DVに怯えながら育った少年は、父の死後に母の遺品から一冊の本を見つけた。そこには「陣中日記」と記され、戦場での凄惨な体験が綴られていた。「おやじはなぜ、あんなに乱暴になったのか」。少年時代、「最低の父」と憎んでいた桑原征平さんは、戦争で変わってしまった“父の心”に初めて触れる。戦後を生きた日本兵と家族の沈黙を描く実話。※本稿は、大久保真紀・後藤遼太『ルポ戦争トラウマ 日本兵たちの心の傷にいま向き合う』(朝日新書)の一部を抜粋・編集したものです。 父の「女」が家に来ると 母と2人で寒空の下へ あれは忘れもせん。小学5年生の時でした。 正月と盆しか休みがない働き者の母に、父が「何が何でも今日は早めに帰ってこい」と言いました。夕方急いで帰ってきた母がご飯を作ると、父の「女」がやって来ました。2人が食事するのを、母と私は横で見ていました。酒を飲んだ父は「おい、布団敷け」と命令します。母が6畳間に


山形市の山寺・立石寺で江戸時代に作成されたとみられる大量の木札が発見されたことが、山形大学の発表で明らかになりました。その数はおよそ10万点に上り1か所から見つかった江戸時代の木札としては、国内最多だということです。 山寺・立石寺で発見された木札です。大きさは大小さまざまで、多くは、長さおよそ30センチ幅は4センチほど。木札に書かれた年号から江戸時代の1669年から1692年に作成されたものとみられています。 山形大学の2日の会見で学術研究院の荒木志伸教授が発表しました。 木札は、2021年に山頂にある「奥の院」近くの岩窟にサルが入り込み、木札を散乱させたことがきっかけとなり立石寺の関係者が発見しました。 その木札の一部について荒木教授と学生が考古学の授業でおととしから調査を重ねた結果、総数は、およそ10万点に上ると推定され、1か所から見つかった江戸時代の木札としては、国内最多とみられるこ

S-N曲線 @ilovedx3 そもそも「部活動」というものの設計自体が「クソガキを世にのさばらせておくと無軌道にエネルギーが発散されてしまうので、学校内に隔離してエネルギーを空費させれば少なくとも世間様に対して悪さをする機会と度合いは減るだろう」としたかなり監獄じみた設計なんですよね 2025-08-12 12:52:58 S-N曲線 @ilovedx3 それを前提として、しかし部活動を「よいもの」としてしまったがために、監獄的側面がないがしろにされ、獄卒の役目が放棄されがちになってしまったので、部活内で元気よく犯罪を行うようになってしまった。 2025-08-12 12:54:29 S-N曲線 @ilovedx3 ちなみに自分は「クソガキを放置していれば学外で必ずご迷惑をおかけするので学内に閉じ込めなければならない」という発想そのものが間違っていると思ってはいる。クソガキはご迷惑をおか

約30年間、営業職として働いてきた。よくぞここまでやってこられたと思う。営業職に就いた当初は、「この仕事を続けられるのはせいぜい半年くらいが限界じゃないか」と絶望していたからだ。あの頃を思い出すと、煙草の香りのする真夏の喫茶店でごちそうになったコーヒーゼリーの味が鮮やかによみがえる。 平成8年(1996年)、大学を卒業した僕は東京で営業マンになった。営業部は、30代後半以上の個性豊かなオッサンばかりが在籍していた。20代後半から30代前半の人材が欠けていたのは、仕事がキツくて離脱者が相次いだからだと後で知った。研修で「電話の応対」や「名刺交換のルール」は教わったけれど、案件の見つけ方、商談の進め方、といった営業の仕事は誰も教えてくれなかった。今ならネットや動画で調べられるが、そういうものはまだなかった。ネットに接続できない携帯電話がようやく普及しはじめた、そういう時代だ。 夏になった。僕は


ヨッピー @yoppymodel 昨日、TMネットワークのことを「Get wildだけの一発屋」扱いしてた若いのがいたので、説教して殴りました。 2025-06-01 21:26:14 リンクWikipedia TMNETWORK TMNETWORK(ティーエム・ネットワーク)は、小室哲哉(シンセサイザー・キーボード)、宇都宮隆(ボーカル)、木根尚登(ギター・キーボード)による日本の3人組(スリーピース)音楽ユニット。 1984年(昭和59年)4月21日にシングル「金曜日のライオン (Takeit to the lucky)」およびアルバム『RAINBOW RAINBOW』でデビュー。1987年(昭和62年)2月26日リリースの4枚目のオリジナルアルバム『Self Control』で初のオリコンアルバムチャートベストテン入りを果


あ〜る菊池誠(反緊縮)公式 @kikumaco 東京大空襲の「語り部」のニュースをやっているのですが、僕はこの語り部というやり方に批判的というより反対です。今やってるのは、空襲を経験していない人が後継者として一人称で語るという試みなのですが、これは絶対にやめるべきです。本来、証言の映像記録をなるべく早く残すべきだったのです 2025-03-10 19:21:57 リンクNHKニュース “国策落語”とは 演じた林家三平さん “戦時中の状況感じて” |NHK 【NHK】東京大空襲から80年となる10日、東京・台東区では戦時中に戦意高揚のために作られた「国策落語」を落語家の林家三平さんが演… 24 users 405 あ〜る菊池誠(反緊縮)公式 @kikumacoMacoto Kikuchi/physicist/thereminist/psychedelic rock. 菊池誠。物理学者


この原稿は当初『webムー』に掲載予定で執筆したものです。当初、担当編集からは「すごく読み応えのある内容で、おじろく・おばさの全貌がわかる決定版というべき素晴らしい内容」「年末年始の目玉として配信します」とまで絶賛されました。 ところが……。 年が変わっても、いっこうに掲載の気配がありません。そこで、連絡してみると担当編集が「○○さん(註:上の人)がノンフィクションの強烈な内容に尻込みしている」という理由で掲載見送りだと申し訳なさそうにいうのです。 天下の『ムー』から掲載拒否!! 編集からはめちゃくちゃ謝られたのですが、こちらとしては「オレ『ムー』に掲載断られたんです」としばらく楽しめそうな話のネタを提供していただき感謝です。 なので、今後も寄稿はさせて頂くのですが、一方でせっかく書いた原稿がお蔵入りではもったいない。 そこで、改めて手直しを加えてnoteで公開することとしました。 『ムー


朝ドラ「ばけばけ」公式|9月29日(月)放送開始 @asadora_bk_nhk 朝ドラ #ばけばけ 公式。「この世はうらめしい。けど、すばらしい。」 小泉セツ&八雲(ラフカディオ・ハーン)夫妻がモデルの物語。明治の松江。怪談を愛する夫婦の何気ない日常を描きます。 【主演】#髙石あかり #トミー・バストウ/#吉沢亮 利用規約▼nhk.jp/rules https://t.co/5G7Emuoc0v 朝ドラ「おむすび」公式🍙 @asadora_bk_nhk ※来週の第5週には、地震の描写があります。 地震の揺れの映像を避けたいとお考えの方のために、先行してお知らせさせていただきます。 第5週の朝ドラ「おむすび」は…🍙 📺NHKプラスでも視聴出来ます👇 plus.nhk.jp/watch/pl/78457… #朝ドラおむすび pic.x.com/hgCeN6hNfo 2024-10-2


ヤバーン @Yabarn_Jin 家族の戦争体験ののを見ての思い出 俺「爺様は偵察機で夜間飛行中に雲海に出たときに満天の星空が綺麗で永遠に偵察機を飛ばせたら幸せだろうなあと思っていたそうです」 狂士「そんな話を聞きたい訳じゃない戦争犯罪者が嘘を言うな」とかって目の敵にされてブン殴られて立たされたりしたわ 2024-07-14 02:41:21 ヤバーン @Yabarn_Jin 高校の時の老教師は手伝いで高射砲の弾運びに駆り出され、昼飯も出るし暇だし最高だったけどクソして帰ってきたら高射砲が吹き飛んで何もなくなってて「腹減ったのにコレじゃ昼飯出ねえなあ」って思ったとか そう言うの 2024-07-14 02:46:50


原爆の開発を指揮した理論物理学者、ロバート・オッペンハイマーが、終戦の19年後に被爆者とアメリカで面会し、この際、「涙を流して謝った」と、立ち会った通訳が証言している映像が広島市で見つかりました。専門家は「実際に会って謝ったことは驚きで、被爆者がじかに聞いたというのは大きな意味がある」としています。 ロバート・オッペンハイマーは、第2次世界大戦中のアメリカで原爆の開発を指揮した理論物理学者で、原爆投下による惨状を知って苦悩を深めたと言われていますが、1960年に来日した際は、被爆地を訪れることはなかったとされています。 今回見つかった映像資料は、1964年に被爆者などが証言を行うためにアメリカを訪問した際、通訳として同行したタイヒラー曜子さんが2015年に語った内容を記録したもので、広島市のNPOに残されていました。 この中でタイヒラーさんは、訪問団の1人で、広島の被爆者で理論物理学者の庄

三行まとめ 青森県にいる先祖の戸籍謄本(除籍謄本)の写しを集められるだけ集めた 一番古い先祖の生年が1810年だということがわかった 戸籍を通じて、「自分は人類のデータの一部だ」と思うようになった この記事は長いです だいぶ長くなってしまいました。新聞記事方式を取り、途中で脱落してもいい仕組みにしています。 三行まとめ この記事は長いです 取り寄せることができた戸籍の写しについて なぜ突然先祖の戸籍の写しを集めようと思ったか(行動の背景と目的) 背景その1と目的:戸籍の広域交付制度が始まった 背景その2:私が子孫の終点だ!(直系で) 戸籍をさかのぼってみた 父親の父母より上 五世の祖父より上 母親の父母より上 五世の祖父より上 たどれる中で一番上の世代 たどれる中で一番古い生まれ 戸籍謄本(除籍謄本)を取り寄せる一例 まずは祖父母の戸籍から 祖父母の戸籍から一気にさかのぼれることが多かった


とおこ @schneien 八月十五日十三時受領の召集令状への吹き出し注釈が、夜中に令状届いた人の回想なんだけど?この資料集大丈夫なのか? x.com/hedalu244/stat… 2024-05-26 22:33:35 社会分析ch @Shakai_Bunseki 前日のポツダム宣言受諾から翌日の玉音放送までは政府と軍部の一部しか知らないだろうから役所が通常業務を続けてこういう事例もあったのかもしれない。 少し例えが違うけど自分の会社の保険証は交付日が平成31年5月1日という存在しない日付。時代の切替前後に前時代のものが混ざる面白い瞬間だ。 x.com/hedalu244/stat… 2024-05-26 22:30:29

「夏草の賦(ふ)」「戦雲の夢」など長宗我部元親及び盛親を主人公とした小説を司馬遼太郎が書いているのですが、その結びも、 「長宗我部家はあとかたもなくなり、歴史から消えた」 司馬遼太郎「夏草の賦」より というものになっていますし、大手新聞社の記事もWikipediaも全部そうです。基本的に「長宗我部の本流は途絶えた」というのが歴史的な定説なのです。 僕の実家にある「長宗我部盛親が使っていた」とされる鐙(あぶみ)。それなのに僕は何故か父親から「ウチは長宗我部盛親の末裔やで」みたいな事を言われて育ってるんですよね。本流の血は途絶えたはずなのに。 もしこれが事実であるなら、「長宗我部氏本流の血脈がいまなお残っている」という事で「長宗我部氏の本流は途絶えた」という定説が覆る事になります。 しかしながら小学生くらいの時に父親から聞いた話ですし、子ども心に「ホンマかいな」くらいに思っていたので特に気に留


悪しき因習としてネット上で有名な“おじろく・おばさ”について、長野県民が実際に論文を取り寄せて調べてみました。 この記事は最後まで無料で読めます。 なぜ調べようとしたのか、その動機や、長野県の地理的特色などをまとめたものが、前回の記事となります。 1. “おじろく・おばさ”は誇張されているのではないか?1.1. 調べることになった発端ネットロア(インターネットの都市伝説)やオカルト系サイトで有名な「おじろく・おばさ」ですが、それについてのしっかりとした論文があるということから、“実在した忌まわしい因習”として時々ネットにて話題になります。 正直、長野県民として微妙な気持ちでしたが、論文があるのだから本当なのだろうとぼんやり思っていました。しかし、最近その論文自体に疑問を呈する動画を発見しました。 簡単に動画の内容を要約します。 ・「おじろく・おばさ」は1960年代に書かれた2つの論文、①水


11月15日、創価学会の池田大作名誉会長が東京都内の自宅で老衰のため死去した。95歳だった。日本最大規模の宗教団体を長年率い、1964年に公明党を創設してからは政界でも大きな影響力を発揮してきた。 宗教団体のありかたが問われた2023年、池田氏の死は今後にどんな影響を及ぼすのか。2010年に「週刊文春」に掲載された記事を期間限定で再公開する。 (初出:「週刊文春」2010年12月2日号/年齢・肩書等は公開当時のまま) ▼▼▼ 半年振りに近況が報じられた池田大作氏(82)だが、健康状態を危ぶむ声は尽きない。今では“王朝”の奥深く隠れ、幹部ですら会うことがままならない。かつて若い魅力的な宗教指導者として社会に登場した池田氏は、どこから、なぜ変わったのか。 今から47年前の『週刊文春』(昭和38年2月25日号)に、「折伏(しやくぶく)に生きる若き指導者・池田大作」と題したこんな記事がある。創価学


湯島聖堂中国料理研究部のこと2023.10.22 連載 : 湯島聖堂の料理帖~戦後の日本に伝わった“本当の中国料理”~ 現代日本の中国料理の礎を築いた湯島聖堂「中国料理研究部」。その貴重なレシピと歴史を紐解く連載です。第1回目は、なぜ聖堂で中国料理がつくられたのか、どう継承されたのか、時代背景から解説します。 「聖堂料理」とはどんな中国料理なのか中国清代に書かれた美食の名著『随園食単』を傍らに、一途に中国料理を探求してきた名料理人がいる。2019年に惜しまれながら閉店した「知味 竹廬山房(ちみ ちくろさんぼう)」の主人、山本豊さんだ。山本さんは、中国料理の歴史と文化を踏まえ、新旧取り交ぜたコース料理を構築。乾物使いの名手として知られ、素材を生かした滋味あふれる料理で多くの食通を魅了した。 元「知味 竹廬山房」のオーナーシェフ、山本豊さん。同店出身者には経堂「彩雲瑞(さいうんすい)」の

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