原因と結果の法則などと言いますが、先に原因が分かれば誰も苦労はしません。人生も商売もまずやってみて、結果が出たら振り返って、原因を分析しながら一歩ずつ前進する。それ以外に方法はないのです。28店舗の外食店経営の中で、私自身がどのように過去を分析して現在に至っているのか。過去のエピソードを交えながらお話ししたいと思います。 《第10回》目の前にあるのに見えないもの 「ハンバーガー59円、チーズバーガー79円。」 私が1店舗目を開業した2002年、大手ハンバーガーチェーンが大幅値下げを実施しました。 現在の価格と比較してみても約半額。 当時のハンバーガーがいかに安かったかが分かると思います。 すると、その値下げに対抗する形で、今度は大手牛丼チェーンが大幅値下げを発表。 外食業界の大手チェーンが雪崩を打つように値下げ競争に走るタイミングで、私は1店舗目の商品価格を決めざるを得ませんでした。 「ど

SNSを辞めてしばらく経ちますが、最近ようやくSNSが何なのかが見えてきました。 結論から言うと、SNSとは文章と感情を強制的に近づける装置です。本来文章は、感情を警戒し、できるだけ切り離して遠ざける性質を持っています。 そうしないとまともな文章が書けないからです。 これは小説でも論文でも同じです。 文章を書くには一定の知力、忍耐力が必要となるため、昔は特別な技術だったのでしょう。 しかし時代は進みます。教育が普及し、文章は一応誰でも書けるようになりました。 しかし、この時点ではまだ文章は知力と忍耐力を要します。 さらに時代は進み、インターネットが出現し、SNSが浸透した昨今、文章はついに――恐らく人類史上はじめて――感情と直結してしまいました。 人は己の一時の感情をそのまま文章にし、誰のチェックを受けることなく世界に発信できるようになりました。 そのせいで起こる災禍やディスコミュニケ
学会シーズンが近づいてきたので、学会で口頭発表をする先生・院生の皆さんに望むことを書いておきたい。「質疑応答の際は質問に真摯に向き合うべし」云々のような精神論ではなく、ものすごく具体的な話を書く。 こういう話を学会後に書くと、「こ、これは誰々の発表への当てこすりか!?」と勘ぐられる恐れがあるので、シーズンが始まる前に書く。 あと、こういう学術的に問題がある発表を見たら、研究者は「ダメな発表だな」などとSNSで陰口を叩くだけでなく、きちんと批判もしてほしい(まあ、これは別に院生や実務家でもかまわないが)。学会発表のクオリティの低さは、そこの学会会員が今までいかにダメなものを見て見ぬふりをしてきたかのバロメータでもあるはずだから。 1. 無意味なテキストマイニングは禁止 アルゴリズム/機械を経由させれば「科学的」になると思っている人がいるが、テキストマイニングに関しては大間違いである。(そして

もし、このブログの記事をいくつか読まれていて、まあ、このブロガーが強く推す本があれば買って読んでみようか、という人がいたら、これ。『Think clearly 最新の学術研究から導いた、よりよい人生を送るための思考法』。さらに推すと、騙されてもいいかなと思えるなら、ぜひ。 なぜ推すかというと、ああ、これ読んでよかった。もっと若い時に読んでいたらよかったと僕は強く思ったからだ。本来なら、どういう本なのかという話をして、その話で推すというのが正しいありかたなのだが、そこがちょっと微妙な本なのだ。 それでもまず、どういう本なのか、というと、自己啓発書の類である。副題もそれっぽく、そしてサンマーク出版らしく「最新の学術研究から導いた、よりよい人生を送るための思考法」としている。が、実際のこの本は、それほどでもない。また、人生が上向きになる「思考の道具箱」とかいう売り文句もあるが、それも間違いでは
本を書いた。わりと苦労した。内容についてはおいておいて、本を発売するまでにやったことと感想をまとめておく。 私は日本全国に意味の分からないことを調べている人が沢山いるんだろうなと思っていて、そいういう人々が色々と発表するような世の中になって欲しいと考えている。変なものを読みたいからね。なのでが趣味で色々と調べている人の参考になったら嬉しい。 数年に渡って公開をしていく 自分の調べたことを延々と公開していく。自分がスゲー発見したぞッ!! ってなったとして、そういうのもジャンジャン公開する。発見を隠しておいて場所を選んで公開みたいなの、私はあんまり意味ないと思っていて、情報をオープンにしておくとその分野について他人が調べてくれることもある。自分より調べやすい場所にいる人、例えば研究機関に所属している人が調べてくれると素晴しく良くて、品質の高い情報を得ることができる。結果的に、自分が分かる速度も

日産を立て直したゴーンの“洗脳”力 心理学では身体的拘束をして物理的な力で価値観を変える行為を「洗脳」、暴力ではなく社会心理的な手法で人を誘導する行為を「マインドコントロール」(以下、便宜上“洗脳”と表現)と定義づけています。どんな手口があるのでしょうか。 カルト教団や悪徳商法など“洗脳”者は「(1)理想描写→(2)理論提供→(3)現状把握→(4)目標設定→(5)支援表明」という手順の「型」を持ち、これを駆使します。 (1)は、ターゲットとなる人物に接触し、その人の「夢・理想の世界」を一緒に描いてやり、われわれと行動すればそれが実現できると訴えること。ターゲットが「そんなことが可能か」と懐疑的な場合は、すかさず(2)です。こんな理論や法則がある、と裏付けを見せることで安心させ、「ならば、自分にもできるかもしれない」とモチベーションを上げさせる。しかし、ここで一度冷や水を浴びせます。これが(


先日こちらに上げた、「よりよくなろう」と思うこと、というエントリについて、「自分が感じた『よりよい』が、本当に『よい』のかどうか信用できない」という趣旨の意見を言われた方がいた。実にまっとうな疑問であると思うので、ここでその点に関する私の立場からのコメントを述べておきたい。

オリエンタルラジオ 武勇伝 「あっちゃん、渋谷まで山の手線で一本だな」 「いやだ!」 「じゃあ銀座線」 「いやだ!」 「じゃあ半蔵門線」 「いやだ!」 「じゃあ埼京線?」 「いやだつってんだろう!」 「どうして!」 「誰かの敷いたレールの上を走るなんてもうまっぴらなんだよ」 「あっちゃんキャッコイイー!」 日本では、公的なルールというのは、誰にでも平等に適用され、誰もが真剣に守るものではなくて、常に適切なポイントより少し前に置かれる線である。 制限速度が40kmだったら、誰もが39km以下で走るわけではなく、それよりちょっと上の45kmとか50kmで走る。40kmピッタリで走ることは、どちらかと言えば顰蹙を買う行為で、悪くすれば煽り運転とかのひどい目にあう。 ルールというものはそういうもんだということを、学校の中にいる間に体で覚える。校則や先生の言うことをきちんと守る奴は、どちらかと言えば
概要 日本人の独創性や創造性について論じた本は多いが,その中には本質を離れて方法論や技術論に偏ったものが多い.独創を生み出す最も正統的な道は,学問の基本に立ち返り,古代ギリシャの精神を受け継いだ西欧科学の伝統の中で語られてきた先哲の言葉に謙虚に耳を傾けることにある. 目次 第1章 日本人と科学 日本人にも科学ができるか 日本人に科学的独創性があるか 定義を曖昧にする 現実直視を避ける 評価に関する基礎データ ノーベル賞 法則の発見 第三者の評価 議論のすり替え 第2章 なぜ独創性に欠けるか 哲学不在と没個性 哲学への誤解 哲学の必要性 第3章 欧米における哲学の尊重 科学の創造と哲学 哲学と科学の一体化 近代科学の源流はギリシア 第4章 創造性とギリシア哲学 ギリシア哲学の特徴――科学性 論理性 自由性数学の尊重 第5章 中国になぜ近代科学が生まれなかったか――ギリシアとの比較 自然認識
掲題の著者は、そもそも、どのような「立場」から議論しているのかを踏まえない限り、私たちは彼の議論にコミットメントできない。ここでは、それについて少し考察してみよう。 哲学的疑問は理解されない。哲学はつねに無力であり、力があるのは科学や常識や思想である。 ここは、前書きで子どもの頃の体験から述べたものであるが、注意がいるのは 科学 の扱いである。掲題の著者は、科学が「哲学」と「対立」した形で理解されている。彼の言う哲学は、人々から理解されないものであるのに対して、科学は人々に理解される。そういう意味で、科学は哲学を「疎外」している、と彼は解釈する。よって、哲学を行うことは必然的に科学と 戦う ことを意味する。つまり、「科学」以外に世の中には「言うべき」ことがあるんだ、ということを証明することが哲学の役割ということになる。 しかし、五分前に(われわれの記憶とは独立の)過去そのものができたという

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ある議員が「批判なき政治を」というスローガンを掲げました。「批判なき政治とは何だよ? 全体主義だろ」という声が当然のように上がる一方、「大衆にとって、批判は集団の和を乱す行為にすぎない。そういう大衆をちゃんと理解を理解しないとダメだ」という主張も出てきました。 たしかに「批判」は問題を起こすだけ、と嫌がる人は少なくありません。意見・利害も対立し、立ち往生する。だから「決められる政治」という言葉も流行った。しかし、批判して問題を起こし、立ち往生させることは、ホントに悪いことなのでしょうか? 東大ロースクールの初年度の問題は、次のようなものでした。 (1)下線部(a)の花子の設問に、あなたならどう応答しますか。(引用は途中省略あり) 太郎 日本にもやっとロースクールができて、「社会の医師」の養成を質量ともに充実させる時代がきたね。ぼくも今度受験するよ。 花子 「社会の医師」って何? 太郎 法曹
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