堺駿二(父・本名/栗原正至) 大正二年生まれ結婚後、墨田区の南側(本所区)に住んでいた。関東大震災等で消失しているため戸籍をたどることは難しい。そのため、浅草のボンボンブラザーズ・鏡味繁二郎さん(いとこ)を訪ねると、写真を持っていた。兄は浪曲師・港家小柳丸(みなとや・こぎゅうまる=現在は4代目)初代は破天荒で酒飲み。父は桶屋を営んでいたが大正11年死去。翌年の震災で墓を移転せざるを得なくなる。 母が伊村義雄に頼み込み、11歳で芸能の道を志し、一座に入る。のちにインタビューで「台本の覚えも仕草も悪く殴られたことがあった」と答えていた。最初の芸名は小村政雄。18歳の時、早川雪洲に魅せられ、一座から逃げ出し、雪洲の友人に泣きつく。昭和7年、弟子を取らない主義の雪洲のもとへ100日通い、ついに一座に入り、堺駿二という芸名をもらう。雪洲には「君はまともな役よりちょっとおかしい役のほうがいい」と言わ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く