
元中日監督の落合博満氏(71)と元DeNA監督の中畑清氏(71)が16日、「サンデーモーニング」(TBS系)にご意見番として出演し、満票で3年連続4度目のMVPに輝いたドジャース・大谷翔平投手(31)について語った。 落合氏は今季の大谷の活躍について、打者としては文句なしだったと評価。投手としてどの時期から登板できるかが最も関心のある点だったとし、「来年を見越してのリハビリはきちっと終わったってことなんだろうと思います」と話した。また、来季も二刀流をフルで行えるかについては、「その下準備はもうできたと思います」と述べた。 大谷が唯一獲得していない大きなタイトルとしてサイ・ヤング賞があるとの問いには、「狙えると思いますよ。彼が本当に唯一取ってないのはサイヤング賞だけなのでね。まあ35までには取れるんじゃないかなと思いますけどね」と期待を示した。 一方、中畑氏は「いやいやいや…。その前に3年連


ゲンダイサエキ @GendaiSaeki う~ん、野球関連のゴリ押しがなくなったのは良いけど、反面ネットでバズった(言い換えればネットでしかバズッてない)言葉がドッと増えて、それはそれで問題かと…。 x.com/kuma_neko_/sta… 2025-11-07 09:05:39

メジャー通算696発のAロッドも驚愕の活躍 ポストシーズンで歴史的な活躍を続けるドジャースの大谷翔平に対し、球界のレジェンドからも称賛が止まらない。米放送局「FOXスポーツ」では、元ヤンキースのデレク・ジーター氏とアレックス・ロドリゲス氏、元レッドソックスのデビット・オルティス氏が、大谷が見せる快進撃に賛辞を贈り続けた。 大谷は17日(日本時間18日)のブルワーズとのリーグ優勝決定シリーズで打者として3本塁打、投手として10奪三振を記録。さらに27日(同28日)のワールドシリーズ第3戦では延長18回の消耗戦を戦い抜き、2本塁打を含む9打席連続というポストシーズン新記録を打ち立てた。 6時間半を超える死闘の翌日に投手として登板が控えるという状況にオルティス氏は「今晩全ての視線はオオタニに集まっている」と強調。長時間の試合翌日のコンディションを尋ねられたロドリゲス氏は「私は人間で、オオタニはそ


「お前は必要ない!」。米大リーグの王者を決める24日のワールドシリーズ開幕戦、トロント・ブルージェイズのスタジアムには大合唱が沸き起こった。写真は大谷翔平。10月23日、カナダのトロントで撮影(2025年 Dan Hamilton-Imagn Images) [トロント 24日 ロイター] - 「お前は必要ない!」。米大リーグの王者を決める24日のワールドシリーズ開幕戦、トロント・ブルージェイズのスタジアムには大合唱が沸き起こった。 4万人以上で埋め尽くされた観客席からのブーイングは、ロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平に向けたものだった。大谷はアナハイム・エンゼルスからフリーエージェントになった2年前、ブルージェイズが有力な移籍先として浮上した。

The Cards Watcher_世界の野球考察チャンネル @TheCardsWatcher 大谷翔平という二度と現れないスターをMLBで見れる事について、世界中の野球ファンは日本ハムに最大限感謝しなければならないとふと思った。丁寧に「NPBを挟んだ方が絶対良い」と説得したこと、大谷が「渡米したい」と言った時に大金を惜しまず25歳未満で送り出した日ハム無しでは今の大谷はなかった。 2025-10-18 18:55:31 The Cards Watcher_世界の野球考察チャンネル @TheCardsWatcher 勿論入団から渡米までの育成や二刀流挑戦の容認なども然り。自分は色々考えてカープファンに決めたけど、エスコンフィールドは本当に素晴らしい球場だし、日ハムは結構好きな球団。STLで投げたバーヘイゲンが今年成績不振なのが悔やまれる。 2025-10-18 18:58:15

パ・リーグ優勝の祝勝会でビールをかけあうソフトバンクの小久保監督(左)と孫正義オーナー=9月、東京都立川市 プロ野球でクライマックスシリーズ(CS)を突破した際、ソフトバンクなど複数チームで祝勝会恒例の「ビールかけ」の実施が難しくなっていることが16日分かった。サイバー攻撃に端を発したアサヒグループホールディングス(HD)のシステム障害の影響で提供が大きく滞っているため。実施予定のない阪神以外は代用品の調達などの対応に追われた。ソフトバンクは米大リーグのようにシャンパンへの変更を進めているという。 ある球団の担当者は「ビール会社からのビールの供給状況を踏まえた申し出により、使用しないことになりました」とコメントした。9月のリーグ優勝では、阪神が約3500本、ソフトバンクが3千本を用意した。 日本シリーズへの出場権を懸けたファイナルステージは15日に始まり、セ・リーグは阪神とDeNA、パ・リ


第96回都市対抗野球大会第6日の2日、第1試合の福岡市・西部ガス―日立市・日立製作所を前にハプニング。始球式に臨んだ日立製作所・徳永俊昭社長の投球が、打者役の小川春樹・日立市長の左肩を直撃した。一度はグラウンドにひっくり返った小川市長だったが、自力で立ち上がってからバットを一振り。「全然大丈夫、痛くもなんともない。それより徳永社長のボールを体で受け止められてうれしかったですよ」と、笑顔で応援席に向かった。一方、徳永社長は「大変申し訳ないです」と頭を下げて小川市長に謝罪の握手。気を取り直したように「(前回出場からの)3年分の思いをぶつけ、一戦一戦勝ち上がってほしい」とチームにエールを送った。【田内隆弘、森田采花】

広島市にある広陵高校は、ことし1月、複数の野球部員が下級生の部員に対して暴力を伴う不適切な行為をしたとして、高野連=日本高校野球連盟から厳重注意を受けた事案について、第三者委員会を設置して調査することを決めました。 広陵高校は夏の全国高校野球に出場していましたが、部員の暴力問題などをめぐりさまざまな情報がSNS上で拡散された事態を受け止め、2回戦を前に出場を辞退していました。 広陵高校は、ことし1月、寮で禁止されていたカップラーメンを食べた当時1年生の部員1人に対し、2年生の部員合わせて4人が個別に暴力を伴う不適切な行為をしたとして、3月に高野連から厳重注意を受けていたことを明らかにしています。 学校によりますと、この事案について、外部のメンバーで作る第三者委員会を設置して改めて調査することを決めたということです。 被害者側の訴えと学校が高野連に報告した内容に食い違いがあることから、事実関

厳しい暑さから選手を守るため、午前と夕方に分けて試合を行う「2部制」の拡大。 そして野球部員の暴力や、それに伴うSNSをめぐる一連の問題への対応。 ことしの夏の全国高校野球は、大きく変化しつつある気候や社会情勢に対し、今後、どのように取り組んでいくかを改めて考えさせられた大会にもなりました。 (甲子園取材班 山内司) ことしも盛り上がった聖地 ことしの夏の甲子園は、左右の2年生投手の好投で勝ち上がってきた沖縄尚学が、決勝でも持ち味の「守り勝つ野球」を貫いて日大三高に勝ち、初優勝を果たして幕を閉じました。 日本一に輝いた沖縄尚学の末吉良丞投手や新垣有絃投手、準優勝だった日大三高の田中諒選手など、数々の選手が活躍して熱戦を繰り広げ、甲子園球場には、あわせて72万人を超える観客が詰めかけて、大きな盛り上がりを見せました。

朝日新聞は「熱中症の発症」を報じなかった さてこうなると主催の朝日新聞が読みたくなる。高校野球を汗と涙と青春の美談祭りで報道してきたからだ。ビジネスにも利用してきた。 美談は行き過ぎると偽善になる。具体例として朝日新聞の偽善を挙げると、当コラムでは2018年に『高校野球「熱中症で力尽きたエース」記事が朝日新聞に見当たらない、という問題』を書いた。 西東京大会決勝で投げた投手が試合後に脱水症状を伴う熱中症を発症した。9回途中まで154球を投じたが試合後に全身に痛みを訴え、救急車が神宮球場のグラウンド内まで入り都内の病院に搬送された。当然ながら新聞ではこの件は大きく扱われた。サンスポは「力尽きたエース…熱中症で救急搬送 」。日刊スポーツは「154球……熱中症 救急車で搬送」。一般紙も毎日、読売、東京新聞が伝えた。しかし、朝日新聞はこの事実を報じなかったのである。 東京版では決勝戦を2ページにわ

真夏の炎天下、砂塵舞うグラウンドで白球を追い、流した汗と涙が「青春の象徴」として語られる。そんな甲子園大会は戦後日本の夏を彩ってきた。しかし、その構造や価値観は戦前からほとんど変わらず、時代の大きな流れから取り残されつつある。いまや、少子化・人材不足・経済的困難・価値観の断絶という複合的な要因が、大会そのものの存在意義を問い直している。そろそろ、甲子園を「当然あるべきもの」とする思考停止をやめ、廃止や大幅な形態変更も含めて議論するべき時期に来ているのではないか。少子化が削る“競技人口”の土台 2024年、日本の高校生人口はおよそ100万人。昭和後期のピーク時から半減し、その影響は高校野球にも直撃した。2015年に約17万人いた野球部員は、2023年には10万人を下回った。これは単なる数字の減少ではなく、大会の競技的価値を揺るがす問題だ。 特に地方の現場は深刻だ。岩手県では3〜4校が合同で
甲子園で優勝3回、準優勝2回。とりわけ黄金期といわれる1982年夏から、池田の勝敗表は美しいまでに白色が並ぶ。1982年夏と83年春を連覇し、同年夏の準決勝でPL学園に敗れるまで、じつに甲子園11連勝を飾った。 1992年生まれの私は「池田の時代」を知らない。リアルタイムでその時を生きた1974年生まれのNumberWeb編集長は、池田のファンだったという。彼が記憶する池田でとりわけ鮮烈だったもの。それは野球のスタイルだった。上半身と太ももがムチムチに鍛えられた地方の子どもたちが全国的な強豪を次々に倒す。それも打ち勝った。「バントや小細工は不要。打てばいい」。単純明快な方法が衝撃だったのだと編集長は力説した。 車窓に映った池田町の寂しげな光景を思い出した。なぜ山間の公立校が優勝できたのか。なぜ池田の時代は終わったのか。 蔦文也の孫が東京にいた… 下調べで大きな流れはわかった。日本中が池田に


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