・なんでローマは崩壊したのに中国帝国は存続した?(歴史的速報@2ch) そもそもローマ帝国再興は土台無理な話として,むしろ「なぜフランク王国は西ローマ帝国再興にさえたどりつかなかったのか」という話で考えた方が建設的であろう。で,結論としては,フランク王国が北魏になれなかったってことだろう。クローヴィスからシャルルマーニュまで300年,ゲルマン人の大移動開始からなら450年弱,ちょっと時間が開き過ぎた。北魏は道武帝から太武帝までわずかに約50年。八王の乱から数えても,太武帝の統一まで約150年。間に一度苻堅による統一があるから,西欧に比べれば分裂していた期間は短い。八王の乱から隋の統一まででやっと300年だ。だから皇帝の求心力が低下しきらず,統一への求心力が維持された。 もう2つ大きな違いとして。隋は後漢の領域のほぼ全てを覆ったが,鮮卑の旧領であるモンゴル高原は保持できていない。その後,唐が
古代の王たちの書 長ったらしく書いてきました西暦535年の大噴火の話ですが、単独で取り上げる最後の地域になります。・・・3月にPCがクラッシュしなかったら、4月にはアップできたんですけどね。文章は前の下書きと変わっていると思います。完全な復元はできないものですからねぇ。さて、西暦535年の大噴火が起きたと考えられているインドネシアの話です。噴火したのは、ジャワ島とスマトラ島の間、スンダ海峡にある巨大カルデラ、クラカタウと思われます。2018年12月にも噴火を起こしたクラカタウは(この時は、430名を超す犠牲者を出しています)、535年以降も活発な火山活動を続けており、残念ながら科学的・考古学的に噴火を裏付ける決定的な証拠はありません。そのため、アメリカの研究者などは、グリーンランドの火山が原因とする説を唱えていますし、535年の災害は彗星や小惑星の衝突説を唱える研究者もいます。ま
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