「貧乏だったから」、人並外れた空想力が培われた漫画界でも屈指の型破りな存在、それが武論尊さんだ。それまで見たこともないような登場人物と予想もつかないストーリーで膨大な読者の心をつかみ、原作者として伝説的な大ヒットを飛ばしてきた。 新人の平松伸二氏とともに連載に挑んだ『ドーベルマン刑事』は500万部超、史村翔名義で池上遼一氏とコラボした『サンクチュアリ』は700万部超、そして、原哲夫氏と組んで1億部を超えるメガヒットを記録した『北斗の拳』は、2026年、『北斗の拳 -FIST OF THE NORTH STAR-』としてアニメ化を控える。週刊少年ジャンプで『北斗の拳』の連載が終了したのが1988年。それから40年近く経っても脚光を浴び続ける漫画は、ほかにないだろう。 原作者として、武論尊さん自身が語る強みは「人並み外れた空想力」だという。その空想力はどう培われたのだろうか? 武論尊さんに問

月曜日に入院。血液検査とかレントゲン、検温で熱あり。 火曜日手術。朝の8:50から。病室を出るとき、自分のバッグのポケットがことごとく開いているので、看護師さんに閉めた方がいいと言われる。 手術室までは歩き。眼鏡着用を希望していたのでよく見える。見えないと危ない。手術室前で何度も本人確認。「なんの手術ですか?」という問いに、むちゃくちゃ噛んで「大腸せちゅじょと、人工造設です」とか言ってしまう。 手術室。まずは麻酔。ここではまだ眼鏡をしていて、部屋の中に折りたたまれているDa Vinci Xiを見た。その後眼鏡外されたか。 麻酔は腕から。点滴で少しぼんやりしたところで、背中のに。最後の麻酔医診察で「背中のは痛いですか?」と聞いたら「下手な人がやると痛いです」と答えた麻酔医その人がやってくれた。強い痛みというより、奥深くに刺さってくる妙な感じ。 続いて口にガス。最初は酸素が流れている。なんかこ
高市早苗首相の「働いて働いて働いて働いて働いてまいります」との発言が「現代用語の基礎知識選 2025T&D保険グループ新語・流行語大賞」の年間大賞に選ばれたことを受け、過労死遺族らが11日、東京都内で記者会見し、受賞で多くの過労死遺族が傷ついたとして「悲痛な声があることを知ってほしい」と抗議の声を上げた。 小児科医の夫を亡くした「医師の過労死家族会」の中原のり子共同代表(69)は、高市首相が自民党総裁選出後の所属議員向けあいさつで「馬車馬のように働いてもらう」と発言したことについて、夫が生前に残した「馬車馬のように働かされて、病院に殺される」との言葉を思い出し「怒りに震えた」と訴えた。受賞に対しては「驚愕した。遺族には最大の侮辱で、深く傷ついている」と批判した。 会見では、受賞に対する過労死遺族らのコメントが紹介され「命を落とす危険もある働き方を称賛するように見え、違和感がある」「怒り心頭

2025年12月10日の官報掲載にありますように、アニメーション制作スタジオだった「株式会社ガイナックス」の破産整理が終わり、法人として消滅し、その42年弱の歴史を終えました。 創設期から20年以上籍を置き、今日まで株主として関わっていたものとして誠に残念な最後ですが、静かに受け止めています。 まず、2019年、当時の代表取締役社長巻智博氏の逮捕を受け、弊社と共にガイナックス社の再建、後に整理に関わる業務に6年近く無償でご尽力を頂きました、関連各社の皆様に、感謝と敬意を申し上げます。 各位のご協力を賜り、各作品の権利処理、権利譲渡、制作成果物等各種資料の譲渡に関しまして、正当な手続きをもって、各権利者やクリエイターに無事お戻しする事が叶いました。 改めて、感謝致します。ありがとうございました。 過去のガイナックスに関して、これまで公開していた話が世間に出せるほぼ全てですが、新たに残念だった

現在は夏前に移った介護施設でスタッフのサポートを受けつつリハビリを継続。「まだまだ書きたいものがある」として、大学ノートに文字を書き続けるなど創作意欲は失われていないという。 安達氏は一連の状況から「当面は新作の発表やサイン会開催は難しい」としながらも、「復帰を諦めておりませんので、寛容なお心でお待ちいただければ」と読者へ理解を求めた。 ■田中芳樹(たなか・よしき)プロフィール小説家。1952年10月22日生まれ。東京都出身。学習院大学文学部史学科卒。 1980年、『緑の草原に…』でデビュー。中国古代史や西洋史への深い造詣、壮大な世界観構築力を武器に、SF・ファンタジー・歴史小説など幅広いジャンルで作品を発表してきた。 代表作である 『銀河英雄伝説』 は、政治・軍事・思想を縦横に描いた大河スペースオペラとして高い人気を誇り、アニメ化・舞台化など多方面へ展開。ほかにも、中華風ファンタジー小
労働基準法が約40年ぶりに大改正される見通しだ。副業やテレワーク、フリーランスなど働き方の多様化が進むなかで、働く人の位置づけや労使関係を根本から見直すことになる。そのタイミングで、高市早苗政権は労働時間規制の緩和方針を打ち出した。両者はどう関わるのか。 労基法制の見直し作業が進行中 高市政権は11月21日の臨時閣議で、物価高対策や戦略分野の官民連携投資の促進などを盛り込んだ総合経済対策を決定した。施策の一つに労働市場改革を挙げ、労働時間法制の政策対応のあり方を多角的に検討するとした。時間外労働の上限規制の柔軟化や裁量労働の拡大などがテーマとみられる。 19年に施行された働き方改革関連法は、時間外労働の上限を「月45時間・年360時間」とし、臨時的な特別の事情があって労使合意した場合(特別条項)でも「月100時間未満(休日労働含む)、年720時間未満」と定め、違反に罰則を設けた。 働き方改

平成初期の日本で「風船おじさん」と呼ばれた50代の男性がいた。通称を鈴木嘉和(よしかず)といったこの人物は、1992年11月23日、滋賀県・琵琶湖の湖畔から、ヘリウムガスを満たした多数の風船に吊られた小さなゴンドラで離陸し、北米を目指して太平洋横断に挑んだ。 だが、その挑戦計画はあまりに杜撰(ずさん)であり、生還の可能性は著しく低かったと言わざるを得ないものだった。(本文:ミゾロギ・ダイスケ)横浜博の会場騒動で新聞沙汰に 太平洋横断挑戦に取り組む前、鈴木氏は1992年4月、東京都府中市の多摩川河川敷から椅子にヘリウム風船4個を取り付けた装置によるテスト飛行を実行した。当初は数百m程度の上昇を想定していたが、砂袋2つを落下させた結果、高度は想定を大きく上回る5000m超に達したとされる。 降下時にはライターの炎でロープを焼き切って風船を切断するという、極めて危険な手段を用いた。機体は最終的


戦後のテレビ草創期から活躍し、ユニセフ親善大使としても活動している黒柳徹子さん。 俳優や音楽家、写真家、研究者など、多彩な人々と交流を重ねてきた黒柳さんは、作家たちとの出会いからも大きな影響を受けてきた。 そのひとりが、文豪・森鴎外の娘であり、耽美な世界観を持つ作家・森茉莉さん。出会ったのは、森さんが80歳を迎えた頃だった。 古びたアパートの一室での一夜や、深夜の長電話の数々。黒柳さんにとって、森さんとの時間は豊かで忘れがたいひとときだったという。 今回は、黒柳さんのエッセイ集『トットあした』(新潮社)から、この稀有な女性との出会いの記憶をお届けする。 黒柳徹子「森茉莉さんのこと――『トットあした』より」 森茉莉さんの小説を、私に激賞したのは三島由紀夫さんだった。 六本木の「鮨長」は三島さんも行きつけにしていて、時おり、顔を合わせた。三島さんの書かれた「熱帯樹」という芝居を観に行ったら、ロ

2022年に安倍元総理大臣を銃撃して殺害した罪に問われている山上徹也被告(45)の裁判員裁判で、山上被告の妹が証人として出廷し、尋問が始まりました。 ■【動画で見る】「2人で児童養護施設に行けばよかった。後悔している」被告の妹が泣きながら語る 山上被告の妹は子供の頃、母親の信仰に反対する祖父に家から追い出されたと語り、「2人で児童養護施設にでも行けばよかった。後悔している」と泣きながら語りました。 また「今まで生い立ちをほとんど話したことはありません。なぜなら、話すと涙が出てきて口に出すのがつらく、つらい思いをなるべく忘れようと生きてきました」と話しました。 また母親が旧統一教会の信仰を始めたころのことについて語り、「受け入れることはできなかった。気持ち悪い」と嫌悪感を示しました。 ■母親の信仰「受け入れることはできなかった。気持ち悪い」法廷で山上被告の妹は、母親が旧統一教会を信仰していた

恐怖マンガの元祖、楳図かずおの死去から1年が過ぎた。海外も含め再び注⽬を集める楳図作品は、⼿塚治⾍が描いた“明るい未来”と対をなし、暗く深い森のような独特の存在感を放つ。⼿塚の批判者として知られる楳図が、マンガ家を志したきっかけは⼿塚作品との出会いだった。楳図はマンガの神様から何を受け取り、何を否定したのだろうか。仕事場に積まれていた手塚作品 楳図かずおは2024年10月28日、療養中のホスピスで88歳の生涯を終えた。筆者は、その少し前に見せてもらった、あるじのいない東京・吉祥寺の仕事場の様子が鮮烈な印象として残っている。床の上に手塚治虫の初期作が5~6冊、無造作に積まれていたからだ。 楳図は手塚に批判的だったことで知られる。代表作の一つ『漂流教室』(1972年)についてインタビューした2022年、こんな言葉を聞いた。 「今振り返ると、手塚治虫さん的な『明るい未来』への反発もあったかもし

徳川慶喜の墓にお参りする山岸美喜さん=東京都台東区・谷中霊園の徳川慶喜家の墓で2025年9月25日、遠藤和行撮影 江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜(1837~1913年)の玄孫(やしゃご)にあたる主婦、山岸美喜さん(57)=名古屋市=が、明治期に創設された「徳川慶喜家」の5代目当主として、「墓じまい」と、慶喜の遺品を中心とした史料の寄贈先探しに取り組んでいる。 8年前に病没した4代目当主の叔父から遺言で慶喜家の財産を全て引き継いだ。 一般の墓や遺品とはケタ違いの規模で、個人が永続的に管理するのに限界を感じて、慶喜家を終わりにする決意をした。 「最後の当主として多くの人に、より慶喜を知ってもらう形にしたい」と願いながら落ち着き先を模索している。 4代目である叔父から引き継ぎ 慶喜は1867年、幕府から朝廷に政権を返還する「大政奉還」で第十五代の将軍職を辞した。 明治に入ってから、徳川宗家(本家)

映画「人間の條件」や黒沢明監督の「影武者」などに主演した日本を代表する俳優で、主宰する「無名塾」で後進の育成に力を注いだ文化勲章受章者の仲代達矢(なかだい・たつや、本名元久=もとひさ)さんが8日午前0時25分、肺炎のため東京都の病院で死去した。92歳。東京都出身。葬儀は関係者で行う。お別れの会は予定していない。 無名塾によると、石川県七尾市の能登演劇堂で5、6月に開いた能登半島地震復興公演で主演した後、「次回公演に向けた稽古を始めていたところ」だったという。 1952年に俳優座養成所に入所。彫りの深い顔立ちと重量感ある演技で注目され、小林正樹監督の映画「黒い河」などに出演した。小林監督の大作「人間の條件」シリーズで、反戦思想ゆえに戦場で苦悩する主人公を演じきり、スター俳優の地位を確立した。 黒沢作品は、「用心棒」「椿三十郎」で三船敏郎さん演じる用心棒と壮絶な一騎打ちを繰り広げる敵役を好演。

ここのところ連続して90歳を迎えた老母の話を書いている。 mazmot.hatenablog.com mazmot.hatenablog.com ほかにネタはないのかと言われそうだが、ネタはある。ただ、タイミングを見計らっているうちにどんどん逃げていく感じで、記事にあげていない。それでもひとつは遠からず書くはず。 ともかくも、今回もその老母のことだ。相変わらず私は数日おきに顔を出して、買い物その他の日常のサポートをしている。だから、高齢者を抱えた世間の人々が経験している介護の苦労のようなものとは、いまのところ無縁だ。基本的な日常生活は、自立している。私の介助は必要としていない。この先、日常の動作が自立できなくなったら、そこからはかなりたいへんだろうと予想できる。だから、できるだけ自立を失わせないようにと、そこは心がけている。 それでも徐々に失われていくものはある。小さなことではある。たとえ
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