ヒット曲「出発(たびだち)の歌」などで知られ、舞台やドラマでも活躍した歌手で俳優の上條恒彦さんが7月22日、老衰のため長野県の病院で死去した。85歳。長野県出身。葬儀・告別式は親族で行った。喪主は妻悦子(えつこ)さん。

【2月25日 AFP】1963年に当時のジョン・F・ケネディ米大統領が銃撃された際、銃声を聞いてとっさにリムジンに飛び乗り、身をていしてケネディ氏を守ろうとした大統領警護隊(シークレットサービス)の元警護官、クリント・ヒル氏が21日、死去した。93歳。シークレットサービスが公表した。 ヒル氏はカリフォルニア州の自宅で亡くなった。ヒル氏についてシークレットサービスは、ケネディ家と、その他4人の大統領への「揺るぎない献身と並外れた奉仕」をたたえた。 1963年11月22日、ケネディ氏がテキサス州ダラスを訪れた際、ヒル氏はファーストレディのジャクリーン氏の護衛チームに加わっていた。 オープンカーに乗っていたケネディ氏がリー・ハーベイ・オズワルドに狙撃されると、後続車に乗っていたヒル氏は、夫妻の盾になろうとリムジンの後部に飛び乗った。 大統領暗殺という悲劇的な出来事は、ケネディ氏夫妻が搭乗するリム

【12月30日 AFP】第39代米大統領(1977~1981年)を務め、ノーベル平和賞を受賞したジミー・カーター氏が29日、100歳で死去した。同氏が設立した非政府組織(NGO)カーター・センターが明らかにした。存命中の元米大統領として、最年長かつ米史上最も長寿の大統領だった。 カーター氏は昨年2月中旬から、生まれ故郷のジョージア州プレーンズの自宅で終末期ケアを受けていた。カーター・センターによると、「家族に囲まれ、穏やかに」亡くなった。 カーター氏は海軍を経て、故郷プレーンズでピーナッツ農園を経営。ジョージア州知事を務めた後、1976年の大統領選に民主党候補として出馬、当選した。 任期中は人権と社会正義への取り組みを掲げ、1978年の「キャンプ・デービッド合意」ではイスラエル、エジプト間の和平を仲介した。 一方、カーター政権は多くの難題に直面し、1980年には在イラン米大使館人質事件で米

Published 2024/11/19 07:35 (JST) Updated 2024/11/19 10:57 (JST) 親しみやすい言葉による詩や翻訳、エッセーで知られ、戦後日本を代表する詩人として海外でも評価された谷川俊太郎(たにかわ・しゅんたろう)さんが13日午後、老衰のため死去した。92歳。東京都出身。葬儀は近親者で済ませた。喪主は長男賢作(けんさく)さん。 父は哲学者谷川徹三。10代で詩作を始め、1952年、20歳の時に第1詩集「二十億光年の孤独」でみずみずしい言語感覚を持つ戦後詩の新人として注目された。 詩人の川崎洋さんと茨木のり子さんが創刊した詩誌「櫂」に参加。現代詩に限らず、絵本、翻訳、エッセー、童謡の歌詞、ドラマの脚本など半世紀以上にわたって活躍した。「朝のリレー」など国語教科書に採用された詩も多く、幅広い年代の人々に愛読された。 他の詩集に「六十二のソネット」「こ

さらに「田中敦子を愛してくださったファンの皆様、生前お世話になりました業界関係者の皆様、本人に変わりまして深謝いたします」「このような形で親子関係をお伝えすることになりまして、非常に残念でなりません」とコメント。 「約1年に及ぶ闘病生活も含め、真面目で凜々しく、ちょっぴりお茶目な、田中敦子らしい人生だったように思います」「こんなに自慢の母を持つことができ、本当に幸せです」と母への思いをつづりました。なお、敦子さんの生前の意向により、具体的な病名は伏せるとしています。 文書の最後は、「田中敦子が真摯に携わってきた作品を、田中敦子が愛情を注いできたキャラクターを、田中敦子という声優をどうか忘れないでください」「尊敬する女優/声優であり、愛するお母さんへ愛を込めて」と締めくくりました。 この訃報を受けて、ネットでは「衝撃過ぎてまだ理解できません」「61歳……本当にまだ若すぎる」とショックの声が。

Published2023/08/28 18:46 (JST) Updated2023/08/28 20:29 (JST) 東京12チャンネル(現テレビ東京)のスポーツアナウンサーとして20年間、「三菱ダイヤモンドサッカー」を担当するなどサッカー実況の草分けだった金子勝彦(かねこ・かつひこ)さんが20日午後5時59分、肺炎のため横浜市戸塚区の病院で死去した。88歳。横浜市出身。葬儀・告別式は近親者で済ませた。喪主は長男毅彦(たけひこ)さん。 1964年に毎日放送から東京12チャンネルに移り、同年の東京五輪開会式を実況した。68年に始まったダイヤモンドサッカーでは、解説の故岡野俊一郎さん(後の日本サッカー協会会長)とのコンビで、当時情報の少なかった欧州サッカーやW杯などを紹介した。

映画「フラガール」に登場するダンサーのモデルとなった初代フラガールの小野恵美子(おの・えみこ)さんは4日午前6時30分、いわき市の老人福祉施設で死去した。79歳。自宅はいわき市平南白土八ツ坂。葬儀は10日に家族葬で行う。後日、いわき市内でお別れの会を開く予定。喪主は夫英人(ひでと)さん。 小野さんはいわき市(旧内郷町)出身。磐城女(現磐城桜が丘)高卒。常磐炭礦(たんこう)東京本社(現常磐興産)に入社し、1965年に常磐音楽舞踊学院に1期生として入学。常磐ハワイアンセンター(現スパリゾートハワイアンズ)の舞台に立った。76年、結婚を機に引退した後は、エミ・バレエスクールを主宰した。常磐音楽舞踊学院でも指導する傍ら、自らも舞踊家として公演を続けた。 2011年に英人さんとともに、高校生がフラ日本一を競う「フラガールズ甲子園」を創立し、現在まで続いている。映画「フラガール」では女優の蒼井優さん、

2000年に芸能界を引退した元タレントの上岡龍太郎さんが、5月19日に大阪市内の病院で肺癌と間質性肺炎のため死去した。81歳だった。2日に米朝事務所が報告した。 上岡さんは1942年3月20日生まれ、京都市出身。横山パンチの芸名で、60年に横山ノックさん、横山フックさんと「漫画トリオ」を結成。68年に解散後は、テレビやラジオ番組の司会などで、絶妙な笑いを交えたトークを繰り広げ、関西を中心に絶大な支持を誇った。 笑福亭鶴瓶と共演した『鶴瓶上岡パペポTV』や、初代探偵局長を務めた『探偵!ナイトスクープ』をはじめ、『上岡龍太郎にはダマされないぞ!』などヒット番組多数。「東京嫌い」で知られたが、全国ネットの番組でも人気となった。 講談師としての顔や、劇団の主宰、さらに阪神タイガースのオーナーを気どるなど、幅広い知識を生かし、大阪文化をけん引。「芸能生活40周年で隠居する」と公言し、惜しまれながら2
『忍者ハットリくん』などで知られる日本を代表する漫画家の藤子不二雄Aさん、本名・安孫子素雄さんがきょう午前、川崎市内の自宅で亡くなったことがわかりました。88歳でした。 警察によりますと、きょう午前8時40分ごろ、川崎市多摩区の藤子さんの自宅から「敷地内で男性が倒れている」と110番通報がありました。 警察官が駆け付けると、自宅の敷地内で藤子さんが倒れていて、その場で死亡が確認されたということです。警察で藤子さんが亡くなったいきさつについて調べていますが、捜査関係者によりますと、遺体に目立った外傷などはないということです。 藤子さんは『忍者ハットリくん』や『怪物くん』など子ども向けの漫画から、『笑ゥせぇるすまん』といった大人も楽しめる漫画まで幅広いジャンルの作品を生み出してきた日本を代表する漫画家の1人でした。

『ゴルゴ13』などの作品で知られる漫画家さいとう・たかをさんが、すい臓がんのため24日午前10時42分に亡くなった。84歳。なお、さいとうさんの生前の遺志により、『ゴルゴ13』は今後も、さいとう・プロダクションや脚本スタッフなどが協力し連載を継続することも発表された。 「氏には創刊の年から53年続く看板連載作品『ゴルゴ13』のご執筆のほか言葉に尽くせぬお力添えを賜りました。生前のご功績に心から賛嘆と感謝を申し上げ、謹んで氏のご冥福をお祈りいたします」と悼んだ。 さらに「だが、物語は続く」とし、さいとうさんの遺志をついで『ゴルゴ13』の連載を継続することも発表。「さいとう氏は生前から「自分抜きでも『ゴルゴ13』は続いていってほしい」という、いわば分業体制の究極とも言えるご希望を持たれ、さいとう・プロダクションを、そのような制作集団として再構築されました」と説明した。 その上で「今後は、さいと
柔道金メダリストの古賀稔彦さん死去 53歳、「平成の三四郎」 2021年03月24日22時16分 古賀稔彦さん(柔道五輪金メダリスト) 柔道で1992年バルセロナ五輪男子71キロ級金メダリストの古賀稔彦(こが・としひこ)さんが、24日午前9時9分、がんのため療養中、川崎市内の自宅で死去した。53歳だった。佐賀県出身。葬儀は妻早苗(さなえ)さんを喪主に執り行われる。 【関連ニュース】「平成の三四郎」古賀稔彦さん死去 柔道の名門私塾「講道学舎」で鍛え、豪快な一本背負い投げを武器に「平成の三四郎」の異名を取った。2度目の五輪となったバルセロナ大会では日本選手団主将も務め、直前の左膝の負傷を乗り越えて金メダルに輝いた。96年アトランタ大会では78キロ級で銀メダルを獲得。 体重無差別で争う90年の全日本選手権では最後に小川直也に敗れたものの、体重差をはねのけて決勝まで進出した。世界選手権は3度制覇。

日本を代表するドラム奏者の村上“ポンタ”秀一さんが3月9日、視床出血のため東京都内の病院で死去したことが15日、分かった。70歳。兵庫県出身。

新型コロナウイルスに感染し、入院して治療を受けていたコメディアンの志村けんさんが29日夜、新型コロナウイルスによる肺炎のため東京都内の病院で亡くなりました。70歳でした。 志村けんさんは3月17日にけん怠感などの症状が出たあと、東京都内の病院で重度の肺炎と診断されて入院し、25日に所属事務所が新型コロナウイルスへの感染を公表しました。 その後、治療が続けられていましたが、事務所によりますと、29日午後11時すぎ、新型コロナウイルスによる肺炎のため、東京都内の病院で亡くなったということです。 志村さんは昭和25年に東京 東村山市で生まれ、高校時代に、いかりや長介さんをリーダーとする人気コミックバンド「ザ・ドリフターズ」の付き人となり、昭和49年に正式なメンバーとなりました。 民放の公開バラエティー番組「8時だョ!全員集合」では持ちネタの「東村山音頭」や、チョビひげ姿で加藤茶さんと踊る「ヒゲダ

大ヒット曲「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」などで知られる歌手の西城秀樹(さいじょう・ひでき、本名・木本龍雄=きもと・たつお)さんが16日、横浜市内の病院で急性心不全で死去したことが17日、分かった。63歳。通夜は25日午後6時、葬儀は26日午前11時、東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所で。喪主は妻、木本美紀(きもと・みき)さん。 広島市出身。昭和47年、「恋する季節」でデビュー。49年の「傷だらけのローラ」がヒットし、NHK「紅白歌合戦」に初出場を果たした。54年には「ヤングマン」で日本歌謡大賞などを受賞。高い歌唱力とともに派手な衣装とパフォーマンスも話題を呼び、郷ひろみさん、野口五郎さんとともに「新御三家」として、多くの女性ファンの支持を集めた。映画「愛と誠」やテレビドラマ「寺内貫太郎一家」などでは俳優としても活躍。また、バラエティー番組やハウス食品の「バーモントカレ

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