世界遺産・二条城(京都市中京区)の二の丸御殿唐門(からもん)(国重要文化財)に施されている皇室の象徴・菊紋の下から、徳川家の家紋である葵(あおい)紋が見つかった。 徳川家康が築いた二条城は、1884年に当時の宮内省に所管が移っており、菊紋はその時期に取り付けられたとみられる。 二条城を管理する京都市によると、二つの紋が重なっていたのは、唐門の屋根を支える部材の先端部分にある飾り金具12個。金箔(きんぱく)を張り直すため、銅板で金具に固定された直径約9センチの菊紋を外したところ、下からほぼ同じ大きさの葵紋が現れた。 二条城は1867年の大政奉還の舞台として知られ、その後、京都府や陸軍省などを経て、1939年まで宮内省が管理。京都市元離宮二条城事務所の後藤玉樹・建造物保存整備担当課長は「江戸から明治にかけての激動の時代を映す貴重な資料」としている。唐門は今月、約2年がかりの修理が完了。今
昭和天皇が1975年秋の初訪米を前に、沖縄へ先に行けないかとの意向を側近に示していたことが分かった。当時の屋良朝苗(やらちょうびょう)・沖縄県知事が、宮内庁の宇佐美毅長官から伝えられたと日誌に書き残していた。 屋良氏は米国統治下の琉球政府最後の行政主席で、72年の本土復帰後の初代県知事。53年から85年までの日誌や手帳など126冊の複製を県公文書館が順次公開してきた。 記述があるのは、75年4月16日。7月に始まる沖縄国際海洋博覧会の打ち合わせで上京し、午前11時から宇佐美長官と会った。 続きを読むこの記事の続きをお読みいただくには、会員登録が必要です。登録申し込みログインする(会員の方) 無料会員登録はこちら朝日新聞デジタルのサービスご紹介はこちら
【円満亮太】ライフル銃を持った米兵が皇居の警備担当者から拳銃を奪取。東条英機元首相宅にも米兵が侵入――。米国主導の進駐軍上陸後、米兵による皇居などへの非行行為が頻発し、日本政府が連合国軍総司令部(GHQ)に改善を求めていたことが、7日に外務省が公開した外交文書で明らかになった。 日本政府がGHQに提出した資料によれば、1945年8月末の進駐軍上陸から9月末までの約1カ月の間に、米兵が関係する殺人事件は5件。皇室への犯罪は8件、強姦(ごうかん)は未遂を含めれば44件、誘拐が7件、住宅侵入が18件あった。 公開された文書には、皇室に関係する事件が多数記載。9月5日にはライフルを持った米兵が皇居の桜田門に立っていた日本人警備担当者を脅して拳銃を奪った。21日には鹿児島県で公民館に小型四輪駆動車で乗り付けた米兵4人が天皇の写真を射撃して逃げ去る事件が発生。このほか、一人乗りの米機が京都御所に強
天皇陛下が御所を愛車で爆走している映像が話題に / 視聴者「かっけえ! 陛下!」 2013年1月11日 Tweet 御年79歳になる天皇陛下。2013年1月11日に普通免許の更新・高齢者教習を行ったことが報じられたが、愛車は1991年製のホンダ・インテグラということはかなり有名な話である。 天皇陛下が自分で運転している姿はあまり想像ができないが、陛下がインテグラを自身で運転している貴重な姿がYoutubeにアップされていたので見てみると……予想外の光景が映し出されてたのである! どのような光景かというと、野太いエンジン音と共に、めちゃくちゃスピードを出しているのだ! インテグラをカーブでもおかまいなしにアクセルベタ踏みで曲がる姿は、まさに御所をシマにする走り屋! この映像が事実なら、『頭文字D』の藤原拓海も失神しそうなドライビングテクニックである。 この動画を見たネットユーザーも「若いです

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