カート・ヴォネガットあるいはジュニア おれはSFをそれなりに読む。それなりに読むだけなので、時代の最先端のSF(『三体』なら読んだが)を常に追いかけていたり、オールタイム・ベストの千冊をすべて読破していたり、ということはない。 そもそものおれのSFの始まりは、カート・ヴォネガットの『チャンピオンたちの朝食』か、フィリップ・K・ディックの『ザップ・ガン』のどちらかということになっている。 「よく、その二冊でSFに足を踏み込んだな」と言われるかもしれない。『ザップ・ガン』は置いておくにしても、『チャンピオンたちの朝食』がSFかどうかというのは、正直、今でもよくわからない。 よくわからないが、若いおれはヴォネガットを次々に読んだ。そのSFの奇想と、あまりにも地に足のついたヒューマニストとしての「声」にうたれた。 この「声」というのは、このたび読んだ本の訳者あとがきで円城塔が述べている言葉だった。

blog.tinect.jp おれの前で「人殺しの顔」といったな。 いや、おれが書いたのか。 書いたのだったっけ。 とりあえずちょっと読んでください。 それでもって、「人殺しの顔」といったら次の記事も読んでください。goldhead.hatenablog.com ……おれがこの記事を書いたのは2010年のことです。11年経ってどうなったか。基底は変わっていない、と思います。変わっていないどころか、もっとこういう傾向が強まっているように思えてならないのです。 新型コロナウイルスの流行という特殊な環境ではありますが、この感染病が日本経済に与えたダメージはすさまじいものがあると思います。今はまだ混乱の中にありますが、ウイルスが終息し、国からの補助も終わったあとに、たいへんな地獄が待っているような気がしてなりません。それは企業の消滅であり、雇用の消失です。 とはいえ、このような情況下を逆にチャン

人間の悪意に絶望するのこと ある建築会社が手がけたアパートの階段が壊れて、人が亡くなったというニュースがあった。 さらにその会社が同じような手抜き建築でつくったアパートなどが二百件超あるという。 おれはそのニュースを読んで、とても嫌な気持ちになった。 おれは自分のソーシャル・ブックマーク・サービスに、次のようなメモを残した。 「殺人事件のニュースなんかより、こういう話のほうが人間の悪意に絶望して、すべてが嫌になってしまう。」 言いすぎじゃないかと思う。自分でもそう思う。 だいたい、どんな殺人事件と比べているんだ。そういう話になる。 もちろん殺人事件には殺された人という取り返しのつかない存在があって、その人を永遠に失う家族や友人たちだっているだろう。 もちろん、一度にたくさんの人を殺すような事件もあるし、許しがたいような動機の事件もある。 それでもなお、なにか、おれには欠陥住宅をつくりつづけ

はてなブログのユーザーに、自身とブログについて語っていただく【「ブログを書く」ってどんなこと?】シリーズ。今回の執筆者は2004年からはてなブログを続けている黄金頭(id:goldhead/@goldhead)さんです。 ブログに書くネタがない人でも「言葉が重要」「言葉の刃を研ぎ続けるしかない」と言う黄金頭さんが考える、“ブログの書き方”指南とは。そして、「たった一人でブログを書いてきた」という黄金頭さんが、長く書くうちにブログを読む人の存在を認識し、ブログを読んで行動を起こす人がいることに気づいて「ブログを書くことをすすめる」理由とは……? 黄金頭さんにとっての「ブログを書くこと」について、つづっていただきました。 献辞はてな村民へ捧げるはてな村が喜んで受け取るような敬意を、はてなが持つメディアで表明できるのは、徳の高い村民だけだ。おれはそう確信している。二十年も前から、はてなの名誉


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