まぁ特にネットにおけるコンテンツが多すぎるなぁと思ったので書いてみる。 アニメ好き、漫画好き、本好きは昔からなのだけれど、今はこれらが手軽に見れる読める時代になっていて、まぁそれはネットのおかげだ。 で、コンテンツが多すぎて、もう何がなんだか、という気がしないでもない。 多くの作品が多くの人の目にとまる(可能性がある)場ができたというのは、よいことなのかもしれない。 ただ、あまりにもコンテンツが多すぎて、似たようなストーリー、設定、キャラクターの登場に、食傷気味なのは確かだ。 元々奇想天外というのは好きではないのだけれど、ミステリーは好きなので、最後の最後にどんでん返しがあるような作品は好きだったりする。 その発想はなかった! そう来るとは思わなかった! という作品を探している毎日といってもいい。 最近読んだ作品であれば 烏に単は似合わない 八咫烏シリーズ1 (文春文庫) 作者:阿部 智里

久しぶりにブログを更新しようとして、メモ帳に300字くらい書いたのだけれど、なんというか文章が稚拙で、とてもアップできないと思った。はてなブログの更新の仕方も忘れかけていて、これはヤバいなと。 すっかり文章を書くのが苦手になってしまった。 苦手意識をもってしまうと、それに囚われてしまう。 ストレスという言葉が脳内に浮かぶと、さらにストレスが溜まるような、そんな感じだ。 苦手意識は自分で自分にかけた呪いのようなもの、自己暗示であったりもするだろう。 こうして、書こうと思えば、まぁまぁ書ける。 内容はともかく、なにかしら文章は書ける。 書けるが、誰かに何かを伝えたいとか何か表現したいとか、そういう気迫とかテンションはない。 もっとも、淡々とした飄々とした文章のほうが好きなので、自分が書くものもそうありたいと思っている節もある。 個人のブログだし、別に気負わなくていいわけで、文章が上手とか下手と
どうやら90日以上ブログを更新していなかったようで、 この広告は、90日以上更新していないブログに表示しています。 という表示がががが。 というわけで久々にブログを更新。 といっても普段仕事しかしていないので、特に書くこともなくて、まぁ圧倒的にインプットが少ないわけで。本も読んでいないし、漫画もほとんど読んでいない。 ドラマも映画も見る時間がなくて、このお盆休みには本(漫画)を読んだり、映画(ドラマ)を見たり…普段できないことをしようかと。 そして、読みたい本や漫画や見たい映画やドラマが多すぎて、とても休みの間に全部は無理だと思った。 それでもこの休みを有効に使いたいし、読めるだけ読んで、見れるだけ見て、あとは、いろいろ考えたことを書いておこうとか思っていたり。 記録するというのは、本当に大事なことだと思うわけで、しかしながら、めんどくさがりなので、細かく記録したりはしない。 以前は日誌
引き続き文章に関することをつらつらと書いてみる。 komoko.hatenablog.com komoko.hatenablog.com こういうことを書いているのだけれど、書いて以降も流れるプールで流されるように考え続けていたのだけれど、結局のところ、まずは一生懸命書いてみるところから始めたらいいのではないだろうか、と。 一生懸命というか、真摯に向き合うというか、丁寧に言葉を紡ぐというか、まぁテキトーに書いても面白ければそれでいいのだけれど、自分の性格的にテキトーというのはあまり受け付けなくて、テキトーに見えるけれど、実は計算されている的な文章が好きだったりする。なので、テキトーに紡ぎながら、しかしながら、伝えたいことは明確に。特に私のブログはポエムを書く場ではないと思っているので、ある程度論理的な、読んでわかるものを残すようにしたい。 思いつくままに書いたものは、だらだらとした長文にな
今日も引き続き文章について考えたことを書いてみたい。仕事は山積みなのだが、どこから手をつけてもすぐには終わりそうにない夏休みの宿題のように多種大量なので、せめてブログを書くことで脳内を整理したい。仕事から逃げてる(逃避している)と言えないこともないが、春の嵐で疲労困憊の身、息抜きも必要だ。あるいは……試験勉強をしなければならないのに、机の上や周りを片づけたり掃除を始めてしまうことにも似ている。 komoko.hatenablog.com 上の記事を書いて、読み直して思ったのは、「そうか、私は面白いと思ってもらえる文章を書きたいのだな」ということ。 面白いというのは、主観的なものだ。 私が面白いと思うものが、他の人も面白いと思うかどうか、それはわからない。 「万人に受けるブログはない」というのは、耳にタコができるくらい、窓ガラスに指紋が残るくらい書いてきたことだ。 万人に受けなくても、まぁ

仕事が忙しくて、しばらく更新できないでいた。仕事があるというのはありがたいことだけれど、ストレスも溜まっていく。 他の人のトラブルに巻き込まれたり、思わぬケガをしてしまったり、とあることを知らなかったことで痛い目に遭ったり、春の嵐のような日々に心身ともに疲れてしまって、ふと思った。文章が書きたいと。 文章が書きたい。それも自分が書きたいと思う文章を。 書きたいことを書いてしまえば、脳内は凪ぐのではないだろうか、と。 もちろん、このブログに縛りなく書きたいことを書いてしまってもいいのだけれど、そうしたとしてどれほどの人がその文を面白いと思うだろうか。果たして、脳内の春の嵐を言語化したとして、興味を持ってもらえるだろうか。そもそも読んでもらえるのか疑問だ。 人それぞれ興味を持つことはちがう。また、面白いと思うこともちがう。 自分的には、面白いというのは、なにか発見があったり、知らなかったこと
その5になってしまった。「まだ書くことがあるの?」というより、 komoko.hatenablog.com その4で告知していたフリーレンの2巻の名言の続きだったりする。 葬送のフリーレン(2) (少年サンデーコミックス) 作者:山田鐘人,アベツカサ小学館Amazon 例によってネタバレありなので、ネタバレを踏みたくない人はそっ閉じ推奨。 2巻は名言、心に刺さる言葉が多い。 フリーレンはヒンメルと旅をしていた当時に ヒンメルってよく像を作ってもらっているよね。 葬送のフリーレン(2) (少年サンデーコミックス)より ということを言っている。 その理由を ヒンメルは 皆に覚えていて欲しいと思ってね。 葬送のフリーレン(2) (少年サンデーコミックス)より と言ったりしているが、 一番の理由は、 君が未来で一人ぼっちにならないようにするためかな。 葬送のフリーレン(2) (少年サンデーコミック

「フリーレンを読んで、考えたこと」もうその4になってしまった。 まぁその1の以前にフリーレンについては komoko.hatenablog.com ここで書いているのだけれど、上記の記事はうまくまとまっていない。(テーマが大きいというか重すぎて) とりあえず、上記の記事は「その0」ということでカウントしておこう。 今日もフリーレンを読んで(主に2巻)考えたことを書いてみるので、ネタバレを踏みたくない人は、そっ閉じ推奨。 葬送のフリーレン(2) (少年サンデーコミックス) 作者:山田鐘人,アベツカサ小学館Amazon名言が多いのが2巻だと私は思っていて、 僕はね、 終わった後にくだらなかったって 笑い飛ばせるような楽しい旅がしたいんだ 葬送のフリーレン(2) (少年サンデーコミックス)より というヒンメルの台詞。 とても彼らしい。 思うに根っからポジティブというか勇者気質というかそういう人っ

フリーレンに出てくる<魂の眠る地 オレオール>についてちょっと考えてみたので書いてみる。 葬送のフリーレン(1) (少年サンデーコミックス) 作者:山田鐘人,アベツカサ小学館Amazon葬送のフリーレン(2) (少年サンデーコミックス) 作者:山田鐘人,アベツカサ小学館Amazon ネタバレを踏みたくない人は、そっ閉じ推奨。 実は、ちょっとしたトラブルがあって、落ちこんでいるのだが、そういうときは好きな漫画を読んだり、アニメを見るのがよいと思っている。(いや、落ちこんでいなくても普段もしていることだけれど) 落ちこんでいるときは、とにかくテレビを見ない。特にニュース。ニュースはどうしても暗いニュースを見てしまうし、ネットも同様に、明るい話題ばかりではない。不安を煽るようなそんなものが本当に多い。 不安になるようなものを読んだら、落ちこみがますます深くなって沼から抜け出せなくなってしまう。

「これまでもなんとかなってきたのだから、なんとかなるだろう」というのは、このブログでもよく書いてきたことだ。 この言葉は、ある程度年をとって、経験があるから言えることで、もし経験がなかったら、そうは思えないだろうなと。 つい先日、真っ向から自分の考えを否定されることがあった。仕事に関係することなので、具体的には書けないけれど、少しでもわかりやすくするために書くと、自分ではAという現象が起きて、それはBが原因だと思ったとそう言ったところ、Aという現象はごく一般的によくある現象。それがBが原因だとするのはおかしい、あなたはAという現象にこだわりすぎだ、と。 まぁ結局のところ、Aという現象にこだわりすぎるな、気にするな、スルーしてもかまわないということなのだろう。 自分が問題だと思った現象Aについて、こだわりすぎと言われ、いい気持ちはしない。原因Bも自分なりに考えたものだったが、それについても

葬送のフリーレン コミック 1-12巻セット ノーブランド品Amazon葬送のフリーレン(1) (少年サンデーコミックス) 作者:山田鐘人,アベツカサ小学館Amazon 引き続き、フリーレン(主に1巻)を読んで考えたことを書いてみようと思う。 ネタバレありなので、ネタバレを踏みたくない人は、そっ閉じ推奨。 ヒンメルは、あちこちに彼の像を残していて、それはフリーレンのためだったりする。(あとでフリーレンが思い出をたどれるように) ヒンメルは本当にフリーレンが好きだったんだなぁと思えるエピソードはいくつもあって、しかしながら、フリーレンはエルフという長命種で、人間とは寿命の長さがちがいすぎて、そこのところをヒンメルはわかっていて、深く踏みこもうとしなかったのかなと。 長命種のエルフより人間のほうが先に死んでしまうのは自明の理で、しかもフリーレンの感情の機微は他の人とはかなり違うというか、まぁ一

葬送のフリーレン コミック 1-12巻セット ノーブランド品Amazon 葬送のフリーレン(1) (少年サンデーコミックス) 作者:山田鐘人,アベツカサ小学館Amazon フリーレン、漫画の方の感想というか考察というか、いろいろ考えたことを書いてみる。 ネタバレありなので、踏みたくない人はそっ閉じ推奨。 私の好きなセリフはまぁいろいろあるのだけれど、1巻冒頭のヒンメルの 帰ったら仕事を探さないとな… 大事なことさ。 魔王を倒したからといって終わりじゃない この先の人生のほうが長いんだ。 葬送のフリーレン(1) (少年サンデーコミックス)より いやはや、本当にそうだよ。と激しく頷いてしまう。私の好きなセリフだ。 私の場合、 学校を倒したからって、それで終わりじゃない。その後も人生は続く。 その後の人生の方が長い。 そう言いたい。 日本の学校で言うと、6・3・3で高校までの12年間が終わる。大

「手元に置いて繰り返し読みたい本、その本についてあれこれ書きたいと思うほどの本」に出会ったとして、本の感想をまた書きたくなることもあるかもしれないけれど、それよりは「心の中にしまっておいて熟成させたもの」を文章にしてここに載せたい。 ということを下の記事で書いた。 komoko.hatenablog.com そして、書いて何日も経たないうちにジレンマに陥っている。本の感想を書きたい。やっぱり書きたい。 一読者としての感想で、そんなにたいそうなことは書けやしないのだから、ささやかながら自分のブログの1ページに残したい。 そう思ってしまうのは、自己顕示欲がやっぱり残っているからだろうか。 そもそもこのブログも自己顕示欲、承認欲求から始まったようなものだし、読みたい人が読んでくれればいいというスタンスは変わらないけれど、なんというか存在証明というか、まだ生きている証明にはなるので、更新している
本を書いた人には申し訳ない気もするけれど、自分の感覚で面白くないと思ったら、読むのをやめる。 一度読むのをやめたら、再びその本を読むことはおそらくないだろう。よほどの理由がない限り。 ということを下の記事で書いたのだけれど、 komoko.hatenablog.com 「よほどの理由がない限り」とあるように、読む理由が生じることがある。 理由はまぁその時その時で違うのだけれど、再び読む必要があって、そうすると一度目ではわからなかった面白さが二度目ではわかることがある。特に小説が多いのだけれど、年をとってから読むと「わかる」ものがある。経験の有無が本を読む時の理解や面白さに左右するというのは、ごく最近気づいたことだ。 ある程度年齢を重ねてから読むと「ああ、この感覚わかるなぁ」とか「私も同じだ」とか、おそらく作家の視点と同じ側に立てるのだと思う。 「書いてあることがわかる」がゆえに、時折息がと
komoko.hatenablog.com ここで以下のように書いたのだけれど 丁寧に深く読みこみたくなるような本というのは、感覚でわかる。 「これはずっと手元に置いて、くり返し読みたい本だ」というのは読んでいるうちにわかってしまう。 この本というのは活字に限らず、漫画の場合も多い。 昨年もずっと手元に置いて繰り返し読みたい本を見つけたのだけれど、こういう本はなかなかめぐりあわないように思う。本を読みながら、考えこんでしまうことがある。 考えてしまうと頭の中が様々なものがぐるぐる回る洗濯機状態になる。 いつまでも回り続け、一向に止まる気配がない。 考えながら、時折反論したくなる。 作者(作家)はこう書いているけれど、自分はそうは思わない。 自分は……と自分の考えを吐露し始めたら、書かずにいられない。 過去そういう本や漫画の感想(レビュー)サイトをしていたこともあるけれど、なかなか時間がと
大きな仕事の締切がひとつ終わり、絶賛積読乱読中。 3月はまだ一度もブログを更新していなかったことに気づき、これはいかんな、と。 月に8回くらいは更新したいものだ(希望)。本を読みながら思ったのは、読書の時間のこと。 積読をどんどん読んでいくうち、どうしても面白くないもの、いまいちなものと出会ってしまう。 それをしぶしぶ読み続けるというのは、私の選択肢にはない。 残念だけれど、ぱたんと本を閉じる。電子書籍もしかり。読書は面白い。 しかしながら読書にかけられる時間は限られている。 またすぐに締切に追われるようになる。 それまでのつかの間の時間をどう有効に使うか。本を書いた人には申し訳ない気もするけれど、自分の感覚で面白くないと思ったら、読むのをやめる。 一度読むのをやめたら、再びその本を読むことはおそらくないだろう。よほどの理由がない限り。 思うに、ひきつけられて、あっという間に読んでし
今日で2月も終わりということで、今考えていることをメモしておこう。 これは予約投稿ではないので、あしからず。 この2か月を振り返って、書いて残しておくとしたら、 「読書は、よい。特に小説はよい」ということ。 想像力を鍛えるために読み始めたのだけれど、なんというか、どうして今まで読んでこなかったんだろうと思ってしまう。 読むには読んでいたけれど、偏った一部の作家の作品しか読んでいなくて、ちょっと反省。 そして、小説は、年をとってから読んだ方が面白いということ。 若いころはよくわからなかったことが、年をとって読んでみると「わかる」。 わかると面白い。 年をとるのも悪くないんじゃないかと、そう思えた。 気力、体力は衰えるけれど、精神的な充足を得られるのは年をとってからかもしれない。 精神的な充足とか安寧とか穏やかさといったものは、若い時はなかなか感じられないものだったように思う(私の場合)。 若
自分のことはあれこれ想像する癖に、他者のこととなると想像力に乏しいということで、今あれこれ小説を読んでいる。小説を読み、登場人物の状況や心情をあれこれ想像する。登場人物なので、想像するのはもちろん主人公だけではない。 さまざまな想像をすることで、少しは想像力が鍛えられるのではないか、とちょっと期待しているのだけれど、はてさてどうだろう。 自分が経験したことがないことを小説内の文章だけで想像することはなかなか難しい。 それはリアル(現実世界)であってもそうだろう。 自分が経験したことであれば、ある程度の想像もできるが、経験していないことから想像するとなると、全くの的(まと)はずれな想像をしてしまいそうで、ちょっと怖い。怖いというのは、表現としてどうなのだろう。想像が的(まと)はずれであるのを怖がるのは、自分が正しくありたいと思うからだろうか。 正しさへのこだわりは強いほうだ。強くてうんざりし
komoko.hatenablog.com ↑で書いたものの続きなのだけれど、 ここで私は「想像力が乏しい」と書いたのだけれど、うーん、一概にそうも言えない気もしてきた。 「他者に関する想像力が乏しい」が正確な表現で、自分については、物凄いレベルで想像する。 特に未来、これからについて想像する。想像し過ぎて、不安になる。怖くなる。 まだ現実にそうなっているわけではないのに、もしかしたらそうなるかもしれないという想像で自分を怯えさせている。 我ながら間抜けだなぁと思うのだけれど、いろいろと想像してしまうということは想像力は、まぁそこそこあるのかもしれない。 もちろん、自分の想像力で救われたこともある。過去、小説(ラノベ)を書いていたことがあるのだけれど、それは自分の想像力の産物だ。想像し、言葉を紡ぎ、文章を織っていくのは楽しい作業だ。自分で自分を救う作業を長い間してきた。 今そういった創作活
「本を読むのが好き」と言っても、読む本に偏りがあって、うーん、これって良いことではないな、と。本から得られる知識、その知識の偏り。偏り……うーん、なんというか、頭を抱えてしまう。 偏った知識をどうにかしたほうがいいと思う一方で、その偏りは専門性がある偏り(よく言えば専門的な深みがある知識)ということもできる。(自分を正当化するというか自己保全ぽいこと書いているなぁと我ながら思うのだが) まぁ偏った知識は仕方がないとして、その偏っている(専門的)知識を果たしてどれほど生かせているのかな、と。 知識はあっても想像力がなくて、ただ持っているだけにすぎないんじゃないかと。 私の場合、まったく想像力がないわけではないけれど、想像力が乏しいというか、うん、まぁ、そういうことなんだと思う。 「相手の立場に立って考える」とか「相手が考えることを想像する」というが実は苦手で、苦手ゆえになかなかしようとしな
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