2024年からみて91年前の1933(昭和8)年2月20日正午ごろ、プロレタリア作家の小林多喜二が築地署の特高課員に逮捕されます。そしてその日、午後7時45分に死亡し、その翌日のうちに遺体は自宅に戻されました。「内出血で紫褐色に膨れ上がった両方の股(もも)、これも靴で蹴り上げられた痣のある睾丸、焼き火箸を突き刺したらしい二の腕とこめかみの赤茶けた凹み。ー警察は心臓麻痺だといいはり、あらゆる手を使って司法解剖を妨害した」(講談社・昭和2万日の記録、千田是也「もうひとつの新劇史ー千田是也自伝」より)とあります。 また、江口渙が、引き取った遺体を安田徳太郎医師とともに直接遺体を調べて以下のように記録しています。「すごいほど青ざめた顔は、激しい苦しみの跡を刻んで筋肉のでこぼこがひどい。(略)左のコメカミには今日の10円硬貨ほどの打撲傷を中心に五、六カ所も傷がある。それがどれも赤黒く皮下出血をにじま

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