お金もかからないし休みの日はネットで配信動画とかYoutubeとか見たりばっかしてるんだけど この3連休もそうやってぼんやり過ごしてた。まあ面白かった海外ドラマ見れたのはよかったけど。 それで3日目の今日、デジタルデトックスのつもりでPCもスマホも見ずに過ごしてたんだけど、あーこれまじで自分でなんか考えることができなくなってるなあと感じた。 正確に言うと考えてるつもりでも、入ってきた情報に対して反応してるだけで、自発的な発想というのが皆無。 完全になんにもない状態の部屋の中でマジで考え事をしてみるが、よくわからないどうでもいいことばかりがチラつくだけ。 なので俺はどうしていいか分からなくなって粘土を買ってきた。 ついさっきまで2時間くらい、粘土をこねくりまわして無心で動物とかを作ってみた。 足の形ってこうだっけ?こんなバランスだっけ?とか考えながらとにかく作る。 できたらネットで写真を検索

家族のことを書く場合、人とどれだけ違っていたかが書かれることが多いけど、うちの家族はあまり人と変わらない。変でもないし、立派でもなく、特筆すべきことはない。 そんな平凡な祖父母が遺した写真アルバムを整理した。 母方の祖父母が老人ホームに入居したことをきっかけに、彼らが住んでいた東京の一軒家に住みはじめ、もう6年ほどになる。祖父母とも1920年代生まれ。二人とも残念ながらもう数年前に90歳を過ぎて大往生したが、その家を引き継いだ私は、小さい一軒家とはいえ片付けるのが面倒なので、彼らが亡くなったあとも彼らの生活道具とともに暮らしてきた。とはいえ、やっぱり自分の生活に必要がないものは片付けたほうがスッキリする。そこで、実家に住む母親と相談して、ダンボール5箱相当の大量の写真アルバムを処分することにした。 押し入れに眠っていたアルバムたち(一部) 引っ越した当初、大きな本棚に収められていた写真アル

1980年、東京生まれ。片手袋研究家。町中で見かける片方だけの手袋を研究し続けた結果、この世の中のことがすべて分からなくなってしまった。著書に『片手袋研究入門』(実業之日本社)。 前の記事:海であり温泉でもある。式根島の不思議な地鉈(じなた)温泉 > 個人サイト 片手袋大全 >ライターwiki 片手袋を撮っている人は世界中にいた 2005年、25歳の時だった。玄関の扉を開けたら目の前に手袋が片方だけ落ちていた。片手袋だ。子供の頃から気になる存在だったので、なんとなく携帯で撮ってみた。 当時のカメラ付き携帯の性能を物語る4KBのデータ その瞬間、体に雷のような衝撃が走った。「これをやる為に生まれてきたんだ!」。直感的に悟った。それ以来、私は何かに取り憑かれたように片手袋発生のメカニズムや分類方法、季節や場所との相関関係などを研究し続けてきた。気付けば研究生活は来年で20周年を迎える。 勿論、
写真を整理していた。 夫の顔が見たくなると写真の整理のつもりでカメラロールをぼんやり眺めたりしている。スマホとは別に昔使っていたコンデジがあって、そっちの画像はそういえばしばらく見ていなかったなと思って開いてみた。 夫の調子が良かった頃はよく旅行に行っていたので、旅行先の写真が多い。ふたりとも働いていて子どももいなかったので国内外いろんなところに行った。記念写真風に撮ってる写真や風景の写真の中に、必ず私が撮った夫の後ろ姿の写真がある。後ろ姿も好きだった。小さな頭に、細身な割には大きな背中、長い手足、何を着ていても画になる人だった。こんなにかっこいい人が私といっしょにいるのだ、と確かめるように後ろ姿を写真に収めていたんだと思う。旅行写真の合間に、家の居間で私と夫が写っている写真があった。テーブルに膝をついてカメラの方を見る私と、隣で大笑顔の夫。テーブルにはビール。ふたりとも部屋着のなんてこ

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