・珍スポット写真目次 http://www.kasako.com/japanfototop.html ・太陽公園公式ホームページ http://www.taiyo-park.com/ ・姫路城写真 http://www.kasako.com/0904himezifoto.html <お知らせ> ・好きを仕事にするセルフブランディング術&ブログ術=かさこ塾四期生募集開始。 20名限定。現在10名申込。 http://www.sanctuarybooks.jp/eventblog/index.php?e=739 ・セルフマガジン「かさこマガジン4」無料配布中。 かさこマガジン希望の方は、郵便番号、住所(マンション名など省かず)、お名前、希望部数を、 kasakotaka@hotmail.comまでメールください。 かさこツイッター(お気軽にフォローどうぞ。基本フォロー返しします) http:

廃墟や廃村、秘境などの調査レポートを公開。行政依頼やメディア同行など多方面にその活動方向性を広げ、現在はより詳細な内容をエントリーしています。 茨城県 │ 明野劇場(明野ミュージック/明野第一劇場) 滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 明野劇場 今回はエロいです、エロを見に車内を男っ気ムンムンさせてやって来たのです。何処に来たかと、そう皆さんは仰るでしょう。昭和の謎生業、ストリップ劇場の廃墟なのです。地元では心霊スポットとしても有名らしく、ならば下半身を露出したセクシーなゴーストを激写してやんよ、です。 この明野劇場、裏町営とも噂された曰く漂う物件でして、胡散臭いウチの撮影チームが潜入するにはウッテツケなワケでして。 この地域には営業当時全く娯楽施設が無く、最寄り駅から3キロ以上離れた森の中にポツンと存在していたみたい。ヒッソリと男達の歪であわわな妄想を具現化するべ

10年前の2004年10月4日、当時はまだ銀座にあったT-BOXで、「マルジャーンの絵とイランの絵本展」が始まりました。 「サラーム・サラーム」という名前はその一年後、HPを立ち上げる時に誕生したのですが、わたしたち二人の活動としては今日でちょうど10年ということになります。 10年…。生まれたばかりの子が小学4年生になってるんですから、やっぱりそれなりに長い時間ですね。10年の間にお世話になったギャラリーのみなさま、そこを訪れてイランの絵本を楽しんでくださったみなさま、このブログを読んで応援してくださるみなさま、そして、すばらしい絵でわたしたちを楽しませてくれるモルテザーやマルジャーンをはじめとするイランの作家たち…いろんな形で出会った全ての方に感謝したいと思います。誰ひとり欠けても今日のサラーム・サラームはありませんでした。ありがとうございました。これからもどうぞ、よろしくお願いします

暗越奈良街道 一日目の街道歩き旅 [新石切~南生駒 暗峠越え編] 新石切~暗峠越え~西畑 生駒山の山頂近くにある暗峠を越える道は旧奈良街道。現在は国道308号になっている。しかし暗峠越えは国道とは思えぬ急勾配で道幅も狭い。酷道とも評されるこの道を歩いて越える。 道標 暗峠への道は近鉄東大阪線の新石切駅からスタートする。 約700m南、地蔵堂脇に道標(写真左)が建つ。 東江(へ)すぐ、ならいせ道 とある。ここを右奥へ進む。 奈良線のガード 近鉄・奈良線のガードをくぐり中央奥へ(進入禁止マーク)進む。 国道308号 ここから暗峠へは急坂が続く。 体力トレには、いいかな。 国道だけど、大型車はちと無理なようだ。 勧成院 眼下に東大阪市の町を見おろす勧成院(写真右)。 境内には古い松尾芭蕉句碑(1799建)が建つ。 芭蕉句碑 約100m登ると枚岡神社からの散策路(写真右)と合流する。 手前に歴史の
(→前編から続く) なぜ、コインパーキングのド真ん中に古いバラックが1軒だけ取り残されているのか。前編では、3年前の写真を紹介しながら、暴力団絡みの地上げを経て生まれたこの異様な光景について説明した。 さて、時期は飛んで、2014年9月。この「鳥竹」が、思わぬ変貌を遂げていた。 (なおこの記事には、9月の訪問時に撮影した写真のほかに、10月、フクシ氏が再訪・撮影して提供してくれたものを参考のため掲載しています) 冷麺を食べに行こうと思って歩いていたら、偶然、この現場に辿り着いた。しかし、そこはすでに駐車場ではなかった。 2014年10月(提供:フクシ) 2014年10月(提供:フクシ) 敷地は、工事用のパネルで取り囲まれていた。いや、正確に言えば、駐車場のうち車を駐める枠の部分だけがパネルで囲まれていた。 2014年10月(提供:フクシ) フェンスの隙間から中を覗く。2014年10月(提供

諏訪大社と諏訪神社 諏訪大社は有数の古社です。その奥は深く広く謎めいているので、簡単に伝えることはできません。そのため、下記の項目をメインメニューとし、それぞれがサブメニューにジャンプする方法で紹介しています。
開催期間 2019年8月24日[土]−9月1日[日] 開催地 長野県大町市 木崎湖畔、信濃公堂、西丸震哉記念館、美麻爽風館、木崎湖POWWOW、大町市内ほか 主催 NPO法人原始感覚舎 共催 西丸震哉記念館 アートディレクター 杉原信幸 コーディネーター 森妙子、中村綾花 助成 公益財団法人 朝日新聞文化財団 協賛 西丸真美 (株)山川草木 原始感覚 真摯に自然と向きあう時、人は感覚の原始へと還っていく、その時におのずと生まれる態度が美であり、その術として 美術がある。自然というのは、外に広がる世界だけではなく、自らの身体の中に連綿と受け継がれる生命としての自然 も含まれる。縄文時代から受け継がれる生活の中にあたりまえに美のある在り方こそが、本当の豊かさであり、北アル プスの荘厳な自然に抱かれる木崎湖畔で滞在制作を行い、その地に暮らす人と出会うことでしか生まれえない表現を創 造することによ
28 8月 【池袋の異空間】店内わずか5席!「素うどん四國屋」は物で溢れかえっていた 池袋の「素うどん四國屋」は、店頭が物で溢れかえっている。お客さんが勝手に持ってきたもので、すべて売り物だという。「誰が買うのよ」と思いそうなものだが、これが案外売れてるんだな。 周囲に当サイトを運営していることが周知されてここ数年、知人友人から「自分ではとても入れないけれど、気になるから代わりに行ってレポしてくれ」という依頼をしばしば受けるようになった。今回のお店も、池袋勤務の知人から「異様な雰囲気の店があった。レポよろしく」との知らせをもらった。 件の店は、池袋西口ほど近く、歩いて5分のパチンコ換金所すぐ真横に存在している。 こちらが店の外観。たしかに異様だ。 水が貯めてあるペットボトル、空き缶をぱんぱんに詰め込んだビニール袋、7時間遅れている時計、ジャンルがバラバラな本、そして服。軒先に山積みにされた

鵜原駅から徒歩約7分。リアス式海岸が続く明神岬一帯。大正初期にここを別荘地とする計画があり、「理想郷」と呼ばれるようになった。静かな入り江の彼方に青い海が広がり、散策するには格好の景勝地です。 『鵜原理想郷』は、太平洋の荒波に浸食された、典型的なリアス式海岸です。深い入江を覆うように木々や海岸性の植物が、紺碧の海に突き出た岬の先端まで茂り合っています。その複雑な自然造形に惹かれ、古くから多くの文人墨客などが訪れ、数々の作品を残したほど美しく優れた自然景観をもっています。特に与謝野晶子は、昭和11年4月~5月に友人画伯らと当地に滞在し、76首の歌を詠んでいるほどです。 ◆JR鵜原駅から徒歩約7分 鵜原理想郷は、鵜原地区の南東部に位置し、鵜原海岸を抱くように海に突き出ています。 鵜原理想郷へは、JR鵜原駅から市道を海に向かっておよそ150m進み、T字路をトンネル方向に左折します。鵜原第1トンネ

午王山遺跡第2次調査空撮 環濠(1号溝) 環濠(6号溝) 午王山12次全体写真 午王山13次環濠土層 午王山14次全体写真 住居跡1 第2次西から 第2次調査空撮1 第2次調査空撮2 第2次調査空撮3 第2次調査風景 第5次調査A区環濠(1号溝) 第5次調査環濠(2号溝) 板碑・中世常滑甕出土状況 板碑出土状況1 板碑出土状況2 方形周溝墓確認状況 方形周溝墓全景 午王山遺跡は、武蔵野台地の北東端部、荒川低地を望む標高24~25mの独立丘陵上に位置する弥生時代後期の環濠集落である。昭和53年から15回にわたる発掘調査が実施され、集落の構造が明らかとなった。竪穴建物は弥生時代中期後半から後期の約150棟が検出され、時期により竪穴建物の平面形態に変遷を確認した。 環濠は後期中葉前半に掘削され、後期中葉後半には埋没したと考えられる。ほぼ並行して二重に掘削されており、同時に機能したとみられる。方形
葉山に、怪しい秘湯があると言う。いろいろなネット上の情報を見たところ、野毛の自宅から自転車で行くのにちょうど良い場所のようだ。というわけで、行ってきた。 場所については、行き方を詳しく書いたブログが沢山あるので、適当にググっていただきたいのだけれど。この方のが一番わかりやすいかな hotspring.st - EveryTrailにも今日のGPSログをupしたので、それも参考にしてください。ただし、場所だけ確かめてから行っても、『おいおい、本当にこっちで良いのかよ…』と躊躇すること請け合いなので、常にGPSで自分の位置を確認しながら進むように。縮尺のおおざっぱな地図では絶対に辿りつけません!案内看板も何も無いから 葉山の秘湯 星山温泉へ - biking trip | EveryTrail とりあえず16号線を南下し、汐入の駅辺りで脇道に入る。池上十字路というところで 県道27号線に出て、

千鳥ケ淵戦没者墓苑は、昭和34年(1959年)国によって建設され、戦没者のご遺骨を埋葬してある墓苑です。先の大東亜戦争では、広範な地域で苛烈な戦闘が展開されました。この戦争に際し、海外の戦場において、多くの方々が戦没されました。戦後、戦友等によりご遺骨が日本に持ち帰られ、又昭和28年より海外の遺骨収集が開始されました。この墓苑は日本に持ち帰られたご遺骨において、お名前のわからかない戦没者のご遺骨が納骨室に納めてある「無名戦没者の墓」であるとともに、この墓苑は先の大戦で亡くなられた全戦没者の慰霊追悼のための聖苑であります。現在、371,008(令和7年5月末現在)のご遺骨がこの墓苑に奉安されております。(ご遺骨は軍人・軍属・一般邦人を含む)
妙円寺は、鹿児島県日置市伊集院町にある曹洞宗の寺院です。今より六三〇年程前、室町時代の高僧「石屋眞梁禅師」により、長門の国(山口県)の守護大名「大内義弘公」の息女を供養するため、現在の徳重神社がある場所に建立されました。 後に、島津家十七代当主「島津義弘公」が石屋禅師の教えにいたく感銘し、妙円寺を自らの菩提寺と定めたことで栄え、最盛期には寺領五〇〇石を誇りました。 しかし、明治二年の仏教廃止(廃仏毀釈)によって、妙円寺は完全に焼失してしまいます。その七年後、仏教禁止令が解け現在の地に復興いたしました。 鹿児島県三大行事で毎年盛大に行われる妙円寺詣りは、この妙円寺が発祥の寺です。歴史ある現在の妙円寺を、多くの方々に 知っていただきたいと思っております。

はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です -はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて -はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
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