約16万人が避難を強いられた福島第一原発の事故。着の身着のまま故郷を追われた住民たちは学校の体育館や企業の施設などに身を寄せた。中でも約3000人が集まり“最大規模の避難所”と呼ばれたのが原発から約60キロ離れた交流施設「ビッグパレットふくしま」だった。通路は雑魚寝する避難者で溢れ、衛生状態が悪化。感染者が急増し「人が死ぬかもしれない」という極限状態だった。プライバシーの確保もできず、故郷への帰還も見通せないまま、皆が疲弊する…。避難所の運営責任者だった男性は「人と人とのつながりを紡いでいく」ことで避難者の笑顔を取り戻した。男性は今、その経験を全国で伝えている。そして、危機感を募らせている。「日本の避難所は100年変わっていない」。 「人が死ぬかもしれない」極限状態の巨大避難所2011年3月11日の巨大津波、その直後の福島第一原発の事故により、福島県沿岸の住民たちは各地の避難所へ一斉に避難

東日本壊滅はなぜ免れたのか? 取材期間13年、のべ1500人以上の関係者取材で浮かび上がった衝撃的な事故の真相。他の追随を許さない圧倒的な情報量と貴重な写真資料を収録した、単行本『福島第一原発事故の「真実」』は、2022年「科学ジャーナリスト大賞」受賞するなど、各種メディアで高く評価された。今回、その文庫化にあたって、収録内容を一部抜粋して紹介する。 失われたチャンス 1号機爆発まで22時間52分 全電源喪失から1時間あまりが経った午後4時44分。事故対応の鍵となる重要な情報が中央制御室に入ってきた。「ブタの鼻から蒸気が出ている」免震棟と中央制御室を結ぶホットラインを通じてだった。 当直長の指示を受けて免震棟にいた発電班員が、外の駐車場に出て、1号機の原子炉建屋西側の壁に排気口の穴が2つ並んでいる通称ブタの鼻を見に行っていた。発電班員は、向かって左側の穴からモヤモヤと蒸気が出ているのを確認

東京(CNN) 2011年3月の東京電力福島第一原発事故をめぐり、業務上過失致死傷の罪で起訴された東電の旧経営陣3人に対し、東京高等裁判所は18日、一審判決を支持して無罪の判決を下した。 勝俣恒久・元会長、武黒一郎・元副社長、武藤栄・元副社長の3被告は19年、東京地裁で無罪の判決を受けていた。 高裁の審理では、被告らが津波の発生を予想し得たか、事故を防ぐことはできたかが争点となった。 原発事故をめぐっては、東電の株主が12年に損害賠償訴訟を起こし、東京地裁が昨年7月、元会長ら3被告と清水正孝・元社長に東電への賠償金13兆円を支払うよう命じていた。旧経営陣の法的責任が認められたのは、これが初めてだった。

たに・けんいち/作家・演出家・翻訳家。1982年生まれ。大学在学中に劇団「DULL-COLORED POP」旗揚げ。劇団第24回本公演『プルーフ/証明』(翻訳・演出、作:デヴィッド・オーバーン)が公演中。(撮影:横関一浩) 今年1月、劇作家の谷賢一さんは、飯舘村職員の大森真さんに会うため、飯舘村交流センターふれ愛館を訪れた。2017年に避難指示が解除(長泥地区を除く)されてから5年。村民およそ5000人のうち、村内で暮らす人は1476人(2022年2月時点)。うち193人は、事故後に転入した新規移住者である。 谷「ぼくが初めて来たころは、いたるところに汚染土の入った黒いフレコンバッグが積まれていましたよね。当時は飯舘に限らずどこもそうでしたけど、やはりショックでした」 大森「ここから見える景色も、向こう側が全部真っ黒だったからね」 谷「こうして、のどかな美しい風景になったのは感慨深いです。

東日本大震災の対応に当たった宮城県警職員の手記集「あの日、あの時、あの思い」が出版された。沿岸部の署長のほか、遺体の身元確認を担当した刑事ら25人の苦悩と葛藤など、当時の様子と心境が収められている。…

10年前の3月11日、私は民間任用(2年満期)の内閣審議官として、メディアが立ち入れぬ首相官邸の最奥部で、事態の渦中に居合わせていた。 そんな人間の1人として、テレビ各局の「3・11」10年関連特番を見ていて、特に心揺さぶられた番組が2つあった。1つは、日テレの金曜ロードSHOW!「Fukushima50」(去年の劇場公開とは違った意味で) 。 もう1つが、NHKのETV特集「原発事故 ”最悪のシナリオ”/その時誰が命をかけるのか」。 ーーーそれらについてちょっと書こうかな、と思っていたら、奇しくも同じ2番組を挙げて先にコメントしている人が、意外な所にいた。 フランス「リスク・危機研」研究員の賞賛と憤慨フランスの「リスク・危機研究センター」(Centre de recherche sur les Risques et les Crises)の一員として、3・11以降たびたび来日し、福島原

Published 2021/03/10 07:00 (JST) Updated 2021/03/11 10:53 (JST) 2008年夏、東京電力は福島第1原発を襲う可能性がある大津波の想定について、対応を「先送り」した。だが、新たな難題が持ち上がる。平安時代の869年に起きた貞観地震の大津波が、福島沿岸に及んだことが解明され始めたのだ。政府の地震調査委員会が貞観津波の研究成果を公表すると知った経済産業省原子力安全・保安院に対し、東電は以前から社内で計算していた高さ15・7mの津波想定を初めて報告した。東日本大震災の4日前のことだった。(共同通信=鎮目宰司) ▽宿題 新潟県中越沖地震(07年)の影響で、保安院は地震想定を中心に、耐震指針に適合しているかを調べるバックチェックの中間報告を求めていた。貞観の大津波が原発に影響する可能性が初めて指摘されたのは09年6~7月、有識者委員の審査会

料金改定について2023年11月より料金が改定されました。 料金改定の同意からお手続きをお願いします。 日本有数の巨大テーマパーク、千葉県浦安市の東京ディズニーリゾート。その従業員らが東日本大震災の日にとった行動が、後に「神対応」として称賛された。来園者の頭を守るため売り物のぬいぐるみを配ったり、シャンデリアの妖精を演じてゲストを安全な場所へ誘導したり。中でも有名なエピソードが、普段は決して見せてはならない「バックヤード(舞台裏)を通る1500人の避難計画」だった。あれから10年。その決断を下した担当者は異動を経て再び震災当時と同じ部署に配属されていた。彼が今語るのは「あの対応に間違いはなかった」という確かな自信と、10年前もこの先も変わらない「ゲスト(来園者)の安全最優先」というオリエンタルランドの信念だった。 (デジタル編集部・山崎恵) まだ肌寒さの残る2011年3月11日。東京ディ

13日(土)23時08分頃に発生した最大震度6強の地震に関して、気象庁は14日(日)1時10分より会見を行い、東日本大震災を引き起こした2011年3月の超巨大地震の余震との見解を示しました。 気象庁は地震の規模と深さを速報値から暫定値へと更新し、マグニチュードは7.3と上方修正、深さは約55kmです。地震のメカニズムは西北西-東南東方向に圧力軸を持つ逆断層型と解析しています。沈み込む太平洋プレートの内部で発生した地震と見られます。 過去の事例では大地震発生後に同程度の地震が発生した割合が1~2割あり、揺れの強かった地域では、地震発生から1週間程度、特に今後2~3日程度は最大震度6強程度の強い揺れのおそれがあるとして、注意を呼びかけています。 ウェザーニュースでは地震の発生を受けて、被害に関する緊急調査を行っています。震度6弱~強の揺れを観測した福島県から宮城県にかけて、「物が散乱/家具転倒

発見された小型漁船には多くのサンゴなどが付着していた=東京都八丈町大賀郷で2020年12月12日午前9時56分、菊池まり撮影 東日本大震災の津波で漂流した小型漁船が9年9カ月の歳月を経て、東京・八丈島で見つかった。地元漁協が船の登録番号を確認し、宮城県気仙沼市の漁協支所所属の船と判明した。船内には大量のサンゴが付着しており、どのようなルートを漂流したのか関心を呼んでいる。 船は10日夕、同島の八重根漁港付近を漂っているのが見つかり、漁協がロープでえい航して港に陸揚げした。FRP(繊維強化プラスチック)製で、全長約5・5メートル。船の内側は鮮やかな彩りのサンゴ…

東日本大震災の発生から今月11日、丸8年が経過する。「復興五輪」とも呼ばれる来年の東京五輪へ、1人のトップ選手がインタビューに応じた。大事故が発生した東京電力福島第1原発に勤務しながら、なでしこリーグ「東京電力女子サッカー部マリーゼ」の選手としてプレーしていた、女子日本代表DF鮫島彩(31=INAC神戸)。これほどまで震災被害の中心に身を置き、今も第一線で活躍するトップアスリートは他にはいない。鮫島が考える「復興五輪」とは-。 20年東京五輪が来年に迫る中、晴海選手村(右後方)などがある東京港を見渡す鮫島彩(撮影・三須一紀) 鮫島は福島第1原発で働き、原発立地町の双葉町に住んでいた。マリーゼの寮は原発から3キロ圏内。チームが練習、試合をしていたJヴィレッジ(楢葉町・広野町)は同約20キロ地点にあり震災後は、事故の収束や廃炉作業に従事する作業員の拠点になった。 練習用だった芝生のピッチは全面

東日本大震災の津波で亡くなった女性たちの当日の行動を分析した結果、介護や育児などを理由に避難が遅れた人が多かったことを東北大学の研究者がロンドンで紹介し、こうした事情を抱える女性がスムーズに避難できる対策が必要だと訴えました。 この中で、東北大学大学院で研究している北村美和子さんは、岩手県大槌町にある吉里吉里地区で津波によって亡くなった女性45人について、遺族の証言録をもとに当日の行動を分析した結果を紹介しました。 その多くは主婦で、介護が必要な親の様子を見に行ったり子どもを学校に迎えに行こうとしたりして避難が遅れたということです。 男性の中には職場ですぐに逃げるよう促された人がいた一方、女性の中には、自宅に1人でいて避難をためらったとみられる人もいたということです。 北村さんは、地域で各家庭の状況を共有して助け合う仕組みや災害時の行動のルールを徹底しておくことなどが必要だと訴えました。

岩手県釜石市では、市内の小中学生、ほぼ全員が津波の難を逃れた。多くの人たちは、これを「奇跡」と呼ぶ。しかし、そうではない。教育で子どもたちが身につけた対応力が「想定外」を乗り越えさせた。★英訳版はこちら ⇒ http://p.tl/UDIF 死者の声に耳を傾ける 最初にある少女のことを書かせていただきたい。私は、岩手県釜石市の小中学校で先生方とともに防災教育に携わって8年になる。「どんな津波が襲ってきてもできることがある。それは逃げることだ」と教えてきた。特に中学生には「君たちは守られる側ではなく、守る側だ。自分より弱い立場にある小学生や高齢者を連れて逃げるんだ」と話していた。今回の震災では、多くの中学生が教えを実践してくれた。 ある少女とは、私が教えた中学生の一人だ。彼女は、自宅で地震に遭遇した。地震の第一波をやり過ごした後、急いで自宅の裏に住む高齢者の家に向かった。そのおばあさんを連れ

2018年2月22日、取材で福島市内にある飯舘中学校を訪れた。本来は飯舘村にある飯舘中は、村が全村避難を決めたため、原発事故後に仮設校舎に移転している。 今春、新たな節目を迎える。昨年3月に大部分が避難解除された飯舘村に戻ることが決まったのだ。「仮設」の役割を終えようとしている校舎に誇らしげにかかった垂れ幕があった。 「第69回 全日本中学校英語弁論大会 福島県代表 三年 佐藤安美さん」。 この時、取材で追いかけていた元テレビユー福島の記者で、飯舘村職員に転じた大森真さんが隣でしみじみと言う。 「このスピーチ読んだことある?すっごいんだよ。本当に深い中身で、俺が言いたかったことを言葉にしてくれたなぁって思ったんだよね」 「被災者と呼ばないで」学校関係者にお願いしたら、英語と日本語の両方を渡してくれた。タイトルは『Don't Call Us Victims』、日本語では「被災者と呼ばないで」

東京電力福島第一原発事故を巡り、業務上過失致死傷罪に問われた東電の勝俣恒久・元会長(77)ら旧経営陣3人の第4回公判が28日、東京地裁(永渕健一裁判長)であった。 事故の約3年前、同原発に巨大津波が襲来する可能性があるとの試算をまとめた東電子会社「東電設計」の社員が証言した。 公判では、巨大津波の襲来を予見できたかどうかが争点になっている。 証人出廷した社員の証言によると、東電側との協議に基づき、1896年の「明治三陸地震」級の地震が福島県沖で起きたとの想定で試算し、同原発に15・7メートルの津波が襲来する可能性があるとの結果が出た。 社員は2008年3月、東電担当者に試算結果を報告したところ、「『計算の条件を見直し、津波が小さくならないか』と再計算を依頼された」などと証言した。社員は計算条件の見直しを断ったという。

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