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坂根厳夫さんは、新聞記者でありながら、自らの企画による展覧会のキュレーターを 勤めていたとありまし...坂根厳夫さんは、新聞記者でありながら、自らの企画による展覧会のキュレーターを 勤めていたとありました。最近は、ある程度名前が売れてしまえばフリーのライターに なったり、大学教員になるジャーナリストが多いようでありますが、坂根さんは定年退 職まで朝日新聞に勤務して、その後に大学教員になっています。 「1989年、当時は58歳定年で朝日新聞を退職したが、60歳定年への過渡期だったた め、その後も2年間は嘱託として残ることになった。とはいえ、かなり自由に外部の仕事 もできるようになり、89年には福岡で開かれたアジア太平洋博覧会の西部ガスパビリオ ンのために、『フェノメナート展』を企画した。・・・」 ちょっと先に話がいってしまいましたが、80年2月からは「新・遊びの博物誌」 の新聞連載が始まりました。これは全部で70回の連載とのことですが、当方は、ほぼ すべてを切抜きしてスクラップしているようです
