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色で感じる文化コロナ禍で海外に行くことも、人が来ることも少なくなったが、「文化」を感じるのは、自...色で感じる文化コロナ禍で海外に行くことも、人が来ることも少なくなったが、「文化」を感じるのは、自分たちとは異なる文化を持つ共同体の地域に行ったり、人が来たりするときだろう。 1874年(明治7年)に政府の招きで来日したイギリスの化学者、ロバート・ウィリアム・アトキンソンは、『藍の説』において「日本において藍は染料となして、これを使用するのが大変多い。日本に来て全国に至るところで藍色の衣裳をみる」と記載し、「ジャパン・ブルー」と称したという(※1)。また、1890年(明治23年)に来日した小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)も、『神々の国の首都』に着物や暖簾など藍がいたるところで使用されていることを記している(※2)。日本の藍染めに用いられる蓼藍と、その染色の技術は、染色家の吉岡幸雄によると、中国や朝鮮半島から5世紀頃に輸入されたという。安土桃山時代前後には徳島県の吉野川流域で栽培され、全国に流
