こんにちは。そろそろプロ野球シーズンの開幕が待ちきれなくなってきたコネクト支援チーム*1の酒井(@sakay_y)です。 サイボウズでは、新入社員全体研修の後に、開発系の新入社員に対して1ヶ月程度の開発研修をおこなっています*2。内容は、毎年改善を重ねていますが、基本的には講義+実習です。本記事では、先日公開した2018年の研修の講義資料を、全体の流れに沿って紹介したいと思います。 開発・運用研修について本研修は「開発本部・運用本部に配属される新入社員が、部署配属後に必要となる基礎的な知識/技術/ツールを学び、体験できる。」ことを目的にしています。 新入社員3〜4名を1チームとして、そこに担当のメンターが1名付いて研修を進めていきました。講義では先輩社員に講師をお願いし、開発演習では各チームにメンターとは別の先輩社員が担当スクラムマスター(!)として付きました。 スケジュール 7/2 〜
こんにちは。アプリエンジニアの五味です。 2017年4月にリクルートホールディングスの新卒Web採用枠で入社した新卒社員のうち、21名がリクルートテクノロジーズに配属となりました。(いらっしゃい!) リクルートテクノロジーズでは「ブートキャンプ」と呼ばれる新卒社員向けの技術研修を3か月間実施しています。 もともと高い能力を持つ彼・彼女らですが、「これからのリクルートをリードしていく存在」になって欲しいという期待を込め、プロとしての重要な立ち上がり期を支援しています。 今年からは社外講師の既存プログラムに加え、より実践的な内容を求める経験者をターゲットに、総勢12名の現場エンジニアが担当する特別講座を開催しました。 各分野のスペシャリストがこれまで現場で培ってきた「本当に必要な生きた知識・技術」のインプットは、彼・彼女らの成長を加速させ、これからのエンジニア人生の礎になってくれるものと僕らは
幕末の京都で治安維持にあたった「新選組」の三番隊組長を務め、沖田総司らと並んで、当時最強の剣士の一人と言われた斎藤一(はじめ、1844~1915)。その確実な肖像写真が見つかり、福島県会津若松市の県立博物館で30日まで展示されている。 斎藤は、戊辰戦争には旧幕府軍の一員として参戦。同戦争後半は会津藩とともに新政府軍と戦った。その後、敗れた会津藩が転封された斗南(となみ)藩(現青森県東部など)へ移り住み、明治維新後は警視庁の警察官となって西南戦争に従軍した。 写真は、面長で端正な人物が羽織を着ている肖像写真と家族4人の集合写真の2枚で、子孫が先ごろ、蔵の整理をしていて発見した。肖像写真に名前などの記載はなかったが、集合写真には子供たちの名前や明治30(1897)年11月14日という撮影日時が記入されており、羽織の家紋も一致したことから、斎藤と判明した。いずれも警視庁退職後、高等師範学校(現筑

難波 康子(なんば やすこ、1949年〈昭和24年〉2月7日 - 1996年〈平成8年〉5月11日)は日本の登山家。東京都大田区出身、早稲田大学文学部卒。 日本人女性では、田部井淳子に次いで2人目のエベレスト登頂者(47歳・1996年5月10日)となり、日本人として田部井淳子に次いで2人目の七大陸最高峰登頂者(全世界では44人目、全世界女性では7人目)となったが、エベレスト下山中に猛吹雪に遭い死亡した[1]。 1949年2月7日、東京都大田区大森に生まれる。1967年普連土学園高等学校卒業後、早稲田大学文学部に入学。早稲田大学在学中から同好会「早稲田大学野歩の会」で登山に親しむ。出典によって「ワンダーフォーゲル同好会」に所属していたとされている[1]。 卒業後はインド連合通信に勤務。1974年航空貨物会社フライング・タイガー・ライン[注釈 1]に入社。大学卒業後も登山を続け、田中文夫、長谷

1920年代にイギリスが国威発揚をかけた3度のエベレスト遠征隊に参加。1924年6月の第3次遠征において、マロリーはパートナーのアンドリュー・アーヴィンと共に頂上を目指したが、北壁の上部、頂上付近で行方不明となった。その最期は長年にわたって謎に包まれていたが、75年後の1999年5月1日、国際探索隊によって遺体が発見された。しかし、マロリーがエベレスト登頂を果たしたか否かは判明せず、未だに論議を呼んでいる。 「なぜ、あなたはエベレストに登りたかったのか?」と問われて「そこにエベレストがあるから(Becauseit's there.)」と答えたという逸話は有名であるが、日本語では、しばしば「そこに山があるから」と意訳されて流布している(後述「そこにエベレストがあるから」)。 ジョージ・マロリーは、チェシャーのモバリ(Mobberley )で牧師ハーバート・リー・マロリー(Herbert L

オークランド生まれ。翌年、父のパーシバルが養蜂業を営むためオークランドの南に位置するツアカウへ一家で引越す。幼少期は虚弱児で内向的な性格の持ち主であったが、蜂の巣箱を運ぶ作業の中で足腰が鍛えられ、高校生で身長は195cmに達する。長身に加え養蜂業の手伝いで心肺機能が鍛えられ登山家としての活動に適した体が作られたという。 ツアカウ小学校を卒業後、オークランドの名門オークランド・グラマー・スクールへ進学。16歳の時に高校の旅行でルアペフ山を訪れた時に山に魅了され登山を始める。20歳でオリヴィア山(1933m)の登頂に成功。エンジニアを目指しオークランド大学で数学と理学を専攻したが2年で中退する。大学中退後は弟のレックスと共に養蜂業に従事する。 王立ニュージーランド空軍(RNZAF)時代のヒラリー 第二次世界大戦中は王立ニュージーランド空軍(英語版)(RNZAF)に所属し、第5・第6RNZAF飛
今まで数多くの登山家達がエベレストで登山途中に力尽き亡くなっている。 エベレストでは、挑戦者10人のうち1人が命を落とすと言われているが、現在でも150以上の遺体が未だ回収されていない。 どうして遺体は放置されているのか。 その理由のひとつは「高額な登山料」である。 登頂するにはネパール政府に登山料を支払うのだが、5つの登山ルートの中で一番安いルートでも1人25,000ドル 日本円で約225万円ほどかかる。 大勢(7人以上)で登れば、団体割も適応されるが、それでも1人あたり10,000ドル 日本円で約89万円。 また、海面と比べると酸素濃度が3分の1という過酷な環境では、トレーニングを積んだ登山家でも48時間以上は耐えられないといわれている。 氷点下27度で、頂上付近では風速320kmの爆風が吹き荒れている、そんな過酷な環境で、死体の回収を行う余裕はどんな人間にもありえない。 1924年に

平成28年9月17日 中央卸売市場 このことについて、平成28年9月13日(火)に採水した地下ピット内の水質調査結果を下記のとおりお知らせします。 記 ・豊洲市場地下ピット内の水質調査の結果について
やはり豊洲に移転すべき先々週(9月5日)の本コラム「築地市場は一刻も早く移転せよ! 都民のことを思うなら答えは一つだ」(https://gendai.media/articles/-/49645)で、サンク・コスト論から「豊洲新市場に早期に移転すべき」と書いた。 そのロジックは次のとおりだ。 「今の時点で豊洲市場はほぼ完成形なので、仮に追加対応するためにコストは少ない。その一方、その便益は、対処が可能であれば、4000億円程度と大きいことは間違いない。これを平たく言えば、豊洲が欠陥で使い物にならないのでない限り、今の築地に比べると安全・衛生的なので、移転中止せずに早く移転したほうがいい」 ところが、先々週の本コラムの後に、一部で盛り土をしていなかったことが発覚し、マスコミで大きな話題になった。9月10日、小池都知事の緊急記者会見である。これには、豊洲移転の推進派からも懸念が出てきた。 先週

日本が第二次世界大戦から復興する時期の子供たちの表情や生活風景を捉えた写真がvintage everydayでまとめられていました。 まとめられた写真は昭和20年(1945年)あたりからの昭和初期のものと思われます。街並みを見ると復興が進んだ印象を受ける写真もあるのでおおよそ昭和30年代くらいまでの写真を中心に紹介されているのではないでしょうか。 撮影場所は都市から地方と思われる場所まで様々で、全体的に子供たちの笑顔に満ち溢れた表情がとても印象的です。路地裏でチョークを手にお絵描きを楽しむ姿、男の子は坊主、女の子はおかっぱ頭など当時の子供達の暮らしぶりがわかる貴重なまとめとなっています。 公衆電話で電話をする女の子の可愛いこと。最近は公衆電話を見ることも少なくなりました。路地裏でチョークでお絵描きや○Xゲーム、けんけんぱなどで遊んでいましたね。シブい表情で路上喫煙する姿は衝撃的。

社会慣習や企業形態の差異など多様な条件の違いにより、同じ業界の職場でも、地域によって残業動向は小さからぬ違いが生じる。自らの就業状態が全国ではどの程度の範囲にあるのか、他地域では違いがあるのか否か、自分の生活に何か影響が生じるわけではないが、気になる話には違いない。今回は厚生労働省が2025年3月17日付で発表した、賃金関連の情報を調査集積した結果「賃金構造基本統計調査」の最新版となる【令和6年賃金構造基本統計調査(全国)結果の概況】の公開値を基に、都道府県別の平均的な、残業時間に相当する超過実労働時間数、そして平均勤続年数について確認していくことにする。 平均残業時間は男性で月13時間 最初に示すのは、月あたりの平均超過実労働時間数。これは就業場所の就業規則などで定められた所定労働日における、始業時刻から終業時刻までの時間「以外」に実際に労働した時間数、および所定休日において実際に労働し

こんにちは、らくからちゃです。 今週日曜日は、日本商工会議所主催の簿記検定の試験日ですね。この時期が近づいてくると、一生懸命電卓を叩いて過ごした学生時代を思い出します。 『簿記』は、ビジネスマンでの必須知識にもかかわらず、義務教育はおろか、高校でも通常は商業科でしか教わりません。そこで皆さん、勉強のために簿記検定を受験するのですが、3級でも合格まで100時間(!)もかかるという説もあります。 ただこの時間には、一部の人にしか必要のない知識を学ぶためだったり、計算に慣れるための時間も含まれています。個人的な意見ですが、社会人として必要な『簿記のエッセンス』を学ぶ為に必要な時間は、10分くらいあれば十分なような気がします。 今日はそんな、『簿記のエッセンス』について、ちょっとだけ触れてみたいと思います。ただ思った以上に深掘りしてしまったので、シンプルにしたバージョンとしては、こちらのほうが分か

サービス終了のお知らせ NAVERまとめは2020年9月30日をもちましてサービス終了いたしました。 約11年間、NAVERまとめをご利用・ご愛顧いただき誠にありがとうございました。
コートジボワール戦に逆転負けした日本。勝負の分かれ目はどこにあったのか――データからそのポイントを探ってみよう。 RECIFE, BRAZIL - JUNE 14: Yuto Nagatomo (L) and Hotaru Yamaguchi of Japan walk off the field with teammates after being defeated by the Ivory Coast 2-1 during the 2014 FIFA World Cup Brazil Group C match between the Ivory Coast and Japan at Arena Pernambuco on June 14, 2014 in Recife, Brazil. (Photo by Jamie Squire/Getty Images)

1 : かかと落とし(岡山県) :2013/11/02(土) 22:29:02.99 ID:btQx+deW0 BE:2092672883-PLT(12000) ポイント特典 【1950年代】「超カワイイ日本のチラシを集めてみた^^」【海外反応】 ・良いねえ・・・。コレが当時は、全て手作業なんだよね・・・。 hotoshop1.0でさえ、助けてはくれない時代だ。 ・イラストレーターを昔から育てて行ってたのは、やっぱり日本だったって 言う証拠がココに。外国にはひた隠しにしてたんだね。 ・50年代は何もが可愛らしい時期だったんだ。広告なんかは、その最たる例。 http://www.gekiyaku.com/archives/34480081.html 10 : トラースキック(愛知県) :2013/11/02(土) 22:34:03.44 ID:K8tc0/KF0 なんでセンスよく思えるんだろ

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