
【安倍晋三政権に対する天皇家総代理店宮内庁の反撃が開始された】 【天皇・天皇制の根本矛盾が深まる昨今の事情推移】 【「明治に創られた天皇制」ゆえか,古代天皇史の実績を無視し,「踰(ゆ)年改元」「越年改元」を認めないという宮内庁側の奇々怪々なる姿勢】 【「古代,天皇の即位礼は元日におこなわれていたことがあり,天皇死去のさいに年内は元号を変えず,新年に改元する『踰(ゆ)年改元』(『越年改元』)の慣習もあった」という説明は,『日本経済新聞』1月18日朝刊にあったものである】 【だが,いまではそれどころではないくらい多忙・多用であるのが天皇とこの一族の仕事だという「現代的な事情」は,敗戦後に「さらに新しく〈創られた天皇制〉」が,わざわざ製造してきた内容物であった】 【つまり,古式ゆかしき天皇家の諸行事は,明治維新以来と敗戦以来にその源泉・由来を有するものがそのほとんどであったから,「古式ゆかしき」


皇后さまは20日、82歳の誕生日を迎えられた。これに先立ち、宮内記者会からの質問に文書で回答し、天皇陛下が生前退位の意向がにじむおことばを公表されたことについて「皇太子や秋篠宮ともよく御相談の上でなされ、謹んで承りました」と述べた。一方、新聞報道への感想として「『生前退位』という大きな活字を見た時の衝撃は大きなものでした」と振り返った。


天皇明仁の問題意識 天皇の生前退位が話題である。 天皇が訪問できなくても、「調子悪い」って言って寝ておけばいいんじゃないの? 無理していく必要あんの? と思っている人も多かろう。(まあ、それでもいいと言えばいいのであるが。) そのあたり、天皇明仁が、象徴天皇というものをどうとらえているのかを知っておく必要がある。 そこで本書斉藤利彦『明仁天皇と平和主義』ですよ。 『明仁天皇と平和主義』が描く明仁像は、彼が日本国憲法に定められた象徴天皇とはどういうものかを模索してきた天皇だというものである。 斉藤の本書で紹介されている明仁の言葉は、次のようなものである。 象徴とはどうあるべきかということはいつも私の念頭を離れず、その望ましい在り方を求めて今日に至っています。(本書位置No.1495=kindle版の位置情報、以下同じ) 「日本国憲法に定められた象徴天皇」ということは、政治への権能を一切持たな


2014年06月07日00:56 カテゴリテクニカル 天皇制の経済学(続き) おとといの記事のおまけ。Aghion-Tiroleの理論は単純なので、いろいろ応用がきく。これを国家にあてはめると、こんな感じだ。 法的な国家主権も実質的な権限も君主に集中するのが絶対王制で、両方とも有権者に分散するのが共和制だが、天皇制は名目的な主権だけを天皇に与え、実権は摂政・関白や将軍などの「令外の官」がもつしくみだ。このまつりごとの構造は、丸山眞男が指摘したように、形式の同一性を保ちながら実質的な変化に対応する洗練されたシステムであり、少なくとも平安時代から続く日本の伝統である。 明治憲法の失敗は、この天皇に絶対君主のような軍を統帥する実質的な権限を与えたことだ。もちろん天皇には軍をコントロールする力はないので、実質的にはナンバー2の「元老」が最高権力者になる。しかしこれも令外の官なので、その権限は伊藤博

2013年12月29日00:23 カテゴリ法/政治 統帥権はなぜ独立したのか 靖国参拝に対する反応は、最初から立場が決まっている人が多い。「私はリベラルだから反対だ」という人がいる一方、「私は保守派だから賛成しなければならない」と思い込んでいる人も多い。そういう人は「国の誇り」とやらを振り回す前に、本書を読んでほしい。 保守派の論客だった山本七平は日本軍の狂気を詳細に分析し、その根底に明治憲法の致命的な欠陥があることをきびしく批判した。本書の308~10ページから引用しておこう(一部略)。なぜこの民権派・人権派が統帥権の独立──いわば兵権と政権を分離し、政府に兵権をもたせず、これを天皇の直轄とせよ──と主張したのか。言うまでもなくそれを主張した前提は、明治の新政府が、軍事政権とはいえないまでも、軍事力で反対勢力を圧服して全国を統一した新政府、いわば軍事的政権であったという事実に基づく。 こ

2013年12月27日12:38 カテゴリ法/政治 靖国神社に「政教分離」はありえない 安倍首相の靖国参拝を批判する人は口をそろえて「憲法の政教分離の原則に反する」というが、靖国神社は本来の意味での宗教施設ではない。きのうの記事でも書いたように、国家神道は天皇制を神聖化するために明治政府の偽造した政治的イデオロギーで、およそ宗教といえるようなものではないので、安倍氏は特定の宗教を支持したわけではない。 宗教は国家権力を支える精神的権威だから、ユダヤ教でもイスラム教でも宗教的な律法が国家の法律であり、中国でも儒教が皇帝の正統性を支える国教だった。特に中世ヨーロッパでは、皇帝の権力は精神的権威に依存していたので、教皇との長い叙任権闘争の後、国家が教会を支配下に置くようになった。 しかし近代の市民革命のほとんどは(アメリカ独立革命を除いて)カトリック教会への反逆に始まった。彼らは国家と教会の癒着

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