2025年10月30日、ドラゴンクエストI&IIのHD-2Dリメイクが発売された。 個人的には、あまり期待していなかった作品だ。DQ3のHD-2Dリメイクと似た内容になることは分かっているし、そのDQ3のリメイクがお世辞にも良い出来とは言えなかったからだ。 とは言え、DQ3リメイクに追加された世界観の繋がりを強調する要素や、本作の新規追加シナリオがどんな内容になるのか、興味はあった。 結局、この物語をどう決着させるつもりなのか? 前作で批判された要素は改善されたのか? 色々と引っかかる点を確かめるために本作を購入し、プレイした。 その結果、俺はドラゴンクエストというシリーズと縁を切ることを決めた。 個人的に受け付けない要素が多々あったのも確かだが、それ以上に今のドラクエには まともな品質管理能力が全く無いと確信した。 かなり強い言葉を使って糾弾していることは理解している。 その上で、本作が

電源タップをガチ比較!パナソニックはさすがの老舗品質……そしてベストバイは? 公開日 2015年02月10日 18:30| 最終更新日2023年02月14日 9:25 by ハンダマスターかしま 関連キーワード ガチンコ比較 ガチ検証 検証 電源タップ 「電源タップ」は信頼性&耐久性が高いものを使うべし!テレビやゲーム機から冷蔵庫などの白モノ家電まで、現代人の生活は電化製品に囲まれている。どの家庭でも、壁コンセントだけではとても足りないはず。そこで電源タップを使用することになる。 電源タップこそ、縁の下の力持ち、電化製品の基本中の基本とも言うべき存在なのだ。誰でも使うものだけに多種多様なモデルが販売されており値段もピンキリだが、ちゃんと良いモノを使っているだろうか? 値段と見た目だけで決めてしまってはいないだろうか? 低品質な電源タップを使っていると、電力を供給している機器に影

読み進めるにつれ、随所に盛り感が色濃く出ていて めまいがし、心にスッと入ってこない。 医学部を強く勧める学校や親のせいで、自分を不遇の身に仕立て、 挙げ句の果てに何もかも自分で開拓したというのは、どうなんだろう。 地方だからいうより、そもそも昔から徳島文理は医学部至上志向で有名だから、 そこに12年間も通っていて、医学名誉博士の親の強い意向もあって、説得にかけられたんだよね。 出すところは熱く盛って、隠すところは(百歩譲って、もう記憶にないとか?)出さないでは 信憑性に欠け、参考にならないな。 松本さんは無意識にしても自分をプロヂュースするために、 公表する事実と無かったことにする事実を使い分け、 何もかも自分で切り開いてきたように印象操作し、幻想の中で生きている気さえした。 何事も自分の感じ方次第だが、松本さんの場合、周囲の働きかけをあまり感じることができず、 自分の努力と被害感情だけ、

『100日後に死ぬワニ』(きくちゆうき)のアニメ映画版『100日間生きたワニ』を観てきました。 まず、巷に溢れている悪評と比較して自分はどうだったのか? という観点で感想を書いてみます。ネタバレとかは気にしません。 ①100ワニは「紙芝居」なのかTwitterで感想を見ていると「紙芝居」という表現がたびたび目についた。これは個人的にはあまりしっくりこない。 たしかに動きの少ない映画ではあるが、動くべきところはちゃんと動いていた印象。『鷹の爪団』のアニメみたいな感じで、キャラが平行にスーッと動くとか、そういう内容ではない。 そもそも原作の4コマの時点で、動物キャラの日常生活を描く地味なテーマだし、ヌルヌル動くアクションだとか、奇抜な構図のカットだとか、そういう演出で面白さが増えるようなものではないと思った。ただ、それによる弊害もある(後述)。 ②100ワニは「テンポが悪い」のか「とにかく間延

*以下のリンク先を読んでおくと、呪いの効果が高まります。 アニメ「2021年のエヴァンゲリオン」雑文集(1/25~3/5) 旧劇のときにはこの世にいなかった人と席をならべて見て、終わったあとはいっしょに少し話をして、本作を目にすることのないまま、この世を去った人たちに思いをはせました。旧劇からのファンと新劇から入ったファンでは、シンエヴァの受け止め方はかなり違うだろうことは理解しています。なので、ファースト・インプレッションでの言い過ぎをまず少し修正しておきますね。 「一般的な映画としては佳作から凡作の間くらいかもしれないが、エヴァンゲリオンとしてはゴミ」 2時間35分の半分ぐらいを過ぎたあたりから、もう腕時計ばっか見てました。私小説とプロダクトを両立するダブルエンディングは儚い妄想であり、「One Last Kiss」と「beautiful world(da capo ver.)」もスタ

せっかく人生に一度きりの機会なので、『シンエヴァ』を鑑賞しての感想をまとめて書き残しておきます。あまりにもネタが多すぎて触れられなかったあれこれもありますが、ご了承ください。 [3/10追記] 必ず『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を納得いくまで十分に鑑賞後、お読みください。あなたが感じた「あなただけのエヴァ」を、大切にしてくれると嬉しいです。 [3/16追記] 「Shiro SAGISUMusic from“SHIN EVANGELION”」入手にともない、楽曲に言及した箇所へ追記を行いました。エヴァとともに“オタク”に育ったどうしようもないくらいエヴァが大好きな中学生、それが24年前のわたしでした。 1982年9月生まれのわたしが最初にエヴァと出会ったのは、既に旧劇場版『THE END OF EVANGELION』も公開され『新世紀エヴァンゲリオン』が過去形になりはじめた1997年8

『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を初日朝7時の回で鑑賞。そのすぐ後に『シン・エヴァ』を絶賛するオタクや、『シン・エヴァ』は0点だとこき下ろすオタクたちと4時間ほど話をしました。その中であらためて思ったのが、「エヴァンゲリオン」という映像作品に向けられる私(私たち)の愛情が、実に様々だということ。 「エヴァンゲリオン」という映像作品は、様々な願いで作られています。 自分の正直な気分というものをフィルムに定着させたいという願い。 アニメーションが持っているイメージの具現化、表現の多様さ、原始的な感情に触れる、本来の面白さを一人でも多くの人に伝えたいという願い。 疲弊しつつある日本のアニメーションを、未来へとつなげたいという願い。 蔓延する閉塞感を打破したいという願い。 現実世界で生きていく心の強さを持ち続けたいという願い。 今一度、これらの願いを具現化したいという願い。Yahoo! JAPA

ウマ娘に関しては馬の名前もディープインパクト位しか知らないので意識してなかったんですが、トレンドで「ハルウララ」の名前を思い出した途端 「ヤバイ、好きになってしまうかもしれん」という危機管理センサーが反応したので触れない事にします (同じ事がニジガクの天王寺を知った時にも起きた) — ストーム叉焼 (@roastpork193) February 24, 2021ゲームを遊ばない理由には二つあって 「単に興味がない」からと 「直感が『これ遊んだら身を滅ぼす』と言ってる」という危機回避があり、 ウマはついさっき後者になった — ストーム叉焼 (@roastpork193) February 24, 2021 こんな事言ってたのに。 「好きになり過ぎそうだから新しいコンテンツを始めたくない」 というジジイそのものの感性が垣間見えるが、そもそも競馬に全く興味のない俺がウマ娘に興味を持ってしまっ

2020年11月22日21:40 カテゴリエロゲー事件レポ Loseさんが『まいてつLR』の評価をきっかけに批評空間の自社データを全消しした話。 エロゲーマー(批評空間界隈)にとっては看過できない爆弾が投下されました。「11・22事件」です。 公式の声明が出ているのでまずはそちらから。 ▼「『ErogameScape -エロゲー批評空間-』データ削除依頼に関するお詫びとご説明」 (2020年11月22日 19:02) ■本声明について 2020/11/22に『ErogameScape -エロゲー批評空間-』様(以下『批評空間と略します)』に依頼して対応いただきました、弊社ブランドLose(以降 弊ブランド)に関する全データの削除に関し、事前説明を行わなかったことで多くの混乱を招いてしまいました。以下、削除依頼に至りました経緯をご説明申し上げ、お詫び申し上げます。 ■弊ブランドのレビューに対

毎回、拙作が言葉であたらしく形どられているのをみて、こういう話だったんだなあと、ようやくわかります。 https://twitter.com/ntmcm/status/1030089729356615686 いいこと言うなあ。 * * * 「終われない」って辛いことなのだな、と思った。 自分で始めたはずの営為でも、あるいは誰かに投げ出されたような状況でも、いつの間にか前に進んでいる実感がなくなって、かといって後ろに戻ることもできなくて、時の過ぎるままどうしようもなく立ち尽くしてしまうようなことが、人の生には確かにある。 そんな、自分からは終わらせることができない業のようなものを終わらせてくれる者がいるとしたら、例えその者の本質が呪いだとしても、その行いは救いであるのかもしれない。本作においても貞子の存在が呪いであり、人を殺すモノであることには変わりがない。にもかかわらず、舞台を終わってし

〈セカイ系としての『天気の子』〉 自分としては本作がセカイ系であるかどうかとか,セカイ系の定義にはあまり興味がない。むしろ本作の場合,人類が滅びるような障害を乗り越えられる程度の障害に縮小したところを評価したい。人類を滅ぼさんでもセカイ系はできるし,やってよいのだという意味合いでなら本作をセカイ系の文脈で語るのは面白いと思う。もう,ヒロインとセカイのどちらかしか選べないという結末しかないのに我慢する必要はないのである。東京は部分的に水没したし,陽菜は晴れ女の能力を失った。それでも都民はたくましく生きている。 そもそも須賀の言う通り,陽菜が帰ってきたから雨が降り続いているなんて因果関係がはっきり証明されているわけではない。2人は降り続く雨を気に病まなくていい。まさに「大丈夫」なのだ。実は選択でさえないかもしれないという読み方を残している。読み方の選択の余地があり,選択を迫られているのはむしろ
▼『天気の子』を観た。直球のセカイ系でありつつ「最初からこの世界は狂っている」と断言し、世界の在りようを変えてしまう行為について「好きな子と一緒にいるためならそれでいい」と言い切らせるパワープレイが、自分でもびっくりするくらい心に響いた。「そこまで断言していいんだ」と思いつつ、「それでいい」と思わせるようなパワーがあり、2019年の「いま」ぼくが観たかったのはこういう話であったのかと、いささか瞠目するような心地を味わった。 ▼2019年の「いま」ぼくが求めているのは個人のパーソナルな部分についての話や、目の前にいる人との関係性にフォーカスした話である。「最初からこの世界は狂っている」というのは現実においてもまさにその通りなわけで、じゃあそんな世界で何を寄る辺にして生きてゆけばよいのかというのは、きわめて普遍的な問いに違いない。そこにおいて確かなものは、自分自身の内面にあるパーソナルな領域で

『天気の子』を観た。二連続でこのレベルの作品が出てくるのマジ……? 自分は新海誠作品のなかで一番好きかもしれない。映画『天気の子』スペシャル予報 ※以下、ネタバレに一切配慮していません。 予報を観た時点で変な声が出るわけですよ。「セカイ、っていう言葉がある」からはじめて『ほしのこえ』『雲の向こう、約束の場所』『秒速五センチメートル』『星を追う子ども』『言の葉の庭』『君の名は。」と一連の作品から「セカイ/世界」の台詞があるところを全部引っぱってくるだけじゃなく、類似するカットをふたりに対応させて映し出し、その上で少年と少女/少女と少年/青年と女性の二人が名前を呼び合うシーンで一気に畳みかける。この映像を素朴に解釈するとどうなるか——新海誠の作品において「セカイ」とは「自分が想いを寄せる人」である。それらが『天気の子』の冒頭、「セカイのかたちを決定的に変えてしまったんだ」という台詞につながっ
ビックリマンシールは僕が小学1~3年生くらいの頃に流行っていた気がする。大量に買ってチョコをゴミ箱に捨てる問題も話題になった直撃世代だった。一番かっこいいのはヘッドロココ。ホログラムの迫力があったのは魔肖ネロ。ググってみたら、他にもサタンマリアとか聖フェニックスとかシャーマンカーンとか懐かしい画像が出てきた。ヘッドシールのきらきらした背景装飾は、あの時代に子供だった自分には宝石のようにきれいだった。ビックリマンチョコはそんなにたくさん買った覚えはないし、買えるほどお小遣いがあったわけではなかったけど、気がついたら最終的には1000枚くらいはあったと思う。飽きた人からもらったりしたのかな。それも中学生の頃にはなくなっていた。 どこかから来て、どこかへと去っていった小さな神々たち。裏の変な説明文は全く意味が分からなくて、何かの呪文のように個々の単語から断片的に雰囲気を感じ取っていただけだった。
1.はじめに 『しろくまベルスターズ♪』は、株式会社ウィルのブランド・PULLTOPより、2009年12月11日に発売された18禁恋愛アドベンチャーゲームである。[i]本作品では、「しろくま町」を舞台に、クリスマスイブにプレゼントを配るため、サンタとトナカイたちが奮闘する姿が描かれている。詳細なあらすじについてはこちらを参照いただきたい。 さて、『しろくまベルスターズ♪』においては、幸福についてのモデルが描かれている。それはどのようなものか。まず、サンタ・トナカイたちはプレゼントを贈る。しかし、そこに、プレゼントに対しての返礼はなく、そのため、互酬性の論理が働いていないと言えるだろう。では、プレゼントが渡されて、そこで終わりなのだろうか?そうではない。プレゼントを贈られたものは、そのことで幸福になる。しかし、幸福のきっかけをくれたものへの返礼の機会は残されていない。満たされたものがそのま

2018年冬シーズン 「三ツ星カラーズ」 上野で三色と言われてはじめパチスロしか連想しなかった*1が、全然そんなアニメではなかった。全編通してひとつひとつの身振りが輝いていた名作だと思うのだが見られなさ過ぎにも程があるような。放送も折り返しを迎える頃にはみんなあの頃「にゃんぱすー」って言ってたくらい「おつカラーズ」って言ってるはずだと思ってたのに…。 よりもいゆるキャン△などどこかへ行くアニメが話題を呼んだシーズンだったが、走り回った距離では上野からほぼ出なかったカラーズ、お前らがナンバーワンだ… 「伊藤潤二コレクション」 いまさらこれに驚いてると原作ファンに怒られるやつだと思いつつも、毎回全編名言名シーンでほんとひっくり返った。ホラーと聞いてまず想像するだるーい部分を全部きっちりと裏切ってくれて爽快。 一応原作もいくつか読みましたが、アニメは尺が短い故の省略がドライブ感を生んでいて、安々
「宇宙よりも遠い場所」(よりもい)第1話の水の風景が好きです。私はいつも水や星や夢のことばかりですが、よりもいの星と夢の話はこれまでに書いたので、今回は水の話をしたいと思います。 ※最終話までの内容を前提としていますので、最後まで見ていない方はご注意ください。 1.水辺のこと まずは、耳を澄ませましょう。「宇宙よりも遠い場所」の第1話が始まると、ほら、すぐに汽笛が聞こえてきますよ。ボーッと港じゅうに響くのはきっと船が出る合図でしょう。 出港の汽笛はまだ控えめに聞こえてくるだけですが、これから船の物語が始まるような感じを受けます。南極観測船のしらせ5003、のちのペンギン饅頭号が物語の舞台となるのは第7話と8話、9話、あとわずかに13話といったところですが、それでも船にはシリーズを通した存在感があったと思います。第1話の冒頭で汽笛は船の気配を伝え、呉港に停泊するしらせの舵のカットを経て砂場の

「宇宙(そら)よりも遠い場所」は、南極をきっかけに巡り会った四人の道ゆきを描くテレビシリーズ作品です。略して「よりもい」とも呼ばれます。この文章は作品の大まかな流れにも触れつつ、まだ「よりもい」を見ていないかたへ向けて作品の魅力を伝える目的で書きました。 では、早速ですがご案内したいと思います。 高校生の玉木マリことキマリは、新しい一歩を怖れる人でした。失敗しないかな、後悔しないかなという気持ちでいつも胸が詰まってしまうのです。しかし、この怖れを振りほどけるほどの情熱がある、ということを同級生の小淵沢報瀬に感じたとき、キマリの中にも旅立つための力が湧いてくるのでした。 序盤のこうした流れを支えるのが、ときおり挿入されるモノローグとそれに重なる叙情的な映像です。たとえばそれは、キマリが幼い日に愛した砂場の思い出。砂のダムから一気に溢れ出す水のような気持ちが、いままたキマリの力となっています。
そんなわけで。まじこいブログにかまけてメインブログを放置しすぎてるので最近読んだ本の感想を書いていく。 手塚治虫の「人間昆虫記」は1970年代の作品だ。あらすじが公式サイトのWikiに書かれているのでまずはそちらを参照しよう。 ひとりの悪女の生き方を軸にして、人間社会のゴタゴタを昆虫世界になぞらえて描いた風刺ドラマです。 その年の芥川賞を受賞したのは、天才と噂される新進作家・十村十枝子でした。 そしてその授賞式が行われているとき、別の場所で臼場かげりという女が自殺をしていました。 臼場かげりと十村十枝子は、かつて一緒に暮らしていたこともある仲であり、実は、十枝子が受賞した小説は、臼場かげりが書こうとしていた作品の盗作だったのです。 十村十枝子は、次々と才能のある人間に接近しては、その才能を吸い取り、作品を盗んでは成長していく寄生昆虫のような女だったのです。 人間昆虫記:マンガwiki:Te

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