記事一覧 東京裁判批判に不快感示す 故・米共和党重鎮の書簡全文 (2014年2月1日午後9時39分) 2005、06年、当時のハイド米下院外交委員長が加藤良三駐米大使、ハスタート下院議長に送った書簡。手前が加藤氏宛て(共同) 【ワシントン共同】米共和党の重鎮だったハイド元米下院外交委員長(故人)が在任中の2005年と06年、当時の加藤良三駐米大使やハスタート下院議長に、小泉純一郎首相の靖国神社参拝への懸念を伝えた書簡の全文が1日、明らかになった。東条英機元首相らA級戦犯を裁いた東京裁判批判に対し「歴史の審判は明白だ」と強い不快感を示し、首相以外の閣僚による参拝にも「遺憾」を表明していた。 ハイド氏は共和党下院議員を16期32年務め、拉致問題解決に向けた日本の取り組みを支援した。 書簡は、ハイド氏の外交アドバイザーを務めたデニス・ハルピン氏が所有していた。

この記事は2009年9月18日JANJANに掲載されたのを一部写真など入れ替えております。 「支那人を皆殺しにしてください」と少年少女に言わせる軍国時代 中村大尉事件 今から78年前の昭和6年(1931年)9月18日、旧満州(中国東北部)奉天(瀋陽)の東北約7.5kmの柳条湖で満鉄線路の一部が爆破された。関東軍はこれを口実に張学良軍の駐屯地、北大営を攻撃し始めた。満州事変の勃発である。当時、日本国内では中国軍が攻撃してきたため日本軍が反撃し、衝突が起こったと宣伝されたが、実は関東軍が計画した謀略で、満蒙領有を独自に目指して起こしたものだった。 中村大尉(左)と井杉曹長 筆者所蔵満州事変写真帖より このころ父はまだ小学2年生で政治の事など全く興味がない遊び盛りのやんちゃな少年であった。父が戦前、「義勇軍」に志願して満州に行く話をしていたとき、たまたま満州事変の話になり、「中村大尉事件」を良く

文部科学省は17日、教科書で近現代史を扱う際に政府見解を尊重することを求める内容に検定基準を改正する。今春に申請を受け付ける平成26年度の中学校教科書の検定から適用する。 文科省は「バランス良く教えられる教科書にするため」としている。「南京事件や従軍慰安婦に関する記述が偏っている」との自民党の主張を受けての改正。 これまでの小中学校の社会科、高校の地理歴史と公民の検定基準では「未確定な時事的事象について断定的に記述しない」と規定している。新たに(1)特定の事柄を強調しすぎない(2)近現代史で通説的な見解がない場合は、そのことを明示し、児童・生徒が誤解しない表現にする(3)政府見解や最高裁の判例に基づいた記述とする-を加えた。 文科省の教科書検定審議会では一部の委員から批判も出たが、昨年12月に審議会として改正を了承した。「教育基本法の目標に照らして重大な欠陥があれば不合格にする」との点につ
タブロイド紙サイトとはいえ、まさか「テキサス親父」がメディアに連載コラムを持つようになるとは思わなかった。 【痛快!テキサス親父】「理論」で考える慰安婦問題 “強制された性奴隷”が事実でない証拠 (1/2ページ) -政治・社会 - ZAKZAK 米国の人口(約3億人)で置き換えると、「300万人の米国人女性が強制的に性奴隷にさせられた」っていうのと同じだぜ。この数がどれだけ大きいか分かるだろう。米国なら大問題だ。一体、朝鮮人男性は何をしていたんだ? 俺には理解できない。 従軍慰安婦には日本内地の出身者も多くいた。多くの同胞女性を人道に反する環境においていた軍隊が、植民地出身者の女性を手厚くもてなしたなどと考えられるだろうか。 そもそも軍事国家に支配されている現地人が、宗主国の軍隊制度へ反抗することが困難なことは当然だろう。日本軍が慰安所をつくったのは1930年代と考えられている*1。三一

「集団的自衛権」の見直し、首相の靖国参拝など、周辺諸国から「軍国主義化」の懸念も表明され始めた、このところの日本。では、「あの戦争」を、70年前の日本人はどのように戦ったのだろうか? 『日本人と日本兵』(講談社現代新書)著者の一ノ瀬俊也氏に、敵であるアメリカ軍の目に映った日本兵の赤裸々な姿について話を聞いた。 実は弱かった「日本軍」? ――単刀直入に言って、米軍の日本軍に対する評価はどうだったのでしょう? 高かったのか、低かったのか? 一ノ瀬 同時代の他国陸軍との比較ということであれば、決して高くありません、というより低いです。当時のヨーロッパにおける陸戦はまず航空部隊が敵の正面から後方まで爆撃し、続いて戦車部隊が前面に出て敵陣を突破、これを後続の歩兵部隊が占領するという機甲戦になっていますが、これに関する日本軍の装備・戦術は最後まで日中戦争レベルに過ぎない、という低い評価です。各戦場で相

NHK NEWS WEB の「歴代駐日米大使歴史認識で議論」という記事で「安倍政権の外交政策をテーマにした、歴代の駐日アメリカ大使らによるシンポジウムが、3日、ワシントンで開かれ」たということを知って、主催した「日米の間の交流事業を行っている財団」がどれであるのかを調べていた――モーリーン&マイク・マンスフィールド財団だったのですが――ところ、"Beware the Tomb of the Known Soldier" と題するジェニファー・リンド氏のコラムを発見いたしました。リンド氏と言えば古森義久氏もご推薦のアメリカ人研究者ですから、ニューヨーク・タイムズが真っ赤に見える国士様でも耳を傾けてくれるのではないか、と期待して*1ご紹介します。 リンド氏は記念 commemoration という政治的行為が国内的にも国際的にも対立を生じさせるものだと指摘し、歴史を「ソフトフォーカスレンズ」

日本人の美しき無常感の裏にある、時間がすべてを解決してくれるさ感がもたらすもの。「この世は諸行無常、だから(放置したって)いいじゃないか」なんて。 安倍首相の靖国神社参拝:問題の本質は何か?中国株式会社の研究(238)~東京裁判と国内問題としてのけじめ(1/4) | JBpress(日本ビジネスプレス) ということで宮家先生の興味深いお話。靖国問題の本質について。年もあけたしそろそろ適当なことを書いても許されるかもしれないので以下適当に。 現在の日本国内の議論の混乱は、「東京裁判による戦争犯罪」と「国内政治上の敗戦責任」が混同されたために生じているのかもしれない。 要するに、靖国問題の本質は「東京裁判」や「A級戦犯」が国際法上有効か否かではなく、日本が国家として先の大戦の「国内政治上の敗戦責任」をいかに捉えるか、にかかっている。 安倍首相の靖国神社参拝:問題の本質は何か?中国株式会社の
30分で書いた大晦日の記事がいまだに論議を呼んでいるようだが、話が荒っぽいのでちょっと補足。戦後70年近くたっても「自虐史観」と「皇国史観」が対立するのは困ったものだ。 東京裁判は占領統治の一環であり、敗戦国は何をされても文句はいえない。それが「勝者の裁き」だとか「事後法」だとかいうのは軍国老人の甘えである。当時は国際法上は日本と連合国はまだ交戦状態にあり、日本を無力化してふたたび連合国に宣戦しないようにすることが東京裁判の目的だった。 いまだに「パル意見書」が話題になるのも困ったものだ。安倍氏は第1次安倍内閣のときインド訪問でパルの長男を訪れたりして、意見書を「大東亜戦争」を肯定するものだと思っているようだが、これは誤解である。彼の依拠したのはガンジーの非暴力主義で、安倍氏とは対極の絶対平和主義や世界政府を望んでいたのだ。 保阪正康氏もいうように、パル意見書は東京裁判が政治ショーだという

2009年04月06日15:47 カテゴリBooks 忘れるという合意NHKは、いまだに「ドイツはナチの負の遺産を清算したが、日本は・・・」という図式で歴史を語ろうとしているようだが、これは神話にすぎない。本書は、欧州の戦後処理がいかに首尾一貫しない中途半端なものだったかを具体的に明らかにしている。 西ドイツが「戦後処理」を終えたあとの1951年、バイエルンでは判事・検事の94%、大蔵省職員の77%が元ナチ党員だった。新たに結成された西ドイツ外交団の43%が元SSで、17%が親衛隊かゲシュタポにつとめていた。アデナウアー首相の主任補佐官は、ユダヤ人の「最終解決策」をつくった責任者だった。公職追放された実業家も1950年代前半には「社会復帰」をとげ、ダイムラー=ベンツやクルップなどの経営者になった。 彼らが復権した理由は、日本と同じである。冷戦が始まり、経済の再建に彼らの力が必要だったから

『風立ちぬ』や『永遠の0』など昨年はなにかと話題になったゼロ戦や特攻隊員たち。その特攻隊の生き残りとして生きてきた男たちが真実でリアルな人生を語る! *** 早稲田大学の1年生だった江名武彦さん(90歳)は、昭和18(1943)年の12月に学徒出陣。その後、彼は海軍に入隊して特攻隊員になった。ゼロ戦、そしてカミカゼ。現在では神格化されたキーワードだけど、その身近にいた若者たちはちょっとリア充で、ユーモアもあり、今の若者と変わらない男たちだった。 ―昭和16(1941)年の12月8日。開戦の日は何をしていましたか? 江名 高等学校のときですね。新宿で映画を観ていました。ジェームズ・スチュアートが主演の『スミス都へ行く』を、今でも新宿にある武蔵野館で観ていました。 ―開戦しているのに、アメリカの映画を観て大丈夫だったんですか? ひ、ひ、非国民なんじゃ!? 江名 全然大丈夫ですよ。その後、海軍の


- 93 - 1945 1945 1945 1950 Distanzierung 1945 1945 1945 1945 Martin Broszat Hermann Lübbe 1945 - 94 - 20 1945 1945 1930 1940 Distanz 1945 Kontinuität 1945 - 95 - 1945 1945 1945 4 4 4 4 - 96 - 1945 1945 4 4 4 1933 1950 1945 1949 1949 9 20 1949 1914 1945 8 - 97 - 1946/47 4 4 4 1947 “the people” 1946 1945 1945 - 98 - 1943 1945 8 16 8 15 1945 8 27 - 99 - 1950 2495 1952 467 1954 183 1957 240 4 4 4 4 4

安倍晋三首相の靖国神社参拝をめぐって、NHKなど一部のメディアが「『不戦の誓い』をした」などという首相の説明を無批判に流しています。靖国神社とは何か、首相の参拝がなぜ世界から厳しい批判をあびるのか、問題の根本を説き明かした報道はほとんどみられません。靖国神社のそもそもを知れば、首相の参拝が「内政問題」や「内心の自由」では絶対に片付かない、深刻な問題であることがはっきり見えてきます。 戦前・戦中はどんな施設戦争動員の精神的支柱 靖国神社は、明治時代の1869年、新政府軍と旧幕府側との間で戦われた戊辰(ぼしん)戦争で戦死した軍人をまつるために創建された「東京招魂(しょうこん)社」が前身です。79年に「靖国神社」へと改称。「別格官幣(かんぺい)社」という特別の社格を与えられ、国家神道の中心的神社と位置づけられました。 一般の神社とは異なり旧陸軍、海軍両省が管理する軍事的宗教施設でした。明治維新


黒色中国 @bci_ ▼以前から、中国軍に「従軍慰安婦」はなかったのか?というのが気になっていた。断片的にそういう話をみつけることはあったけれど、まとまった形のものはなかった。ところが思いがけないところで、中共軍の「性」の問題の解決方法を、発見することになった… 2014-01-10 09:27:15 黒色中国 @bci_ ▼廖亦武の『中国低層訪談録』 http://t.co/uAdwuyP0IL の中に「辺境首尾開拓団女性兵士の息子」というインタビューがあり、それによると、1950年代に新疆へ送り込まれた軍隊では女性不足が深刻であったため、女性を騙して「兵士」にし、新疆へと送り込んだらしい… 2014-01-10 09:32:29 黒色中国 @bci_ ▼メディアなどを通じて、「女性兵士」熱を盛り上げて、兵士になったら、後は全て「軍事機密」として詳細を教えずに、新疆へ送り込んで、先に現地

中国吉林省の档案館(資料館)は、旧日本軍が残した資料から、中国の慰安婦に関する新たな記録が見つかったと明らかにした。国営新華社通信が9日伝えた。尖閣諸島(沖縄県石垣市)をめぐる対立や歴史問題で、中国は対日批判を強めており、これまで外交カードとしてこなかった慰安婦問題も今後、圧力の材料として取り上げていく可能性がある。 档案館によると、資料は、旧日本軍が東北地方を統治していた1931~45年の10万点以上。敗戦後、軍は焼却処分できなかった資料を埋めたとみられ、50年に建設工事の際に発見されたという。 档案館は昨年調査チームを立ち上げたとしており、尖閣をめぐる対立などで日中関係が悪化したのを受けた動きとみられる。 慰安婦に関して(1)旧日本軍による慰安婦徴用費用に関する銀行記録(2)江蘇省南京市周辺に設置された慰安所の状況-などの資料が見つかったとした。档案館は「多い時で1人の慰安婦が10日間

ここに、名簿がある。「日人惨殺華工之調査」。関東大震災直後、被災地で虐殺された中国人について、当時、東大農学部で学んでいた王兆澄らが調査し、まとめたものだ。日本人が混乱に乗じて虐殺したのは、朝鮮人だけではなかった。それを示す第一級の史料は、外務省外交史料館(東京都港区)でひっそりと公開されている。だが名簿の存在はおろか、中国人虐殺自体について知る人も少ない。政府が負の歴史に目をつむる傾向にある中、研究者も逆風にさらされている。 名簿には、被害者の氏名、年齢、原籍、被災前住所などとともに被害の日時、場所、加害者、凶器、被害状況などが書かれている。死者には「死」、受傷者については「頭上四刀右腰一刀」といった詳しい状況も記されている。 日時は震災直後の9月2日や3日が多く、被害場所としては「大島町」を中心とした東京都内のほか、「神奈川縣」という記述も散見される。中国、特に地理的に日本と近い温
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く