そういう奴はたぶんイランとイラクの違いも知らないし、アプリコットは林檎の仲間だと思ってるし、英語の成績はいつも3だった。 ただ、あのベリーダンサーか?みたいな格好はディズニーのアラジン(アニメの方)の影響が大きいのかなとも思う。ジャスミン姫も結構露出した衣装だから。ディズニーの影響かどうかは知らんが、とにかく下品な格好して(させて)アラビアン〜とか謳うな。今じゃ猫も杓子もソシャゲのキャラもVtuberも乳と腹出して、中途半端に透けた布で口だけ覆ってる。何がアラビアンだよ。そもそも千夜一夜は中世ペルシア(やインド等)が舞台でアラブ人違うし、でも下品アラビアンたちはペルシアが何かとか知らなそう。ペル語科出身の友人も「ペルシアはアラブじゃねぇーよ!」「アラビアン•ナイトぉ?クルアーン読めよ!」って悲しんでたよ。 ただ一番気に食わないのは、あのよく分からん透けた面紗。顔下半分だけ覆うくせに、なん

新日本プロレスの10周年記念興行として行われた1981年9月23日の伝説の東京・田園コロシアム大会から40周年を迎えた。スタン・ハンセンVSアンドレ・ザ・ジャイアントの“スーパーヘビー肉弾戦”、初代タイガーマスクがエル・ソラールの肩を脱臼させた“事故試合”などが語り継がれているが、メインイベントはアントニオ猪木VSタイガー戸口のIWGPアジアゾーン予選。最大の“田コロ伝説”はこの試合前に起きた。 両雄が入場してから、国際プロレスのラッシャー木村とアニマル浜口が、10・8蔵前国技館での全面対抗戦(メイン猪木VS木村)をアピールするため割って入った。だが、マイクを握った木村は「こんばんは」と律儀にあいさつし、失笑を買った。「10月8日の試合は、私たちは国際プロレスの名誉にかけても、必ず勝ってみせます」と続けたが、微妙な空気に…。 すかさず浜口がマイクを奪って「10月8日は絶対、我々が勝ちますよ

亀は湯の児温泉のシンボル。大きな海亀が傷ついた体を癒しにきたという伝説がある 「あの日のことは忘れんですよ」 そう語るのは、16年ほど前に旅館の経営に区切りをつけ、いまは熊本市内に住む梅村健児さん(70)と里美さん(64)夫妻だ。 「いま思うとですよ。当時、若かった選手の方たちが、プロレスを何とか良くしようとしてね。あんなことが起きたんじゃないかなと思ってます」(里美さん) 選手や関係者によって語り尽くされた感のある旅館破壊事件。だが、「破壊」された旅館側の証言が紹介されたことは、これまでただの一度もない。 いったいあの日、何があったのか――虚飾のない真実が、いま、初めて語られようとしている。(全3回の1回目。#2を読む)事件発生当時「松の家旅館」の若主人だった梅村健児さんと妻の里美さん ◆◆◆ 件の「旅館破壊事件」とは? 元旅館経営者の回想を紹介する前に、昭和のプロレスファンの間では有

日々、リング上で熱い闘いを見せるプロレスラーたち。 その試合の基盤にあるのはタフな練習、そして 「食事」 だ。 その鍛えた身体を支えるための日々の食事はもちろん、レスラーを目指していた頃の思い出の味、若手の頃に朝早くから作ったちゃんこ、地方巡業や海外遠征での忘れられない味、仲間のレスラーたちと酌み交わした酒……。 プロレスラーの食事にはどこかロマンがある。そんな食にまつわる話をさまざまなプロレスラーにうかがう連載企画「レスラーめし」。 第9回に登場してもらったのは69歳にしていまだ現役選手、「組長」「関節技の鬼」こと藤原喜明選手です。 「関節技の鬼」「アントニオ猪木の用心棒」「テロリスト」 1972年に新日本プロレスに入団し、その強さを高く買われ「アントニオ猪木の用心棒」として国内・海外の移動中、常に傍らにいる存在に。 リング上では1984年の札幌大会で長州力を花道で襲撃し、「テロリスト」

日々、リング上で熱い闘いを見せるプロレスラーたち。その試合の基盤にあるのはタフな練習、そして “食事” だ。その鍛えた身体を支えるための日々の食事はもちろん、レスラーを目指していた頃の思い出の味、若手の頃に朝早くから作ったちゃんこ、地方巡業や海外遠征での忘れられない味、仲間のレスラーたちと酌み交わした酒……。 プロレスラーの食事にはどこかロマンがある。そんな食にまつわる話を、さまざまなプロレスラーにうかがう連載企画「レスラーめし」。 今回の登場は「ド演歌ファイター」越中詩郎選手。 ameblo.jp 全日本プロレスに入団し、メキシコへ武者修行後にさらなる活躍の場を求めて新日本プロレスへ。UWFから帰ってきた高田延彦の蹴りを受けまくって逆転するファイトスタイルは、敵味方ともに称賛され「ジュニア版名勝負数え唄」と呼ばれるまでに。 その後、選手会と対立し「反選手会同盟」を設立、そしてメンバー増と

村田 勝志(むらだ かつし、1939年4月1日 - 2013年4月9日[1][2])は、東京都中央区築地出身の暴力団組員。女子総合格闘家の篠原光は娘[3]。 プロレスラーの力道山を口論の末に刺傷し、力道山の死の原因となったことで知られている。 中学時代から番格を務め、握り拳にカミソリを挟んで相手を殴るスタイルから、「カミソリ村田」の異名で恐れられた。上京して住吉一家入り、大日本興行準構成員となる。 1963年12月8日の午後10時30分に赤坂ニューラテンクォーター内で、当時国民的人気があったプロレスラーの力道山と足を踏んだ踏まないをめぐっての口論の末、喧嘩になった。過去に外国人レスラーに殴られたことがあり[注釈 1]レスラーの腕力を思い知っていた村田は、護身用に持っていた登山ナイフを力道山の腹に突き立てた。脂肪が付着するほどナイフは深く刺さっていたが、力道山は応急処置を受けて帰宅し、村田の

「パキスタンでもっとも有名な日本人」猪木氏がペールワン一族の墓参り パキスタンで、故アクラム・ペールワン氏の一族の墓参りをするアントニオ猪木氏(共同) 元プロレスラーのアントニオ猪木(本名・猪木寛至)氏(69)が1日、パキスタン東部ラホールを訪れ、1976年に「死闘」を繰り広げた同国の国民的英雄のプロレスラーだった故アクラム・ペールワン氏の一族の墓参りをした。 猪木氏はパキスタン南部カラチでペールワン氏と規則なしの壮絶な試合をして勝利。以来、同国で最も有名な日本人ともいわれている。一方、ペールワン氏は敗戦によって人気を失い、パキスタンでプロレス業界が衰退するきっかけになった。同氏は87年に死去した。 猪木氏はペールワン氏にかみつかれた時にできた手の傷をさすりながら「互いのプライドを懸けたすさまじい戦いだった」と振り返った。 猪木氏は2日にラホール、5日に同国北西部ペシャワルで自らが率いるプ
出前の釣り銭をだまし取ろうとして詐欺未遂容疑で逮捕された容疑者の確保に協力したとして、京都府警上京署は、京都市上京区寺町通今出川上るの仕出し店「魚熊」経営・物部九男さん(66)と同、「井上青果店」経営・井上健次さん(68)に感謝状を贈った。 同署によると、物部さんは2月22日、大阪市淀川区、無職冨江昌敏容疑者(64)からすし(2200円分)の出前の注文を受け、近くのアパートに届けた。 1階で待っていた冨江容疑者から「3階にいる妻が1万200円を持っている。ビールを買いに行くので先に釣り8000円をくれ」と言われたが、不審に思い、3階を確認しに行くと、冨江容疑者が逃げ出したため、追いかけた。 トラブルに気づいた井上さんは自転車で追跡し、約200メートル先の路上でヘッドロックや4の字固めで冨江容疑者を確保し、同署員に引き渡した。 プロレスファンの井上さんは、本物のプロレスラーから技の指導を受け
昭和のプロレス技を復活させようの回。なんかこう、タモリが乗り気じゃない企画の時は浅いなあと思った。とりあえず棚橋と田口という人選はどうなのかしらと思ったのですが、やっぱこういろいろあるんだろうな。あれが中西とライガーとかだったらもっと面白くなったんだろうかとかなんかそんなことしか思えなかった。つうかシュミット式バックブリーカーが絶滅している技って言ってる時点でこの野郎武藤さんに謝れこの野郎っつうか武藤のキーロックとかもよく見た記憶があるし、ドラゴンスープレックスとかだって十分昭和なんだぜおめえっつうか、お前のドラゴン殺法大体昭和じゃねえのって思ったけど、ハイフライフローがただのダイビングボディプレスの名前を変えただけって言ってたので許した。つうかスリングブレイドって最後ラリアットなんだな。はじめて知った。あれが本当にラリアット決められるなら結構すごい説得力ある技だなと思った。つうかスリング
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