宇野維正さんのデビュー作『1998年の宇多田ヒカル』を読んだ。結論からいうと傑作なので多くの人に読んでもらいたい。ちなみに僕が本書を手に取ったのは、宇多田さんではなく浜崎あゆみさん目当てである。日本語がおかしいとご心配することなかれ。帯カバーには宇多田さんを筆頭とした1998年デビューの音楽家たちに並んで、しっかりと浜崎あゆみさんの名前がある(以後敬称略)。僕はこの帯カバーに魅せられたのである。 僕がどれだけ浜崎あゆみが好きだったか。音源は全部チェックし、グッズを揃えるだけでは収まらず、あゆ自身になりたい気持ちは加速。そんな僕が、たいして親しくもない知人が現役女子大生と執り行った結婚式で歌のプレゼントを強要されたときに、浜崎あゆみの「M」という曲をお呪いの意味を込めて歌ったのは必然であった。 《別れの道選ぶふたり 静かに幕を下ろした》 別れの曲だと気付いたのはBメロを歌い切ったときである。

99U:米国のボストンにあるニューイングランド音楽院では、1960年代にガンサー・シュラー氏が院長に就任するまでジャズが教えられていませんでしたが、それには理由があります。アーティストはこと自分たちの芸術に関しては保守的で、クラシック演奏家もその例に漏れません。世界に名高いボストンのバークリー音楽大学でも、教授陣の多くは、自分たちの規範に「泥を塗る」ようなジャズの即興演奏者に嫌悪感すら抱いていました。そうした伝統を重んじる人たちは、彼ら自身だけでなく後世においても、クラシックの領域とジャズの領域の間に決定的な溝があると信じ込んでいました。 けれども、2015年6月21日に逝去したシュラー氏には、そんな溝などありませんでした。 10年間ニューイングランド音楽学院の院長を務めたシュラー氏は、聴衆や学生に両方の分野で最高の体験をしてもらいたいと考え、ジャズをカリキュラムに採り入れました。作曲家で

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