SFを読み始めて30年。 既に約4万を超える作品を読んできた。 短編から長編、ハードSFからライトなSFまで。 それだけSFを読んでいると普通のランキングに載るような作品はもちろんのこと、誰も知らないようなマイナーな傑作にも出会う。 今回は、そういった「普通のランキングには出てこないけど、本当に読んでほしい作品」だけを厳選して紹介しようと思う。 1.『冷たい火星の墓標』 グレゴリー・ベンフォード「ハードSF」というジャンルは往々にして物語よりも科学的アイデアが前面に出がちだ。しかし、この作品は違う。 火星探査隊のクルーが、かつて存在した文明の遺跡を発見する。しかしそれはただの遺跡ではなく、何者かによって”隠されていた”痕跡が見つかる。 考古学的な謎解きが進むにつれ、火星の過去と地球の未来が交差する。 ベンフォードの計算されたプロットと、実際の火星探査データを基にしたリアルな描写が実に圧巻。

ずいぶん間が空いた山形月報ですが、今回は文学好きの間では話題ながらも難物と言われるコーマック・マッカーシー遺作2部作を中心に、ホームズの格闘術と、財政金融政策の話。文学にネタのような真面目な格闘術、さらには経済話といつもながらバラバラですが、さて、どんな話になるでしょうか! ずいぶん間が開いた (一年以上かよ!)。いつもながら、採りあげるつもり満々の本が一冊あって、それをどう料理しようか考えるうちに、ずるずる先送りになってしまうというありがちな話ではあります。 で、今回扱うのは、それではない。 コーマック・マッカーシーの遺作となる2部作『通り過ぎゆく者』『ステラ・マリス』だ。 マッカーシー『通り過ぎゆく者』 コーマック・マッカーシーは、現代にあって、本当の意味での文学を書けた数少ない作家の一人だ。そして、それは文学というものの意義が変わってきた現代では、決して容易なことではない。 村上龍は

11月11日(ポッキーの日)、かねてより見物したいと思っていた「文学フリマ」に参加した。おのぼりさん感覚、文化祭感覚、そしてかつて開いていた僕の本屋「フィクショネス」感覚を、存分に味わうことができた。誘っていただいた破船房の仲俣暁生さん(当「マガジン航」の編集発行人)に、まずは感謝する。現場でも仲俣さんは大奮闘なさって、おかげで僕は楽ができた。 開場は12時の予定で、準備は10時からということだったが、僕たちが到着した時(つまり開場2時間前!)には、すでに来場者が行列を作っていた。東京流通センターをフルに使った会場は広かったが、個々のブースは狭かった。破船房もひとつのテーブルを半分だけ使うことができて、そこに仲俣さんや僕の本を、なるたけ見栄えよく並べて客を待った。 テーブルの残り半分を占める隣のブースは、11時を過ぎても人が来なかった。大きな段ボールがいくつも積んであるばかりで、他人事なが

1 はじめに エンターテインメントに人々が何を求めるかには、時勢や一個人の状態が反映される。なぜなら、どうしても使い続けなければならない日用品と違って、エンターテインメントは嗜好品であって、我慢する必要がないからである。観たくなければ観なくても良い。途中で切り上げてもいいし、それについて気にする必要もない。そうであるから、ある一つの時代のエンターテインメントが特定の方向に舵が切られるということには、それに相応する強い背景があるはずである。本稿のねらいは日本における「異世界転生もの」と米国における「マルチバース」のブームの背景にある状況と作品の関係を探求するところにある。 たとえば『竹取物語』(平安時代、作者不詳)は月世界という異世界の御子が現生に転生する物語であった。物語の最後、「月の顔見るは、忌むこと」と言われつつ、月の光を浴びて次第に自分の過去を思い出し、かぐや姫は異世界へ帰っていく。


Executive Summary トマス・ピンチョンのオーウェル『1984年』序文は、まったく構造化されず、思いつきを羅列しただけ。何の脈絡も論理の筋もない。しかもその思いつきもつまらないものばかり。唯一見るべきは、「補遺;ニュースピークの原理」が過去形で書かれていることにこめられた希望だけ。だが、考えて見れば、ピンチョンはすべて雑然とした羅列しかできない人ではある。それを複雑な世界の反映となる豊穣な猥雑さだと思ってみんなもてはやしてきた。だが実はそれは、読者側の深読みにすぎないのかもしれない。そしてその深読みが匂わせる陰謀論が意味ありげだった時代——つまり大きな世界構造がしっかりあって、裏の世界が意味をもった60-80年代——にはそれで通ったのに、1990年代以降はもっと露骨な陰謀論が表に出てきてしまい、ピンチョン的な匂わせるだけの陰謀論は無意味になった。それがかれの最近の作品に見られ


サイエンス・フィクション大全映画、文学、芸術で描かれたSFの世界 グラフィック社AmazonSF、サイエンス・フィクションとはサイエンスとついているように基本的には科学をテーマ・取り扱ったフィクションのことを指す(科学を扱わなくてもSFに分類されるが、今回は細かいことはどうでもいい)が、科学を扱う以上その内容は現実の科学の発展に影響を受ける。たとえば、火星や月が明確に観測される以前は人々の空走の中ではそこに生命が満ちているフィクションがよく描かれていたが、鮮明な画像、観測結果が出回るにつれて火星や月に生物がいる物語は描かれなくなっていった。 一方で、SFは影響を受けるばかりではなく、現実の科学にも影響を与えてきた。多くのロボット学者は昔はアトム、今はドラえもんに影響を受けてその道を志し、琥珀の中の蚊が吸った血から恐竜の復元が試みられた物語『ジュラシック・パーク』の大ヒット後は、多くの学者

どうも、読書中毒ブロガーの ひろたつです。一生寝てたいタイプです。 今回は界隈が大盛りあがりだった企画。 いらん前置き まだ続くいらん前置きSFが生み出す“熱” 集計の概要 40位 4票 39位 5票 38位 6票 37位 7票 36位 8票 35位 9票 34位 10票 33位 11票 32位 12票 31位 13票 30位 14票 29位 15票 28位 16票 27位 17票 26位 18票 25位 19票 24位 20票 23位 21票 22位 22票 21位 24票 20位 25票 19位 26票 18位 29票 17位 31票 16位 34票 15位 35票 14位 39票 13位 42票 12位 49票 11位


「信頼できない語り手」という小説ジャンルがある。 信頼できない語り手(しんらいできないかたりて、英語: Unreliable narrator)は、小説や映画などで物語を進める手法の一つ(叙述トリックの一種)で、語り手(ナレーター、語り部)の信頼性を著しく低いものにすることにより、読者や観客を惑わせたりミスリードしたりするものである 信頼できない語り手 -Wikipedia 好きだな~そういう胡乱さ…。 でも私はもっともっと希薄なトラストを求めていて、語っている奴が人間なのか存在するのかどうかすら怪しく、言うなれば信憑性に欠ける信頼できない語り手の小説が読みたい。なんなら語っている内容の虚偽というよりは、存在の胡乱さの方を求めている。しかし読みた~い!と言ったところでインターネッチョの海で親切なウミガメが運んできてくれるはずもなく、自ら竿を持ち餌を撒かないかぎり得られないのである。 仕方

夢中にさせて寝かせてくれず、ドキドキハラハラ手に汗握らせ、呼吸を忘れるほど爆笑させ、ページを繰るのが怖いほど緊張感MAXにさせ、食いしばった歯から血の味がするぐらい怒りを煽り、思い出すたびに胸が詰まり涙を流させ、叫びながらガッツポーズのために立ち上がるほどスカッとさせ、驚きのあまり手から本が転げ落ちるような傑作がこれだ。 この世でいちばん面白い小説は『モンテ・クリスト伯』で確定だが、この世でいちばん面白いファンタジーは『氷と炎の歌』になる。 書いた人は、ジョージ・R・R・マーティン。稀代のSF作家であり、売れっ子のテレビプロデューサー&脚本家であり、名作アンソロジーを編む優れた編集者でもある。 短篇・長編ともに、恐ろしくリーダビリティが高く、主な文学賞だけでも、世界幻想文学大賞(1989)、ヒューゴー賞(1975、1980)、ネビュラ賞(1980、1986)、ローカス賞(1976、1978



「横」を見るだけでは不十分2017年にノーベル文学賞を受賞した小説家カズオ・イシグロ氏の、あるインタビューが各所で大きな話題になった。 そのインタビューが多くの人から注目されたのはほかでもない――「リベラル」を標榜する人びとが自分たちのイデオロギーを教条的に絶対正義とみなし、また自身の感情的・認知的好悪と社会的正義/不正義を疑いもなくイコールで結びつける風潮の高まりに対して、自身もリベラリズムを擁護する立場であるイシグロ氏自身が、批判的なまなざしを向けていることを明言する内容となっていたからだ。 〈俗に言うリベラルアーツ系、あるいはインテリ系の人々は、実はとても狭い世界の中で暮らしています。東京からパリ、ロサンゼルスなどを飛び回ってあたかも国際的に暮らしていると思いがちですが、実はどこへ行っても自分と似たような人たちとしか会っていないのです。 私は最近妻とよく、地域を超える「横の旅行」では

note.mutogetter.com これひとことで言って「運営がクソ」で終わりの案件だと思うんですが。 作者も東大生も、運営の人が言わんとすることも単体を取ってみればどれもアリだと思うけど、組み合わせが悪すぎて食あたり起こすやつでしょこれ。 作品自体は別にいいのですが、それでもこういうイベントには絶対に使ったらだめなやつでしょう。 私は一応言及する作品はちゃんと読んでからにすべきというのを基本路線にしてるのですが、この作品は挫折してしまいました。なので全部をきちんと読んだとは言えませんが、そうした序盤の印象と要約や書評を何点か確認しただけでもこの作品をドキュメンタリー的なものとして扱うには適していないのはまちがいないと思います。 批判的な記事だけを読んだわけではなく、桃山商事さんなどのかかれた肯定的な感想もよみましたが、それでも印象は変わりません。 https://twitter.c


前回の記事(「「編集者」の時代としての「平成」」)で、「平成」という無の時代を表象=代行する批評家として東浩紀を挙げたが、そう言えば山城むつみを忘れていたことに気がついた。そう思ったら読みたくなり、『ドストエフスキー』と『小林秀雄の戦争の時』を読み返した。読んだらやはりおもしろくて、以前より印象が良くなったが、しかし根本的な問題は変っていないとも思った。 山城の批評は、ポール・ド・マンの批評を日本において最も誠実に受容し応用実践したものと評することができる。ただしその誠実さは誠実であることにおいてかえって不実な盲目を孕まざるを得ない。それはちょうど、中村光夫が田山花袋を批判して、作者と作中人物の区別ができていないことを指摘したこと(この指摘自体は正しいかどうかは疑問があるが)を連想させる。山城は作者としてのドストエフスキーや小林秀雄を全面的に肯定するところから批評を始める。それはまさに文芸

HONZが送り出す、期待の新メンバー登場! 西野智紀は24歳の若きレビュアーだ。産経新聞、週刊読書人などで執筆をしつつ、将来的には書評家一本でやっていきたいという夢を持っている。デビュー書評がいきなりカブるという悲劇に見舞われたが、これが吉とでるのか、凶とでるのか。今後の彼の活躍に、どうぞご期待ください! (HONZ編集部) 売れる小説を書きたい――作家を志す人ならば、一度は妄想する夢だろう。印税収入だけで暮らしていけたら、人生どんなに楽なことか。しかし、当然のごとく世の中は残酷で、運よくデビューできても、ロクにヒットも出せぬまま消えていくケースなどいくらでも存在する。ましてや今や出版不況、売れない文芸作家に対する風当たりは一段と厳しい。 そうした非情な現実の嵐に懊悩するあなたの耳元で、本書はささやく。実はベストセラー作品には、黄金の法則があるのですよ。しかもこれは評論家や批評家の主観的評


少し前の話になりますけど、 公立小学校司書「今年度から ラノベが禁止になった」 -Togetter 元ツイートの大半が消えていて後から見ると何が何やら分からなくなってしまっていますが、とある学校(発言者のプロフィールによると小学校か中学校)の図書室で、性的な雰囲気の表紙イラストの作品が含まれているという理由により?ライトノベル全般が棚から撤去された、という話でした。 これ自体もたいへん興味深い話題ですが、ここでの本題は、このまとめへの反応で用いられている様々な言葉の方です。 「たしかに小説とは別物だけどラノベも読書の入り口になる」 「いつまでもラノベばかりではなく純文学も読むようになってほしい」 「こんなこと言うと怒る人いるけど、私はライトノベルは読書の入り口としても認めてない。入り口は江戸川乱歩とかルブランの推理小説で良い。まずラノベ読んで読書した気になってるのが腹立つ。ラノベの中に後


スレ建て自粛しようかと思っていたが、別スレを見て感化されたので建てる。 https://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1395877204/l50 このスレの目的は大きく2つだ。 【その1】ライトノベルが純文学の系譜に属すること。 【その2】だがそもそも純文学がオワコンであること。 以上を物的証拠で示す。 最近、「ライトノベルは小説ではない」という意味不明の論調が目立つが、それは大いなる誤解だ。 なお、オワコンという言葉は死語なので使いたくないのだが、他にちょうどいい煽り文句がないので使わせてもらうとする。 これからお前らの認識を変える。 レスがなくても淡々と書いていくことにする。


RuneFest, a convention run by thecreators of RuneScape, is supposed to be an annual celebration of the fantasyMMO that came out in 2001 and has stayed improbably relevant in 2018 due to updates,iterations, and an active streaming community. This year, some attendees raised concerns about one streamer in particular,…


先月に一時帰国した際、評判の映画『永遠の0』を観ました。また、小説も評判であるというのでこちらも読みました。どちらもプロの仕事であると思います。技術的に言えば、ストーリー・テリング(物語の展開)だけでなく、セッティングやキャラクターの造形、そして何よりも時空を超えた大勢のキャラクターが、物語の進行とともに「変化していく」効果が見事です。 キャラクターの「変化」というのは、「成長」したり「相互に和解」したり、あるいはキャラクターに「秘められていた謎」が明かされたりしてゆくという意味です。そうした効果を、時空を超えた複数のキャラクターを使って、しかも2000年代と第二次大戦期という2つの時間軸の中で実現している、そのテクニカルな達成はハイレベルだと思います。 更に言えば、老若男女の広範な層にまたがる読者あるいは観客は、多くのキャラクターの中から自分の感情を投影する対象を見出すことができるように

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