舌鋒鋭い辛口評論家。多くの日本人は彼のことをそう認識している。 しかし、日本にサッカー文化を植え付けたのはいったい誰だったのか? もう一度考えてみて欲しい。セルジオ越後65歳。孤高の伝道師のルーツを辿った。サッカージャーナリストの草分け的存在として知られる賀川浩は、そのプレーを克明に記憶している。 1974年の日本サッカーリーグ(JSL)第4節、ヤンマーと藤和不動産の一戦が大阪・長居競技場で行なわれた。当時のJSLには日系ブラジル人選手を招いて戦力補強するチームが増えていたが、藤和の8番をつけたセルジオ越後も地球の裏側からやってきた助っ人プレイヤーの1人だった。 賀川は来日当初からそのスピードと卓越した技術に注目していたが、この日瞼に焼き付いたのは派手な足技ではなかった。 ADVERTISEMENT 逆サイドへ長いパスを正確に蹴り出す。広い視野と精密機械のようなコントロールで試合の流れに

日本のアニメ・特撮音楽の礎を築いてきた作曲家・渡辺宙明氏。手がけてきた作品は『マジンガーZ』をはじめとするロボットアニメ、『秘密戦隊ゴレンジャー』をはじめとする戦隊シリーズ、『人造人間キカイダー』『宇宙刑事』シリーズほか多数。このインタビューは、氏の半生をまとめて振り返る初の試みである。 作曲家・渡辺宙明氏 ――最初に作曲家になろうとお思いになったのは……。 「中学1年ごろに、クラスの中の1人がハーモニカを吹いてたんですね。うまかったですよ。そして自分も吹きたくなって、早速、日本橋三越にハーモニカと教則本を買いに行きました。教則本を頼りに練習を始めたのです。当時のハーモニカの楽譜は、数字の楽譜なんですね」 ――音符は書いてないんですか? 「五線譜はないんです。数字だけです。「ド」が「1」で、「ソ」は「5」です。間もなく数字譜を見ただけで歌えるようになりました。そのうちに、作曲家、しかも映画
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