フリーソフト「MikuMikuDance」(MMD)を使用した動画コンテスト「第10回MMD杯」の結果がこのほど発表されました。今大会は、観光庁やファミリーマートといった選考委員の顔ぶれがカオスな点も話題になりました。現在、公式サイトでは総評が公開されており、観光庁の“中の人”が自ら参加した理由を説明しています。 観光庁が選考委員を務めることになったきっかけは、1本の動画でした。それが前回(第9回)の「Mitchie M賞」を受賞した「トウナ ステイション 〜或る日常の風景〜」。東日本大震災の影響で現在も一部区間の運転を見合わせている、JR仙石線(宮城県)の在りし日をCGで描いています。沿線の風景などがリアルに再現され、視聴者からは「一瞬MMDだってことを忘れる」といったコメントも。電車に揺られる初音ミクがかわいいです。 この動画を見て、観光庁の“中の人”は「2年前の3月11日に失ってしま
東日本大震災で東北新幹線が脱線したメカニズム 【工藤隆治】東日本大震災で東北新幹線が脱線した事故で、地震の揺れが高架橋で増幅される「共振」が起きていたことがわかった。運輸安全委員会が22日、事故報告書を公表して明らかにした。従来の地震では想定されていない現象で、運輸安全委は鉄道各社などに再発防止のための研究や技術開発を促した。 事故は2011年3月11日の地震発生直後、仙台駅の北約1キロの高架橋で発生した。10両編成の試験列車が時速約70キロで走行中に、揺れを感知して自動停止したが、4両目の車輪四つが脱線した。乗っていたJR東日本の職員13人にけがはなかった。 橋や建物には揺れやすい周期(固有周期)があり、地面の揺れと固有周期が重なると共振が起きて、だんだん揺れが大きくなる。運輸安全委は事故後、現場に地震計を設置し、余震を観測して揺れ方を調査。この高架橋は約0・6秒に1回揺れる周期の
【動画】水陸両用ブルドーザー被災地で活躍 宮城名取川に入る水陸両用ブルドーザー=6日午後1時35分、仙台市若林区、日吉健吾撮影名取川に入る水陸両用ブルドーザー=6日午後1時40分、仙台市若林区、日吉健吾撮影 【豊岡亮】20年ぶりに復活した水陸両用のブルドーザーが、東日本大震災の被災地の復興に一役買っている。建設機械大手のコマツが復興支援のため、老朽化したモデルの改修を採算度外視で買って出た。船では乗り上げてしまうような水深の浅い被災現場で大活躍している。 大震災で津波が逆流した仙台市若林区の名取川。6日、緑色のブルドーザーが、水をかき分けながら川に入っていく。 煙突から黒煙を吐きあげる姿は、水陸両用の大型車特有のシルエット。橋脚の補強のため資材を運ぶのが、今日の仕事だ。 続きを読むこの記事の続きをお読みいただくには、会員登録が必要です。登録申し込みログインする(会員の方)無料登録で気
Tweet 「人の流れプロジェクト」において、「東京大学空間情報科学研究センターと共同研究を行っている(株)ゼンリンデータコムの「混雑統計(R)」データを用いて」、「携帯電話のGPSデータをもとに、2011年3月11日の東日本大震災時の人の流動を再現した」というこの動画は必見です。 地震前には活発に動き回っている人たち。 その人の流れが、地震発生時点、ピタっと止まります。 まるで東京全体が電気ショックを受けたようです。 その後、再び動き始めるのですが、その動きは非常にスロー。 交通機関が止まったからです。 23時を超えたあたりになって交通機関の復旧と共に、人の流れが徐々に高速に戻って行きます。 人の動きが見事に視覚化されています。GISと地理空間情報―ArcGIS10とダウンロードデータの活用 posted with amazlet at 13.01.10 古今書院 売り上げラ
不祥事相次ぐ鹿児島県警…第三者委など外部チェックを求める声に「組織に精通していないと実効性はない」――本部長が県議会で改めて否定

政府の地震調査委員会は21日、今後30年以内に震度6弱以上の揺れに見舞われる確率を地図上で示す今年版の「全国地震動予測地図」を公開した。東日本大震災を受けた研究成果などを盛り込んだ。前回の2010年版と比べ、水戸で31.0ポイント増の62.3%となるなど関東での確率上昇が目立った。水戸以外で確率が上昇したのは11.9ポイント増の千葉(75.7%)、4.9ポイント増のさいたま(27.3%)、4.

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東日本大震災の津波で被災した岩手県大船渡市の旅館が再建された。只野八百子(やおこ)さん(80)は、再建を見届けて病死した夫昭雄(てるお)さん=享年(83)=の遺志を継いで、復興工事の関係者らの寝食を支える。ただ、再建したのは流されたのと同じ場所。「本当にこれで良かったのか」との思いを拭えないでいる。 (立石智保) しゃしゃしゃしゃっ-。昨年三月十一日、砂利を巻き込んで進む波の音を聞いた八百子さんと昭雄さんは、海から約八百メートルにある只野旅館最上階の三階に逃げた。三階への階段まで海水が迫ってきた。 三日目の朝に救助された。テレビ局の取材に「再建しましょう」と答え、昭雄さんは「再建おじいさん」として話題になった。旅館を手伝う長女英理子さん(51)も被災直後からがれきを片付け、再建に強い意欲を見せた。英理子さんからは「お父さんが『再建、再建』と言うのはお母さんを元気づけるため」とも告げられた。
来月12日に切り倒され、保存に向けた防腐処理に入ることが分かった「奇跡の一本松」=28日午後、岩手県陸前高田市 東日本大震災の大津波に耐えた岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」が来月12日に切り倒され、保存に向けた防腐処理に入ることが29日、市関係者への取材で分かった。 当日はセレモニーも開く予定で、震災2年を迎える来年3月11日までに元の場所に立て直すとしている。 市によると、高さ約27メートルの一本松を根元から切断して、幹を5分割。芯をくりぬき、防腐処理を施す。その後、金属の心棒を通して立ち姿のまま保存する。 保存費用は約1億5千万円。市はホームページや交流サイト「フェイスブック」で募金を呼び掛けている。
TOP > ニュース > 東日本大震災の時、台湾製ASUSパソコン基板に小さな字で「日本に神のご加護を」 Tweet カテゴリニュース 0 :ハムスター2ちゃんねる 2012/06/27 12:20 ID:hamusoku 私たちの知らないところで、私たちの知らない人が、私たちが遭遇した困難のために祈ってくれている。東日本大震災に際して、世界中の人々から多くの救いの手が差し伸べられたことは記憶に新しい。が、私たちが知らないこんな話もあった。(フジサンケイビジネスアイ) 先日、フェイスブックの会員の間で反響を呼んだ1枚の写真があった。写真は何の変哲もないただのパソコン基板。だがよく見ると小さな字で「God Bless Japan(日本に神のご加護を)」と祈りの言葉が印刷してあったのだ。 基板とはパソコン内部に装填(そうてん)されている主要部品で、普段はまったくユーザーの目に触れることはない。

こんにちは。はてなブックマークニュースは、環境省の広報業務をお手伝いしています。記事のテーマは東日本大震災の被災地で発生したがれきの広域処理です。記事は、前編と後編の2本で構成します。2012年3月29日に掲載した前編では、被災地のがれき広域処理の現況と、その必要性を取材をもとにまとめました。この後編では、がれき広域処理の安全性を見ていきます。取材と執筆は、ジャーナリストの津田大介さん(@tsuda)です。なお、当初4月上旬としていた記事の掲載予定が遅れ、6月になりました。遅れた理由は、調査、執筆、追加取材、検証などに想定よりも長い時間が必要だったためです。掲載が遅れたことを深くお詫びいたします。(編集部) (※この記事は環境省の提供によるPR記事です) ◇ ◇ ◇ 環境省が推進するがれき広域処理、その反対の声は根強い。この記事の前編でも述べたとおり、批判の根拠は大まかに2つある。1つはが

カナダのブリティッシュコロンビア州ビクトリアにある海洋博物館(Maritime Museum of BC)が、東日本大震災の津波による漂着物を公開するFacebookページを開設しています。利用者に浜辺に漂着したものの写真をアップロードしてもらい、それを博物館の担当者が確認して公開しているようで、漂着物の持ち主が特定された場合には、日本の領事館を通じて返却することも予定しているようです。 Tsunami Debris Project – Maritime Museum of BC (Facebook公式ページ) http://www.facebook.com/TsunamiDebrisProjectMaritimeMusBC# Tsunami Debris (Maritime Museum of BCのウェブサイト) http://mmbc.bc.ca/tsunami-debris/ ビク

未曾有の被害を出した東日本大震災から2012年3月11日で1年となる。この間、日本では、政府のトップである首相が交代した。一方で、福島第1原発の事故処理や被災地の復興などは遅々として進まず、問題が山積したままだ。 震災が起こった2011年3月11日の翌日、当時の菅直人首相はヘリコプターに乗って上空から被災地を視察した。「首相が現地を見なければ、あんなに早い自衛隊の10万人出動はなかったかもしれない」。菅首相の視察に付き添い、その模様を映像に収めた内閣審議官の下村健一氏はこう回想する。 下村氏は、大学時代に「市民メディア」を志し、都市型ケーブルテレビ「町田市民テレビ」のスタッフとして開設準備に携わった。また、TBS時代には、松本サリン事件の報道などで活躍し、退社後、市民メディア・アドバイザーとして活動。2010年10月、菅首相の政治任用で、広報を担当する2年契約の内閣審議官として内閣広報室に

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