3日22時半頃、野党を「反国家勢力」と見なす尹錫悦大統領による突然の‘宣布’で始まった、45年ぶりの韓国「非常戒厳」事態。 明くる4日午前1時頃に国会で可決された「非常戒厳解除要求案」を尹大統領が受け入れ、同午前5時頃の国務会議(閣議)で非常戒厳解除を議決することで終わった。 ●キーワードは「国会」 この記事を書いている今、韓国にはいつもと変わらない朝が来ている。今朝配達された朝刊にも、前日の締め切り後に起きたため「戒厳」の二文字は見当たらない(各紙別途の号外を出している)。机の下では犬がいびきをかいて寝ている。長い夜が明け、全ては幻だったかのようにも思える。 しかしこんなお気楽な文章を書けるほどに非常戒厳が早くに終息したのは、運が良かったからではない。市民の、そして国会議員の踏ん張りがあったからだ。これを書いていったん、長い夜の締めくくりとしたい。 尹大統領の「非常戒厳宣布」を受け、国会

都知事選の翌日にニッポンドットコムという媒体からインタビューを受けた。以下はその記事に少しリタッチしたもの。 今回の都知事選では、選挙は民主主義の根幹を為す営みであるという認識がかなり深刻な崩れ方をしているという印象を受けた。選挙というのは有権者が自分たちの立場を代表する代議員を選ぶ貴重な機会であるという認識が日本からは失われつつあるようだ。 投票する人たちは「自分たちに利益をもたらす政策を実現してくれる人」を選ぶのではなく、「自分と同じ部族の属する人」に投票しているように私には見えた。自分と「ケミストリー」が似ている人間であるなら、その幼児性や性格の歪みも「込み」で受け入れようとしている。だから、仮に投票の結果、自分の生活が苦しくなっても、世の中がより住みにくくなっても、それは「自分の属する部族」が政治権力を行使したことの帰結だから、別に文句はない。 自分自身にとってこの社会がより住みよ

核兵器禁止条約の発効に貢献し、2017年のノーベル平和賞に選ばれた国際NGO「ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)」の事務局長、メリッサ・パークさんが19日、広島市を訪れ、トークショーに登壇しました。同条約は核兵器を「非人道兵器」とし、使用はもちろんのこと、開発や保有、そして威嚇(おどし)までも禁じています。これまでに70カ国が批准し、22日には発効から3年を迎えますが、アメリカの「核の傘」に依存する日本は「不参加」の態度を変えていません。 トークショーのテーマは、「おしえてメリッサ!『市民が国際会議にトピックを押し上げるには?』」。国会議員に条約への賛否をたずね、核なき世界を目指す広島の市民グループ「カクワカ広島(核政策を知りたい広島若者有権者の会)」のメンバーが、ICANの活動から社会を変えるためのヒントを得ようと、「根掘り葉掘り」質問しました。 ICANの活動は、「たった数人でキッ

私の友人に松竹伸幸さんという方がいる。経済学者の石川康宏さんと私の共著『若者よマルクスを読もう』というシリーズの企画を立てて、15年にわたって忍耐強く著者二人を励ましてくれた辣腕の編集者である。学生時代は代々木系全学連の委員長をしていて、共産党中央委員会では安保外交部長を務めた古参の党員である。彼が日本共産党の党代表は公選制にすべきだという提案をして、「分派」活動として党から除名処分を受けたことが波紋を読んでいる。 松竹さんとは長い付き合いである。信頼できる人だということはよく知っている。その彼が共産党の党勢回復のために提言をしたいというので、微力ながら私も力添えをしようと思って、彼の本『シン・日本共産党宣言』(文春新書)の帯文を書いた。『希望の共産党』(あけび書房)には共産党に期待することを書いた。 私は地元の共産党の議員たちと親しいし、地方選でも国政選挙でも、頼まれれば応援に駆けつけて

アメリカにおける自由と統制アメリカの話をしようと思う。自由を論じるときにどうしてアメリカの話をするのかと言うと、私たち日本人には「自由は取り扱いのむずかしいものだ」という実感に乏しいように思われるからである。私たちは独立戦争や市民革命を経由して市民的自由を獲得したという歴史的経験を持っていない。自由を求めて戦い、多くの犠牲を払って自由を手に入れ、そのあとに、自由がきわめて扱いにくいものであること、うっかりすると得た以上に多くのものを失うかも知れないことに気づいて慄然とするという経験を私たちは集団的にはしたことがない。「自由」はfreedom/Liberté/Freiheitの訳語として、パッケージ済みの概念として近代日本に輸入された。やまとことばのうちには「自由」に相当するものはない。ということは、自由は土着の観念ではないということである。 私たちはややもすると私たちは「自由というのはす
ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546) シャーリ・エブドの最新刊のカリカチュア―がエジプトのスンニ派から批判された ― イスラムの国で最高の文化を誇るシーア派のペルシャも批判した、世俗のトルコはカヴァーの画像のあるサイトを見れないようにして、大統領はPEGIDAとISISを同一視した。批判されるのは想定内であろう。トルコ語やアラブ語でも出版する確信的な行動である。それによって啓蒙されていない人々に何かを訴えかけることが出来ていると信じているのだろう。そうした希望がなければできない行為であり、ドン・キホーテ的な英雄行為である。 その記者会見ぶりや仕事ぶりを見て、我々啓蒙された近代人はその姿に感動する。そしてその雑誌のカヴァーの表現に全てを読み取る。そして連帯を誓うのだ。少なくとも何らかのものを表現したり、創造したりする人



2020年に制度が本格始動すれば、すべての中国人の行動が習近平の監視対象になる Aly Song-REUTERS <長々とゲームをするのは怠け者、献血をするのは模範的市民、等々、格付けの高い者を優遇し、低い者を罰するこのシステムにかかれば、反政府活動どころかぐれることもできない>中国で調査報道記者として活動する劉虎(リウ・フー)が、自分の名前がブラックリストに載っていたことを知ったのは、2017年に広州行の航空券を買おうとした時のことだった。 航空会社数社に搭乗予約を拒まれて、中国政府が航空機への搭乗を禁止する「信頼できない」人間のリストを保有しており、自分がそれに掲載されていたことに気づいた。 劉は、2016年に公務員の腐敗を訴えるソーシャルメディアに関する一連の記事を発信し、中国政府と衝突した。政府から罰金の支払いと謝罪を強要された劉はそれに従った。これで一件落着、と彼は思った。だが
「共謀罪」の趣旨を新たに設けた改正組織的犯罪処罰法の成立に伴い、犯罪集団に該当しない一般人であることを認定する資格試験「一般人検定(IPJ)」の実施を法務省が検討していることがわかった。早ければ来年4月から行い、検定に合格した一般人資格保有者は公安調査庁の観察対象に加えない予定をしている。 15日に成立した改正組織的犯罪処罰法は、テロ等組織犯罪を実行する前の段階で関係者全員を処罰できることから、取り締まり対象が組織の構成員でない一般人まで及ぶのではないかとの懸念が示されている。 このような懸念を払拭するため、法務省では反社会的でない一般人であることを認定する資格試験「一般人検定」の実施を検討している。 新たに立ち上げる一般人検定協会(仮称)が作成する検定試験は、首相の名前や憲法改正についての意見を問うなど記述問題を中心とした1次試験(筆記)と、公安調査庁調査官との2次試験(面接)からなる。


なぜ韓国の国民は 格差問題に激しく反応するのか韓国では、崔順実容疑者の国政への関与と大統領府が絡んだ収賄疑惑で百万人規模の朴槿恵大統領退陣要求が発生した。そのため国会で朴大統領弾劾が決議され、大統領職は停止されている。現在、憲法裁判所の裁判と特別検事による捜査が続けられており、憲法裁判所で弾劾が可決されれば、朴大統領は失職し、2ヵ月以内に大統領選挙が行われる。 現在立候補すると見られている人々は、黄教安大統領代行を除くといずれも反朴の野党系であり、新政権の下では北朝鮮との融和姿勢や日韓関係への強硬な姿勢が懸念されている。 朴大統領が弾劾されたのは、数百万といわれる市民のデモである。5000万人の国民によって選出された大統領が、支持率が5%前後に落ち込んだとはいえ、本人の有罪が確定していない時点で、一部の市民のデモで退陣に追い込まれるのは民主主義国家と言えるのか疑問が提起される。日本でこの

イギリスの若者ムスリムたち――「市民であること」の要件としてのイスラーム 安達智史 社会学理論、政治哲学 国際 #ムスリム#イスラム 現在のグローバル政治において、イデオロギーに代わり宗教が重要なテーマとなっている。とりわけ、1980年代を契機としたイスラーム化の広がりは、世俗化を旨とする近代化原理に支えられた政治・社会秩序を危うくするものとして、特に西欧社会において認識されつつある。2001年のアメリカにおけるテロは、そのような認識を世界の人々がまさに同時的に共有することとなるイベントであった。以来、イスラームをめぐる事件や出来事を、メディアを通じて日常的に目にするようになっている。 筆者は2013年4月から2015年3月までの2年間、イギリスで在外研究をおこなっていた。その間だけでも、ISIS(イスラーム国)の樹立と軍事展開(2013年4月〜)、ボストン・マラソン爆破事件(同年4月)、

生き方3.0 2013.11.04 公開 ポスト 特集 生き方3.0 國分功一郎×麻木久仁子スペシャル対談 「政治色がない」運動なんて運動じゃない(1/4)麻木久仁子/國分功一郎 哲学者の國分功一郎さんと、タレントの麻木久仁子さん。2013参院選のラジオ選挙特番で意気投合したお二人が、國分さんの新著『来るべき民主主義』(幻冬舎新書)をめぐって初対談。にっこり可憐な笑顔で、最近の「政治色のないデモ」や「知識人であることの自覚のない若手論客」に斬り込む麻木さんに、國分さんもタジタジ。「政治に関わること」の本質に、「実感のある日常の言葉」で迫ります。 私なんかが初めてでいいの?(麻木) 國分功一郎 1974年、千葉県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。高崎経済大学経済学部准教授。専攻は哲学。主な著書に『スピノザの哲学』(みすず書房)、『暇と退屈の倫理学』(朝日出版社)


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