1日~2月29日) - 出版・読書メモランダム - http://d.hatena.ne.jp/OdaMi

茂木健一郎オフィシャルブログ「クオリア日記」Powered by Ameba茂木健一郎オフィシャルブログ「クオリア日記」Powered by Ameba 意識研究が人間中心主義になってしまうのは、意識が外からはブラックボックスで伺いしれない以上仕方がない構造的な問題があるように思う。 サーモスタットにも意識があるというような汎神論も、理念的にはありうるがno brainerであることは言うまでもない。IAIの議論でSabine Hossenfelderが一部の理論物理学者は数学と実在を混同すると批判していたが同じことは一部の哲学者にも言える。 意識の人間中心主義を超えることは大切だが、その際、哲学的観念と現実を混同してはいけない。サーモスタットにも意識があるという観念を振り回すのは自由だが、それと現実は同一である保証はない。数学や哲学を現実と混同することは避けなければならないうさぎの穴だ
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