2015年8月、日本が戦後70年を迎えた月に、私はイギリスによる植民地支配からの独立後53年目となったカリブ海の島国、ジャマイカにいた。それまで東京の大学で英文学を学んでいた私は、飛び出すように大学院を退学し、ジャマイカの首都キングストンにキャンパスをもつ、西インド諸島大学の博士課程へ留学したのだ。 西インド諸島大学モナキャンパスの英文学科は、英語では“The Department of Literatures in English”と複数形をもちいて表記される。もともと西インド諸島大学は、ジャマイカがイギリスの植民地だった時代に、ロンドン大学の分校として設立された過去をもつ。そのカリキュラムはイギリス本国と同一であり、シェイクスピアやワーズワースといったイギリス人作家だけが教えられた。その後、アメリカ人作家の作品もカリキュラムに加えられる。しかしカリブ海の作家たちが授業に取り上げられるこ


この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注によって参照されておらず、情報源が不明瞭です。 脚注を導入して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2025年3月) 『人間の条件』または『活動的生』(にんげんのじょうけん、または、かつどうてきせい、英題:The Human Condition、独題:Vita activa oder vom tätigen Leben)は、1958年に出版された、ハンナ・アーレントによる政治哲学の著作である。アメリカの政治学者アーレントは『全体主義の起源』において孤立化した大衆に特徴付けられるドイツのナチズムやソヴィエトのスターリニズムといった全体主義を論考し、これを民主政治の新しい問題として位置づけて注目された。この『人間の条件』では全体主義の問題を政治哲学の視座から見直すことで、政治とは何かという根本的な問題を考察している。 この問題を考
ハンナ・アーレントの提唱した「悪の凡庸さ」は、20世紀の政治哲学を語るうえで大変重要なものです。人類史上でも類を見ない悪事は、それに見合う怪物が成したのではない、思考停止し己の義務を淡々とこなすだけの小役人的行動の帰結として起こったとするこの論考は、当時衝撃を持って受け止められました。凡庸な人間がそうした悪になり得るということは、人間は誰でも思考を放棄すればアイヒマンのようなことをしでかすかもしれない。その可能性を考えるのは怖い。なので人はその可能性に眼をつぶり思考停止してしまいたくなる。しかし「悪の凡庸さ」が突きつけるのは、人間と非人間と分け隔てるのは思考することであるとします。映画「ハンナ・アーレント」は、アーレントがアイヒマン裁判を膨張し、「エルサレムのアイヒマン」を発表し、ユダヤ人の友人やコミュニティから非難されても、思考を止めずに主張を続ける彼女の姿を通じて、思考することの重要


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