2025/08/26 (火) 変わりゆく夏。 ■ 酷暑はひどくなり、私はますます老化する。考えてみたら5月末以来ゴルフに行っていない。去年は7月には33度の暑さでも頑張ったのに。ただし、その後は10月まで3ヶ月ブランクがある。やっぱり暑さがこたえたのか。映画も7月の「F1」が最後だ。映画館へ行かない映画監督に成り下がった。心から見たい映画もなかったのだが、トイレのことを考え、行き帰りの暑さを思うと「今、見なくてもいいか」になってしまう。 そうだ。前回、「スノーフォール」沼でもがいていると書いた。あのシリーズは6シーズンあったが、私は4シーズンの途中で、リタイアだった。話がどんどん陰惨になって、誰がどう死のうと勝手にくたばれの気持ちになってしまった。 第4シーズンといえば、このシリーズ立ち上げのメイン、ジョン・シングルトンが亡くなった翌年のシーズンだから方向性が変わってしまったのかもしれない
369回 『陰謀論と排外主義』という今読むべき本 今まで選挙に興味を示したことすらなかった知人と久しぶりに会ったら、参政党に投票していたという体験をして頭を抱えたくなった人も多いかもしれない。 Xで相互フォロワーだった人がそれまで政治的な投稿をしていなかったのにいつのころからか、河合ゆうすけやへずまりゅうをRPしていることに気付いて驚いたことのある人もいるだろう。 直接の知り合いではないがSNS上でよく見かける同じ趣味を持っているアカウントが平野雨龍のことを「日本を救う逸材」であると褒めたたえていたり、さとうさおりを応援しているのに気付いてしまった人もいるかもしれない。 好きなアーティストのライブの後にアーティストの名前で検索してみたら、奈良公園の鹿や中国人留学生について何やら義憤にかられた発言をしている人が同じ会場にいたことを知るという経験をした人もいるだろう。 いや、これを読んで「それ

後日談 この次の日、実物を持ってきてくれました。 うん、全然セーフ! お忙しい中、ご対応ありがとうスンマセン。 (ブコメを読んでいて) 以前はライオンの猫砂は使ってた。それは破れてた事はなく、いま使ってるのはアイリスオーヤマの砂→ https://amzn.asia/d/2EkReX5 (レビューを参考されたし) 要因のひとつに袋が7L入り~で、ライオンのより大きく扱いづらいからではないかという気づき。 それからクロネコの拠点ではないかという指摘と、ベルトコンベアの体験談。 ここ2ヶ月破れがないのはそこなのかしら?という気がしている。 ともあれ猫砂の宅配は本当に助かっているので、 ありがとうベルトコンベアの人ありがとう(字余り) --- --- 今日は休日だ。 タイトルのまんまなんだけど、猫のトイレ砂(猫砂)をネットで買っている。猫砂は重いので、同じような人はそこそこいると思う。 で、い

どんなにダサい分野でも、「批判的(critical)」という語をつければ少なくとも多少はかっこよくなる、というのは学術の世界において語られざる前提となっているように思われる。そのため、時を経るごとに、「批判法学」や「批判的人種理論」だけでなく、「批判的コード研究」だとか「批判的大学研究」まで現れだす始末だ。私のお気に入りは「批判的ジェノサイド研究」である。従来のジェノサイド研究は、ジェノサイドという現象にあまりに甘かったという含みを持たせているのだ。 実際、私たちは「過剰批判(overcritique)」の時代を生きている。その大きな帰結の1つは、アカデミアの中で「批判それ自体への批判」という動きが活発になっていることだ。雰囲気を掴んでもらうために、トム・ボーランド(Tom Boland)の著書『批判のスペクタクル(The Spectacle of Critique)』の冒頭に位置する印象


加工事業本部マーケティング統括部 マーケティング室ブランドマネジメント課課長/岡村香里さん(右)、同商品開発室ハムソー商品開発課課長/加藤安太朗さん(左) - 撮影=プレジデントオンライン編集部 日本ハム「シャウエッセン」が2024年度の売上高で過去最高額を更新した。その後押しになったのが、期間限定で発売した「シャウエッセン 夜味」だ。背景には、「暗黙のルール」と向き合う社員たちの奮闘があった。日本ハム加工事業本部マーケティング統括部の担当者2名に話を聞いた――。 【写真をみる】現在販売している「シャウエッセン 夜味」 ■購買層は60代以上が中心、朝食べることが多かった 2025年に発売40周年を迎えたウインナーブランド「シャウエッセン」。日本ハムの事業の柱であるハム・ソーセージ類の中でも特に人気が高く、同社において主力中の主力と言える商品だ。 その2024年度の売上高が、約800億円と過


はじめに 正直に言う。この文章を書くかどうか、ずいぶん迷った。「専門家はもっと声を上げるべきだ」という意見に対して、「いや、話さないんですよ」と返すのは、なんだか後ろ向きに見えるかもしれない。諦めているように聞こえるかもしれない。そういう風に受け取られるのは、ちょっと嫌だな、と思った。 でも、書くことにした。なぜなら、「話せばいいじゃん」「振りかざせばいいじゃん」という言葉に、ずっと違和感を抱えてきたからだ。その違和感の正体を、自分なりに言葉にしてみたかった。これは、専門家として組織の中で働いてきた、私個人の経験と考えだ。すべての人に当てはまるとは思わない。でも、同じような経験をしている人が、もしかしたらいるかもしれない。そういう人に届いたらいいな、と思いながら書いている。 「専門性の刃で殴りかかってこい」への違和感 「専門家が『力』をセーブせずに全力で専門性を振り回してもリスペクトされる

月曜日に入院。血液検査とかレントゲン、検温で熱あり。 火曜日手術。朝の8:50から。病室を出るとき、自分のバッグのポケットがことごとく開いているので、看護師さんに閉めた方がいいと言われる。 手術室までは歩き。眼鏡着用を希望していたのでよく見える。見えないと危ない。手術室前で何度も本人確認。「なんの手術ですか?」という問いに、むちゃくちゃ噛んで「大腸せちゅじょと、人工造設です」とか言ってしまう。 手術室。まずは麻酔。ここではまだ眼鏡をしていて、部屋の中に折りたたまれているDa Vinci Xiを見た。その後眼鏡外されたか。 麻酔は腕から。点滴で少しぼんやりしたところで、背中のに。最後の麻酔医診察で「背中のは痛いですか?」と聞いたら「下手な人がやると痛いです」と答えた麻酔医その人がやってくれた。強い痛みというより、奥深くに刺さってくる妙な感じ。 続いて口にガス。最初は酸素が流れている。なんかこ

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