3月11日、震災当日の夜から、多くの報道番組で津波の解説を続けた地震学者がいる。彼はその後、被災地を何度も歩き、津波の実態に迫った。今回は、その学者に取材を試みることで「大震災の生と死」に迫る。 高さ十数メートルの“水の壁”が 視界に入ったときにはもう遅かった 東京大学地震研究所の都司嘉宣(つじよしのぶ)准教授は、3月の震災で発生した巨大津波の特徴を、釜石市(岩手県)で聞き取ったことを基にこのように説明した。 「地震後30分間は、市街地の中では異変を感じなかった。市の広報が、大津波警報の発令を告げるばかりだった。このようにして住民を油断させておきながら、突如、防潮堤の背後に高さ十数メートルの “水の壁”がぬっと現れた。 その壁の頂上から、滝のごとく居住地の中に大量の海水が注ぎ込み始めた。市街地の中の水位は瞬く間に上昇し、ビルの2階の窓から3階の窓、そして4階の窓まで浸水し、反対側の窓から流

増えるワカメちゃん△ ・今まで生きてきて凄く衝撃的だった体験 107度目 917 :おさかなくわえた名無しさん :2013/12/09(月) 14:18:47.02 ID:6kLU28k8 津波ネタなら俺も。 津波当日、仙台新港にあった自動車部品関係の倉庫で働いていたが、調度津波が来た時間に、職場である新港に戻る為、仙台の地元で言う 「産業道路」と呼ばれる道を走っていた。 カーラジオを聞く習慣のない俺は、地震で倉庫・事務所が大変な事態になっているだろうなあ 自宅は女房いるからなんとかなってるか・・・みたいなノリで走っていたのだが、臨界鉄道を潜る前の交差点のとこで、車が前にも後ろにも動かず立ち往生してしまった。 なんだべ~なんて、事の重大さに全く気が付いていない俺だったが、俺の左隣にいたトラック(増えるワカメちゃん作ってる会社)のドライバーが、窓を開けて、俺に「津波来てるってよ、津波だ津波、
>>>トピックス 2025年3月11日 津波防災アニメーションを追加しました。 東日本大震災から5,000日=2024年11月17日 3.11伝承ロードの充実に向けて、本サイトと連携先の取り組みと連携先の動画を追加しました。 2011年3月11日14時46分。東日本大震災は、多くの人命、資産を奪い、我々に大きな爪痕を残しました。 過去から繰り返す津波の悲劇と、その都度建てられた津波石。先祖の代から続く熱い願い。「二度と繰り返してはならぬ」 東日本大震災は、日本の甚大な津波災害を画像・映像等で克明に記録した初めての災害と言われています。 我々東北地方整備局も津波石を残した先祖達のように、同じ悲劇を繰り返さないことを願い、 この被災経験・教訓を活かすための記録を作成したものです。 明日の日本の防災力向上へ向け、皆様と一緒にこの出来事を伝承していくことを強く希望しております。 掲載の写真、映像等
28日の大雨で川が氾濫し、多くの被害が出た山口県萩市では、地元の高校生たちが「LINE」と呼ばれるインターネット上のサービスを使って避難を呼びかけるなどして、地域の人たちの避難に役立てていたことが分かりました。 山口県萩市須佐に住む高校1年生の中村悠里さん(15)は、28日午前10時半ごろ、LINEを使った友人とのやり取りで、自宅の前を流れる須佐川が氾濫しそうなことを知りました。 悠里さんは、母親の里香さん(43)にすぐにその情報を伝え、2人で一緒に自宅から高台にある中学校に車で避難しました。 また、悠里さんの友人からは、LINEを使って道路の通行止めなどの情報も寄せられました。 このLINE上での情報交換は2人の友人や知人に広がり、多くの人がいち早く災害情報を知ることができたということです。 2人の自宅は、避難のおよそ1時間後に床上1メートルまで水につかったということですが、悠里さんは「
岩手県大船渡市の吉浜川河口付近で、津波被害に遭った道路ののり面から昭和三陸津波(昭和8年)の記念碑(縦3・7メートル×横3・1メートル、高さ2・1メートル)が見つかった。地元住民らが先月、巨大な石を発見、手で掘り返したところ、石の表面に「津波記念石」と書かれていたため、今月に入り市が重機で掘り出した。昭和三陸津波で河口から200メートル打ち上げられた巨大な石を、その場で記念碑にしていたが、昭和50年代の道路整備で埋められていた=13日午後(沢野貴信撮影)
デニス・ノーミル(Dennis Normile) 原文:Insistence on Gathering Real Data Confirms Low Radiation Exposures (Science 10 May 2013: Vol. 340 no. 6133 pp. 678-679) (翻訳 山形浩生) 東京: 2011年3月、福島第 1 原子力発電所での惨事が展開する中で、早野龍五は放射性物質の放出についてツイッター投稿を始めた。この東京大学素粒子物理学者は、次第に地域住民の被曝をめぐる論争にますます深く引きずり込まれるようになっていったのだった。当局がきちんとした事実を提供していないことに失望した早野は、学校給食の放射性セシウム検査を始めた。これは福島周辺の環境で最も量の多い放射性核種だ。そして、汚染食物を食べることで地元住民がどれだけ放射性核種を吸収しているか計測しようとし

■設置目的・経緯 過去に経験した大災害について、被災の状況、政府の対応、国民生活への影響、社会経済への影響などを体系的に収集することにより、被災の経験と国民的な 知恵を的確に継承し、国民の防災意識を啓発するとともに、将来の災害対応に資することを目的として、平成15年5月の中央防災会議において本専門調査会の 設置が決定されました。 ■専門調査会の進め方本専門調査会は、以下の点を中心に、災害教訓を計画的・体系的に整理のうえ、概ね10年程度にわたって整理し、教訓テキストを整備することとしていま す。 ○地震、噴火、津波、水害その他の災害種類別の取りまとめ ○被災の状況、政府の対応、国民生活への影響、特別な貢献をした人物とその内容 ■調査結果の活用 義務教育から生涯学習に至るまであらゆる機会を捉えて教訓テキストを活用し、教訓の継承に資することとしています。 ・第1回「歴史災害の見直しと災害教訓の
兵庫県の淡路島で震度6弱を観測した地震に関する大阪府の防災情報メールが府民に配信されなかった問題で、府は14日、メールの元データとなる気象庁提供の地震情報に、日付の前に「きょう」という言葉がなかったため、府の配信システムにエラーが生じていたと発表した。 府災害対策課によると、防災情報メールは気象庁からの地震情報の内容を府のシステムが自動的に読み取り、配信する仕組みになっている。システムは気象庁の情報について、日付の前にある「きょう」「きのう」といった言葉が入っていることを前提にプログラムされているが、今回の情報では地震発生時間の「13日5時33分ころ」の前に「きょう」が入っていなかったため、システムが異常と認識したという。 同課では「表記の変更について、気象庁から連絡はなかった」といい、15日以降、気象庁に確認する。 防災情報メールは府民約10万人が登録している。地震の発生と府内各地の震度
【動画】隕石爆発による衝撃波の映像=日本スペースガード協会・高橋典嗣さん提供隕石(いんせき)による被害が最も大きかったロシア・チェリャビンスクでは、衝撃波で壊れたとみられる窓枠やガラスの残骸が至る所で残っていたという=日本スペースガード協会・高橋典嗣さん提供隕石(いんせき)が爆発した後、爆発地点の真下から西に約150キロ離れた町・サトカで住民が撮影した雲。閃光(せんこう)が走り、逃げ込んだ自宅から撮ったという=日本スペースガード協会・高橋典嗣さん提供チェリャビンスクの地図 【中村瞬】学生らしき男性3人が廊下で話している。いつもと変わらない朝だった。 突然、真っ白な閃光(せんこう)に包まれた。不思議そうに窓の外を見る男性。特に変わったことはない――。しかし2分24秒後、今度は高さ3メートルほどの窓ガラスが粉々に割れ、窓枠も壊れた。廊下を歩いていた女性が崩れるように倒れた。 この映像は、
1923年9月1日の関東大震災で、火災による多数の犠牲者を出したことで知られる本所の陸軍被服廠(ひふくしょう)跡。現在は東京都墨田区の「横網町公園」に名称を変え、震災の爪痕を後生に伝える場として知る人ぞ知るスポットとなっている。だが、関東大震災から89年が経過した今日でも、周辺には火災延焼リスクが指摘される木造密集地域(木密地域)が存在し、発生が予想されている首都直下地震において大きなリスクをはらんでいる。 この地域に建てられた、“新しい防災拠点”としての役割も期待されているのが、世界一高い電波塔「東京スカイツリー」である。開業から7カ月が過ぎ、今なお国内外から大勢の観光客を集める、日本でも有数の人気施設だ。そんな過去の悲劇と今日の活気が交錯する激動のエリアを防災という視点で眺めたとき、周辺地域や墨田区にはどのような変化が起きているのか。防災の鬼こと防災・危機管理ジャーナリストの渡辺実氏が

大槌町小鎚 阿部利和 53歳 「大きな津波が来ます。逃げてください」って町の防災無線から男性の声が聞こえた。聞いてねーって人もいるけど、俺には聞こえたの。その2、3分後に来た。どすーんて、電柱が倒れるような音がしたわけ。どーすんて。で、ベランダあけたら、目の前ががれきの山だよね。家とか物の渦っていうか物体の押し寄せる力が… びっくりした。もうあけたらきてた。あっという間に飲み込まれた。 被災当時は、地元の工場に勤めてた。家から車で5分ぐらいの距離で、普通の地震でながったから、すぐに会社を飛び出して。母親が足腰が悪い、寝たきりじゃないけど、気になって、すぐに家にかけつけた状態。5分ぐらい後に、パートに出てた家内も帰ってきて。 普段の地震でないから避難が必要だけど、母親が足腰が弱くて。身支度して、動きが遅いんで、本人に合わせてた。ゆっくりペースで。そのとき、正直半分はここまではこないだろう。そ
東京や東海全域など日本各地で、超巨大地震が起こる可能性が高まりつつあると言われています。 いつ来るか分からない大地震に備え、常に対策を怠らないようにしましょう。 2011年3.11の震災は甚大な被害をもたらしましたが、その教訓を次なる震災に活かす事が重要です。 3.11の被災者たちの体験談を参考に、日頃から巨大地震への対策を練っておきましょう。 3.11震災を経験した石巻の被災者が、2ちゃんねる(掲示板サイト)に下記のようなスレッドを立て、地震に対する備え方を教えてくれています。 「暇だから被災民が地震に対する備え方答える(その1)」 「暇だから被災民が地震に対する備え方答える(その2)」 全てを読むのは大変なので要点だけをまとめると、まずスレッドその1の>>17の書き込みで、おすすめの備蓄物として以下のものが挙げられています。 ・飲料水20リットル以上 ・食料(麺類/調味
作品について 『ナガサレール イエタテール』ニコ・ニコルソン 2011年3月11日、実家が津波で流された!!! 泣いて笑って建て直す、母娘三代の実録自宅再建エッセイ。 ニコルソンの実家は、宮城県の海沿いの町、山元町。 2011年3月11日、この町を未曾有の大津波が襲った。 「生まれ育った土地に帰りたい」と願う婆ルソンのため、 全壊判定の被害を受けた家の再建を決めた母ルソンとニコルソン。 大工が足りない、お金が足りない、いろんな問題にたくましく立ち向かうニコ家を、更なる激震が襲う......! コミックス 単行本が、書店や電子書店で絶賛発売中!! ナガサレール イエタテール 著者:ニコ・ニコルソン 発行:太田出版 発売日:2013.03.06 価格:952円+税 ◆描き下ろしコラム25ページ&写真多数&あとがきマンガ収録! ◆初版限定☆超豪華応援ペーパー封入! ! ◆16回文化庁メディア芸術
![ナガサレール イエタテール/ニコ・ニコルソン - Ohta Web Comic [太田出版のウェブ漫画]](/image.pl?url=https%3a%2f%2fcdn-ak-scissors.b.st-hatena.com%2fimage%2fsquare%2ffe0003eea804fdd57f0d98bd2423413da43391fa%2fheight%3d288%3bversion%3d1%3bwidth%3d512%2fhttp%253A%252F%252Fwebcomic.ohtabooks.com%252Fimages%252Fietateru_main.jpg&f=jpg&w=240)
台風15号が関東地方に上陸した9月21日、強風と大雨の影響で、首都圏を中心に交通機関が大幅に乱れました。Twitterやはてなブックマークでは、混雑した電車内や駅のホームで車掌や駅員がアナウンスした際の“名言”が話題を集めています。 ▽ 車掌・駅員さんのアナウンスまとめ -Togetter 台風15号は、非常に強い勢力を保ったまま関東地方を直撃しました。この影響により、都心部の交通機関では長時間にわたって運休や遅延が発生。電車内や駅のホームは、会社や学校から帰宅する人で混雑しました。 運行状況が刻々と変わって普段とは違うアナウンスが行われる中、Twitterには、ユーザーが聞いたという車掌や駅員による“名言”が続々と投稿されました。以下にその一部をご紹介します。横浜線の車掌が言った名言。 「横浜線、この電車のみ運転致します。行けるところまで参ります!ご乗車になってお待ち下さい!!」 乗

C大阪怒り心頭 スタンドの「大地震をお祝い」横断幕に抗議

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