反出生主義(はんしゅっしょうしゅぎ、はんしゅっせいしゅぎ)またはアンチナタリズム[1](英: antinatalism[2])は、生殖を非倫理的と位置づける見解である[3]。反出生主義は哲学や倫理学の研究テーマであり[4][5]、学術的観点からは反出生主義には理論的な側面と心情的思想的な側面とがあり得る[6][7][8]。この種の思想や詠嘆や考察は、古今東西の哲学・宗教・文学において綿々と説かれてきた[9][注 1]。とりわけ、アルトゥル・ショーペンハウアー[11]、エミール・シオラン[11]、デイヴィッド・ベネター[11][12]が反出生主義者として知られる。 反出生主義(特に誕生否定)は、古今東西の哲学・宗教・文学において綿々と説かれてきた[9]。ただし、それらをまとめて「反出生主義」と呼ぶようになったのは21世紀の哲学においてである[13]。 21世紀の哲学者デイヴィッド・ベネターは

私が子供の頃住んでいたのはたいそうな田舎だったのですが、その中でも我が家は更に辺鄙な場所にありました。 幼稚園に入るまで、妹と私はお互いだけが遊び相手でした。我が家の半径3km以内には、他に子供がいなかったからです。 そのせいでしょうか。 幼稚園に入ってすぐに私は、自分の対人スキルが同年代の子と比べて大幅に劣っていることに気付きました。 遊びの仲間に入れない。 たまに入れてもらってもどんくさくて、みんなをイライラさせてしまう。 遠いとおい昔のことなのに、入園当時にあったいろんな出来事を、私は今でも思い出せます。 それだけ毎日緊張して過ごしていたのでしょう。 自分が他の子供と上手く遊べないことに気付いた私は、自分の何がそれほどまでに駄目なのか、いっぱい考えるようになりました。 かなしくて苦しかったですが、ぎゃんぎゃん泣きながらお母さんに引きずられて幼稚園にやってくる子が他にいたりしたので、自

「保育園落ちた日本死ね」という匿名ブログが話題になり、国会でも取り上げられたが、話が本質をはずれてきたようなのでひとこと。 「保育園に入る子もいれば落ちる子もいるのは当たり前だ」という批判があるが、保育園に「落ちる」とはどういうことか。大学ならわかるが、保育園は子供の能力で選別しているわけではない。親の納税額で選別し、保育料も所得に応じて決める社会主義的な割り当てになっているから、高額納税者の子が落ちるのだ。 この納税額は、サラリーマンの場合はガラス張りだが、自営業者の所得捕捉率は低いので、高所得者でも納税額ゼロという人はいる。サラリーマンの家庭が高価な「無認可保育所」に預ける一方、保育料の安い公立の保育園に親がベンツで送迎しているという風景は珍しくない。 幼稚園の場合には、落ちるということはほとんどありえない。需要が供給を上回れば、新たに幼稚園ができるからだ。ところが保育園の経費の90%


先日、91になりました。現役でお産取っている人間としては、日本で最高齢やと思います。助産師の資格を持っている方としてはもっと上の方もいらっしゃるんですけど、施設に入っていて活動もしておられないとか、そんな状況なもんですからね。 私がお産のお手伝いをするようになったのは、終戦直後の昭和20年です。最初に取り上げた赤ちゃんが70になるわけですね(笑)。数で言うたら4000人くらい赤ちゃんを産ましたことになるんかな。そんだけやってきてつくづく思うんは、同じお産って1つもない、ということです。 人にはそれぞれ「生まれ方」がある 同じご夫婦で7人産んでも8人産んでも、お産は一回一回みんな違うんです。だから私はいつからかな、陣痛は赤ちゃんの言葉なんやと感じるようになったんです。 例えば「微弱陣痛」という名前をお医者さんがつけているものがあるでしょう(編集部注:一般的に分娩中は陣痛が強くなっていくが、こ


承認欲求は貢献感を得るための手段だが承認欲求を通じて得られる貢献感には自由がない 最近読んで非常に感銘を受けた本、『嫌われる勇気』より。 嫌われる勇気 作者: 岸見一郎,古賀史健 出版社/メーカー: ダイヤモンド社 発売日: 2013/12/16 メディア:Kindle版 この商品を含むブログ (2件) を見る 悟りを開いたかのような哲学者と切れやすい学生との対話形式で、アドラー心理学の教えが説いてあるこの本。なんでこの学生はこんなに切れやすいんだ、いくらなんでも甘え過ぎなんじゃないのかと途中で説教したくなるものの、それはさておき対人関係においてこういう心持ちでいれば楽に生きられますよ、ということが分かりやすく書いてある。人に好かれようが嫌われようがありのままの自己を受容すること、自分を嫌いになるか好きになるかは相手の課題だから自分は一切そこに執着しないこと、また自己受容には社会に対する


昨今、主にはてなブックマーク界隈で「低学歴の世界」というのが話題である。「低学歴」って言うな。という記事もあり、まあ象徴としてわかりやすいネーミングではあるのだが確かにレッテル貼りに使われるのもよろしくはない。 ここでは「低学力の世界」という言い方をしようかと思う。文字通り、学ぶ力の低い人たちの世界だ。俺の読んだ記事はだいたい以下のようなもの。 「うちら」の世界 - 24時間残念営業 『「うちら」の世界』についての一私見 | Kousyoublog 私のいる世界 -ひきこもり女子いろいろえっち 低学歴と高学歴の世界の溝 DQN、大企業と出会う。 - 漂流する身体。 地方都市で、低学歴と高学歴の世界が交わるとき - 常夏島日記 学力というのは、努力で埋められるものではあるのだが、そもそも持ってる資質による影響というのは存外無視できない。特に小中学校では顕著であったりする。 小学校のテストな

◇部屋の広さ、受験、ブランドもの…育児期の深刻な悩みに <差異のあげつらいは、住まいから始まって、いずれ幼稚園の選択、そして小学校受験の可否にかかっていくのだろう−−>。桐野夏生さん(61)が今年2月に発表した小説「ハピネス」(光文社)の一節だ。貧富の差や生活スタイルの違いに根差した序列の構造が、子を持つ母親たちを呪縛する。そんな「ママカースト」の世界をのぞいた。 <空気が合わないので、育児の拠点を移します> 東京都内の30代の女性看護師は、ママ友の一人から届いたメールに驚いた。 自宅近くの児童館で一緒に子供を遊ばせる仲。1年以上何ごともなく、楽しく付き合ってきたつもりだった。そのママ友がある時からぱったり姿を見せなくなり、連絡も途絶えてしまった。思い切って「何かあったの?」とメールをしたところ、返ってきたのが“絶縁宣言”だった。 「そういえば……」。同じママ友グループ内に、娘に

大阪府大東市のJR学研都市線野崎駅で、快速電車にはねられて死亡した同市内の小学5年の男児(11)が残したとみられるメモに、男児が通う小学校の統廃合中止を求める内容が記されていたことが15日、関係者への取材で分かった。 大阪府警四條畷署によると、メモは同駅ホームに残された男児のリュックサックのそばに置かれており、「どうかひとつの小さな命とひきかえに、統廃合を中止してください」という趣旨の文言が書かれていた。 同市教委によると、男児が通う小学校は市立小学校統合実施計画に基づき、近隣の2校と統合され、3月で廃校になることが決まっていた。同校児童は4月から2校に分かれて通うことになっており、男児は廃校について気にする様子をみせていたという。 今月17日には閉校式が行われる予定だったが、市教委は男児の自殺を受けて延期を決めた。 男児は14日は通常通り登校。午後4時25分ごろ、同駅のホームから線路に下

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