地図上にドット絵のラクガキができちゃうサービス『wplace』がSNSで話題に。著名な作品の聖地はドット絵で溢れ、「どこが聖地なのか一目みてわかる」「ずっと眺めてしまう」「ドット絵職人がいる」と多数のコメント

良い記事だった。 digital.asahi.com 自分がブログをあまり書かなくなった、いや、書けなくなった理由も似たようなものかもしれないと思った。リベラルどうこうという話もそうなのだが、言葉を尽くしても体を成さないみたいな感覚がけっこう前からある。記事にあるようにネット言論はそれぞれがエコーチェンバーの中に閉じこもりカルト化しているため、政治的なことを書いてもそれは消費されるだけ、という側面ももちろんあるが、それ以上に社会全体が巨大なフィクションの繭で覆われている印象を受ける。 星野さんがリベラル界隈にたいして「遠慮」していたことと同じことがありとあらゆるところで起きていて、誰も本当のことを話さなくなった結果として形式化したフィクションが場を支配している。それは政治に限ったことではなくほぼすべての場所でそうなっている。 すぐ思いつく例として、「出会いがない問題」がある。ハラスメント
「それで理解に至ったのである。リベラルな考え方の人たちは、「正義」に依存しているのだと」 有料記事がプレゼントされました! 言葉を消費されて 「正義」に依存し個を捨てるリベラル 星野智幸:朝日新聞デジタル https://t.co/gTMgZgYBKD # — こたつぬこ🌾野党系政治クラスタ (@sangituyama) August 27, 2024 1 星野智幸さんのこのエッセイ、唐突に左派リベラルをカルト認定したかのように受け取られていますが、そうではありません。11年前のエッセイは確かに右派のナショナリズム依存に対する批判なのですが、その批判のベースとなる経験には学生時代の新左翼セクトへの違和感が含まれており、単なる右派批判ではありません。 星野さんのこのエッセイは政治学者丸山眞男の超国家主義批判の系譜にあると思います。晩年の丸山眞男はオウム真理教についてこう述べています。 「私


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