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私は歴史が好きなのでトリビア的な歴史エピソードはだいたい知っているしそれにいちいち心を動かされる...私は歴史が好きなのでトリビア的な歴史エピソードはだいたい知っているしそれにいちいち心を動かされることはなくなった。 ただそんな中でも「大黒の芝」のエピソードは時々思い出してグッとくることがある。 710年に造られた平城京は、その後長岡京〜平安京と遷都の中で主役の座を譲り、810年の平城太上天皇の変以降は周囲には水田が広がるばかりになっていた。 時は流れて明治時代。関野貞という人物が平城京の跡地を探していたところ、付近の農民たちが「大黒の芝」と呼ぶ小高い場所があることを知った。 関は「大黒って大極殿がなまったんじゃね?」と考え、実際に朝廷の中心である平城京の大極殿がばっちり発見され、現在への史跡整備につながっていく。 1000年以上よく農民が語り継いだなぁと思う。 大極殿の意味は失われたが、音だけが残り、近い言葉で信仰でも身近な大黒になった。 それでも残ったわけだ。実際の建物がなくなっても、

