名を聞いて人を知らぬと云うことが随分ある。人ばかりではない。すべての物にある。 私は子供の時から本が好だと云われた。少年の読む雑誌もなければ、巌谷小波(いわやさざなみ)君のお伽話(とぎばなし)もない時代に生れたので、お祖母(ばあ)さまがおよめ入の時に持って来られたと云う百人一首やら、お祖父(じい)さまが義太夫を語られた時の記念に残っている浄瑠璃本(じょうるりぼん)やら、謡曲の筋書をした絵本やら、そんなものを有るに任せて見ていて、凧(たこ)と云うものを揚げない、独楽(こま)と云うものを廻さない。隣家の子供との間に何等の心的接触も成り立たない。そこでいよいよ本に読み耽(ふけ)って、器に塵(ちり)の附くように、いろいろの物の名が記憶に残る。そんな風で名を知って物を知らぬ片羽(かたわ)になった。大抵の物の名がそうである。植物の名もそうである。 父は所謂(いわゆる)蘭医(らんい)である。オランダ語を
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