この記事は 古代エジプト人は3:4:5の比を辺をもつ三角形を使って直角を作図した ピュタゴラスは三平方の定理を証明した 古代ギリシャで無理数(量)の研究は禁止されていた 無理量を口外した者はピュタゴラス教団に殺された アルキメデスは「私の円を乱すな」と言った キリスト教徒のせいでギリシャ数学は滅びた デカルトは「デカルト座標」を発明した 古代ギリシャ人は三大作図問題を解けなかった 古代エジプト人は円周率を計算していた 以上のような数学史上の俗説を検証するものです.全文無料公開ですが,注釈(本文で ³ のような上付きの数字で示されている箇所の脚注を読めます)を含めたPDFは有料となっております.さらに学びを深めたい方はご購入ください.それでは始めます. 序.数学史に関する書物で,原典を調べもせずに,他の書物から無批判にその主張を受け売りしている例,お伽噺のようなことが「あまねく知られた事実」

9月1日のコラムで<台湾で機密解除 抗日戦争戦場での手書き極秘報告集が暴く「中共軍と日本軍の生々しい共謀」記録発見>と書いたが、この機密解除された同じ記録から、抗日戦争中、中共軍は日本軍と水面下で「不可侵条約」を結んでいたことが判明した。記録の時期は1940年12月。 また、7月10日のコラム<習近平、BRICS欠席して抗日戦争「七七事変」を重視 百団大戦跡地訪問し「日本軍との共謀」否定か>で、毛沢東が上海にある日本の外務省管轄の岩井公館に潜り込ませたスパイ藩漢年に「華北一帯における中共軍と日本軍との停戦」を依頼していたことを証拠物件となる図表付きで示した。それを証明するかのように、台湾の軍事機密資料の中の一つには「江蘇省一帯における中共軍と日本軍の間の不可侵条約が結ばれていた」ことが記録されている。 ふしぎなのは、その現象の一つとして「中共軍が日本軍の代わりに綿花を購入運搬し、その見返り

きーひん @keyhinne 現代日本人はこれみて「オランダずっ友ダヨ!」ってほっこりするのかもしれんが、 太平洋戦争で蘭印占領してオランダ植民地帝国にトドメを刺したのが日本なので、ものすごく日本を憎んでいる国でもあるんやで。 x.com/DiegoDelgadoDu… 2025-04-21 08:50:09 Diego Delgado @FF14 @DiegoDelgadoDur オランダ「テメェら、俺の呼び名はネーデルラントだからな。覚えとけよ。」 他国「ういーす。」 幼馴染日本「そ、そうなんだ。じゃあ呼び名変えるね…オランダって呼ぶのやめるね…。」 オランダ「お前はいいんじゃ。」 日本「え、でも…。」 オランダ「お前は…いいんじゃ。」 pic.x.com/2MhnwN92Dh x.com/maskk0211/stat… 2025-04-20 21:18:15

はじめに※このエントリは現在スト6をやり込んでいたり過去の格ゲータイトルをやり込んだ人向けに書かれています。 概要まぁ今で言うプリキュア、いわゆる女児向けゲーム(女児ゲー)というジャンルで時系列的には美少女戦士セーラームーンSが題材、リリースは1994年、同時期にはスーパーストリートファイターIIとか餓狼伝説2とか龍虎の拳2とかが出てくる。 当時は格ゲーブーム真っ只中で、女児に人気のセーラームーンに格ゲーを載せた、女児ゲーにしてキャラゲーにして格ゲーという闇鍋コンセプト。 もうこの時点でスーパーファミコンでリリースされた『美少女戦士セーラームーンS 場外乱闘!? 主役争奪戦』の完成度へ対して訓練されたゲーマーは察してあまりある状態だと思うんだが、まぁ聞いてくれよ。 システムまず基本システムは前述の通り格闘ゲームで、通常技攻撃ボタンはパンチとキック、それぞれ弱強がある4ボタン制と言われるパタ

これは―― スウェーデンの青年がついた嘘から始まった物語である。 【目次】 1.運命の出会い 2.行動力と無計画性 3.日本人の商談ルール 4、G&Wバブルの崩壊 5.北欧ゲーム市場の開拓 6.「クラブニンテンドー」の創設 7.世界で唯一の任天堂支店 スウェーデンは北欧スカンジナビア半島の中央に位置する人口1000万人弱の王国。 首都はストックホルム。ノーベル賞やイブラヒモビッチで知られる。 ◆運命の出会い◆ 1981年初頭、シンガポールへ訪れていたオヴェ・バーグステン(Owe Bergsten)は、クリスマスシーズンに向けて輸入販売できそうな製品を探していた。彼は母国で電気店を営んでいる若きスウェーデン人である。野望に満ちた彼は輸入販売で一山当てようと画策していたが、とくに何の収穫もないまま帰国の日となっていた。するとフライトまでの空き時間、何気なく空港内を歩いていたらショーウィンドウの

この原稿は当初『webムー』に掲載予定で執筆したものです。当初、担当編集からは「すごく読み応えのある内容で、おじろく・おばさの全貌がわかる決定版というべき素晴らしい内容」「年末年始の目玉として配信します」とまで絶賛されました。 ところが……。 年が変わっても、いっこうに掲載の気配がありません。そこで、連絡してみると担当編集が「○○さん(註:上の人)がノンフィクションの強烈な内容に尻込みしている」という理由で掲載見送りだと申し訳なさそうにいうのです。 天下の『ムー』から掲載拒否!! 編集からはめちゃくちゃ謝られたのですが、こちらとしては「オレ『ムー』に掲載断られたんです」としばらく楽しめそうな話のネタを提供していただき感謝です。 なので、今後も寄稿はさせて頂くのですが、一方でせっかく書いた原稿がお蔵入りではもったいない。 そこで、改めて手直しを加えてnoteで公開することとしました。 『ムー

新型コロナウイルスの集団感染が起きたクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」が横浜に入港してから3日で5年を迎える。乗客乗員712人が感染し、13人が死亡した「未知の感染症」は、今や季節性インフルエンザと同等に位置付けられ、国際クルーズ船の受け入れも再開された。だが、元乗客は危機感をあらわにする。「災害級の感染拡大で多くの人が亡くなったのに、政府の対応は検証されないまま。果たして、これでいいのか」 「船内はまさに『地獄』だった」 ダイヤモンド・プリンセスに乗っていた80代の無職男性は当時を回顧する。 日本生まれの大型客船が那覇港から横浜港・大黒ふ頭沖に到着したのは2020年2月3日夜。すぐに厚生労働省の検疫官が乗り込んだ。 その2日前、香港で下船した乗客のコロナ感染が判明。那覇港に続く再検疫の結果、31人のうち10人の陽性が確認された。 だが患者の搬送手段も、受け入れ先もなかった。政府は船内

約三十年ぶりに伊勢参りに出かけることとなった。かねてより友との約束で再訪を期していた伊勢神宮であるが、その友は幸いにも体調を崩し、同行も叶わずとなった。そして、歳月だけが流れ去ってしまった。いささか奇妙な心持ちではあったが、結局のところ、追悼めいた旅となった。 三十年という歳月は長いようでいて、年を重ねるごとに時の流れは驚くほど速やかになる。前回の伊勢詣でがそれほどの昔であったとは思えない。内宮を訪れてみれば、五十鈴川の風景は昔日のままに変わらず、この伊勢参りを通じて、若い日に抱いていた「日本の古代史を巡る旅」への思いが再びよみがえり、過去の自分との邂逅を果たしたかのような感覚に襲われた。 伊勢に着いて、まずは外宮に参拝することとした。折しも午後三時頃で、神様への御饌が運ばれる時刻であったため、神饌を運ぶ神官たちの儀式めいた参列に興味深く見入った。翌日には内宮に参拝したが、その荘厳な空気感
庚申待をやってみたい 庚申待(こうしんまち)は、庚申信仰に基づいた行事だ。庚申の日の夜、寝てる間にお腹の虫が神様のところに行って自分の悪事を報告するので、それを防ぐために一晩中起きてるというやつ。 少なくとも初期は信仰に基づいたものだったが、後期には形骸化してただ酒を飲んで徹夜するだけのところもあったとか。すごく楽しそうだ。その形骸化したやつをやりたい。 会場はカラオケルームで というわけで以前から庚申待をやってみたかった。しかし問題は会場だ。一晩中貸してくれるレンタルルームは見当たらない。 いろいろ相談したところカラオケルームがいいという。たしかに、カラオケルームなら広い部屋もあるし、朝まで貸してくれる。 JOYSOUND 品川港南口店 というわけで JOYSOUND にやってきた。じつは JOYSOUND は我らがデイリーポータルZに協賛してくれているので、話が早かった。 VIP RO

人形劇「プリンプリン物語」 放送スタートから45年 Eテレで一挙再放送 1~50話は地上波初の再放送

韓国内に100体以上あるとされる慰安婦像の撤去を求めて活動している韓国の保守系団体「オンマ(母さん)部隊」の朱玉順(チュ・オクスン)代表がこのほど来日し、日米韓の研究者らによる慰安婦問題を巡る国際シンポジウムに出席した。朱氏は、元慰安婦の女性が強制連行されたとする説は「噓」だったと指摘し、「噓で国民をだますことは日本であれ、韓国であれ、許せない」と訴えた。 さらに朱氏は、元慰安婦支援団体「正義記憶連帯」(正義連、旧挺対協)前代表の尹美香(ユン・ミヒャン)氏(同団体への寄付金を横領した罪などに問われ、2審で執行猶予付き有罪判決。検察が上告)を批判。「親北朝鮮、北朝鮮従属の立場で慰安婦を利用し、反国家活動、反韓国の活動をしている」とし、慰安婦運動を長年率いてきた尹氏の狙いは、日韓関係の「破壊」にあると指摘した。慰安婦問題とは別に「尹美香問題」があるとの見解も示した。 シンポジウムでの朱氏の発言

その事件は私が1歳の時に起きました。覚えていることはありません。中国人の父と母は、大きくなってからも私に語ろうとはしませんでした。中国政府は事件の死者数を319人としていますが、それよりもはるかに多いという指摘もあります。 あれから35年。真相は今も、明らかにされていません。 あの時、私のもう1つの祖国で、何が起きたのか。 (中国総局 高島浩) 日本人の祖母と中国人の両親 私の祖母は日本人です。満蒙開拓団として旧満州に渡りました。 戦後、帰国できずに大陸に残った「中国残留婦人」で、養子に出されていた中国人の男の子を引き取り、育てました。のちの私の父です。 父は中国人の母と結婚。1988年に中国東北部・黒竜江省で私が生まれました。そして6歳の時、国の援護事業のもと家族4人で帰国し、私と両親は日本国籍を取得しました。

原爆の開発を指揮した理論物理学者、ロバート・オッペンハイマーが、終戦の19年後に被爆者とアメリカで面会し、この際、「涙を流して謝った」と、立ち会った通訳が証言している映像が広島市で見つかりました。専門家は「実際に会って謝ったことは驚きで、被爆者がじかに聞いたというのは大きな意味がある」としています。 ロバート・オッペンハイマーは、第2次世界大戦中のアメリカで原爆の開発を指揮した理論物理学者で、原爆投下による惨状を知って苦悩を深めたと言われていますが、1960年に来日した際は、被爆地を訪れることはなかったとされています。 今回見つかった映像資料は、1964年に被爆者などが証言を行うためにアメリカを訪問した際、通訳として同行したタイヒラー曜子さんが2015年に語った内容を記録したもので、広島市のNPOに残されていました。 この中でタイヒラーさんは、訪問団の1人で、広島の被爆者で理論物理学者の庄

1484年:コロンブス「ポルトガル王! 西に進めばインドに行けるんや! ワイの計算では可能なはずなんや!」 →ポルトガル王「うちはアフリカ探索が順調に進んどるし、東から行ったほうが有望そうやから却下やね」 1486年:コロンブス「スペイン王! 西回りでインドに行って香辛料貿易でがっぽがっぽ! どないでっか!?」 →スペイン王「ちょっと待っててな、いまイスラム教徒と戦うので忙しいんや」 1492年スペイン王「イベリア半島からイスラム勢力を駆逐したった! 異教徒から金も奪ったからコロンブスに出資したろ!」 →コロンブス「サンキュー! ワイもスペイン王みたいにインドから異教徒を駆逐してキリスト教を布教したるで! 出航や!」 →コロンブス「苦しい航海の末にインドの島々に到達したで! サン・サルバドル島やイスパニョーラ島と名付けたで!」 →アメリカ大陸(西インド諸島)の発見 ちなみに、当時の「イン

リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く