中国中部にある湖北省荊州市では2019年から現在まで、戦国時代(紀元前476~前221年)の簡牘(かんどく、木簡や竹簡を指す)が1万枚以上も次々に出土し、その修復や整理、研究なども各国の注目を集めています。荊州博物館の王明欽館長はこのほど中国中央電視台(中央テレビ、CCTV)の番組の「簡牘でわかる中国」に出演し、これらの簡牘に関する最新の研究成果を紹介しました。 王館長によると、考古学者は2021年、荊州市荊州区洪聖村にある王家嘴楚墓で3200枚以上の戦国時代の簡牘を発見しました。うち160枚ほどに記載されていた内容は、すでに失われてしまった儒教で重視される戦国六経の一つの「楽経(がっけい)」である可能性が高いとされています。『楽譜』と暫定的に命名されたこれらの簡牘は二行で書かれ、主に十干や数字、一部の簡潔な記号があり、豊かなリズムが示されており、2000年以上前の輝かしい儀礼音楽の文化を
エジプトを代表する考古学者が会見で「今世紀最大の発見だ」とその意義を強調しました。 世界最大のエジプトのクフ王のピラミッドの内部に、これまで知られていなかった空間があることが、186年ぶりに名古屋大学などが参加する国際調査チームによって確認され、いまだ多く残るピラミッドの謎の解明につながることが期待されます。 およそ4500年前に造られたとされるクフ王のピラミッドでは、内部構造を解き明かそうと、8年前の2015年からエジプトと日本、フランス、ドイツなどの国際調査チームが最新の技術を用いて調査を進めてきました。 その結果、先月までにピラミッドの北側の斜面から中央部に向かって延びる通路のような形の、縦横2メートル、奥行き9メートルの空間があることが、確認されました。 ピラミッドの内部で新たな空間が確認されたのは、186年ぶりとされています。 調査にあたっては、宇宙から降り注ぐ「ミューオン」と呼

自然の岩盤から彫られた高さ2.4メートルほどの硬直した朱色の男根が十数個、青天井の小部屋に押し込められているのを私は見つめている。 同様に、天然の岩を切り出して彫られた奇妙な頭像(人間か、悪魔か、司祭か、神か?)がこの男根型のトーテムを睨んでおり、あたかも原始のガーゴイルのようだ。その表情は陰鬱で、ほとんどしかめつらだ。 彼、または彼女、あるいは「それ」は、この状況のすべてが気に入らないかのように見える。白日の下で何もかもがむき出しの状態となり、130世紀ぶりにこの娑婆に晒されているということが。 そう、130世紀ぶりなのだ。というのも、トルコ東部、砂煙の舞うハッラーン平原からいま現われ出でんとするこれらの男根、独特の小部屋、そしてカラハン・テペの名で知られるこの不可思議な場所全体は、信じがたいほどに太古の存在なのだ。言い方を換えれば、推定1万1000〜1万3000年前に建造されたものなの

公開日:2021.09.15 更新日:2022.07.07 10万回以上石斧を振るって丸木舟を作ったほぼ縄文人・雨宮国広さんに聞いた、古代人が移動する理由 移動というものがある。家から駅へ、郊外から都心、国から国へなど、我々は徒歩、電車、飛行機などでほぼ毎日移動している。過去を遡っても、狩猟採取の生活をしていた祖先の時代から人類は移動し続けてきた。人間にとって移動する行為は生きるために必要な行為なのだ。 ただ古代の移動は今のそれと勝手が違う。車もなければ、エンジンだってない。自らの足で移動する、もしくは自らの手で移動手段を作り出さなくてはならなかった。 そんな我々、日本人の祖先はどこからやってきて、どのような方法で移動してきたのだろうか? 2019年、日本人のルーツを探る「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」が成功を納めた。私たちの祖先が今の台湾から日本へ海を渡ってやってきたことを実証す

約3300年前の晩さん会。頭に円すい形の物体を載せた女性たちが描かれている。この円すいは古代エジプト美術によく登場するが、単なるシンボルか、実際に使われていたものかという議論を呼んできた。(PHOTOGRAPH BY WERNER FORMAN, UNIVERSAL IMAGES GROUP/GETTY) 古代エジプト美術には、頭に円すい形の「何か」を載せた人々が登場する。パピルスの巻物やひつぎに描かれた王族の晩さん会や神聖な儀式には、頭に円すいを載せた男女が集まっている。特定の神々と結び付くとされた、出産の風景を描いた作品に描かれることもある。 古代エジプトでは1000年以上にわたり、この円すいが広く描かれ続けたが、実在したかどうかは不明で、その意味も解明されていなかった。この謎めいた物体が発掘されたことはなく、一部の学者は単なる象徴にすぎないと考えるようになった。キリスト教美術の聖人や
平安時代後期に勢力を伸ばした平家一門の屋敷の一部とみられる堀の跡などが京都市内の発掘現場で見つかり、19日、一般向けの現地説明会が行われました。この付近に平家が拠点を築いたことは記録に残っていましたが、実際に遺構が見つかるのは初めてだということです。 ホテル建設に伴って、民間の発掘調査会社が去年12月から調査を進めていました。 堀の跡は東西に長さ15メートル、深さ1メートル40センチで、いちばん上の部分の幅は3メートルほどですが、深くなるほど狭くなっています。 南側に土塁が積まれた跡があることから南に屋敷が広がっていたとみられ、堀の中からは平安時代後期に当たる12世紀ごろの土器が多く出土したということです。 発掘調査会社によりますと「平家物語」には当時、この付近に平家一門の軍事的な拠点が築かれたとされていて、見つかった堀は、その一部と見られるということです。 この地域で、平家一門のものとみ

生物考古学の発展 縄文時代や江戸時代など、過去の人びとの暮らしや生死を明らかにする研究分野というと、多くの方々は考古学や歴史学を思い浮かべるのではないでしょうか。そうした分野に加えて、生物考古学 (bioarchaeology)という研究分野があります。遺跡から出土した人骨や動物骨の形態を調べたり、DNAを分析したり、化学分析を実施したりなど、生物学や地球化学の手法を主に利用して、当時の人びとの生死、食性、健康状態、集団構造など、考古学や歴史学上の研究課題に答えようとする分野です。 生物考古学の特徴のひとつは、そのアプローチの多様さです。ほかの分野の最先端の分析手法によって得られた知見を、考古学や文献史学の情報と組み合わせることで、従来の研究よりずっと鮮やかに、多方面から、過去の人びとの生き様を復元できるようになります。 今回、私たちは、同位体分析という手法を適用することにより、江戸時代の

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