平安時代後期(1087)に、法相宗の大本山の寺院である興福寺の門跡寺院(もんぜき)である大乗院が創建。室町時代(1465)に将軍足利義政の命を受け、作庭家・善阿弥(ぜんあみ)にて作... #蘭渓道隆 鎌倉時代に南宋から渡来した禅僧・蘭渓道隆(らんけい どうりゅう)。鎌倉建長寺を開山したことで知られる。(鎌倉) #夢窓疎石 日本初の作庭家ともいわれる臨済宗の禅僧・夢窓疎石(むそう そせき)。最高の僧侶に贈られる「国師」をもつことより夢窓国師とも呼ばれる。(鎌倉~室町) #善阿弥 もともと土木工事などに従事する「河原者」の一人だった善阿弥(ぜんあみ)。その後、才能を認められ将軍・足利義政に仕えたプロの造園家第一号である(室町) #雪舟 室町時代を代表する水墨家・雪舟(せっしゅう)は、夢窓疎石が開山した相国寺(京都)で修行をうけ、このときに庭園に出会ったとされる。代表作は主に山口県と島根県に存在
善阿弥(ぜんあみ、元中3年/至徳3年(1386年)? - 文明14年(1482年)?)は、室町時代の庭師。河原者という被差別身分の出身ながら、室町幕府の8代将軍足利義政に重用された。生年は、没時に97歳とあることからの推測で、明徳4年(1393年)とも。 永享年間に四条河原に拠点を持つ河原者で庭師として室町幕府の6代将軍足利義教にも気に入られていた虎菊という人物を善阿弥の前身であるとする説[1]がある(元中3年/至徳3年が寅年であるからの推測)[2]。 善阿弥作と伝えられるものに、長禄2年(1458年)の相国寺蔭涼軒、寛正2年(1461年)の花の御所泉殿、その翌年の高倉御所泉水、文正元年(1466年)の相国寺山内睡隠軒がある。応仁の乱の最中は奈良に移り、興福寺大乗院なども手掛けた。 興福寺中院の作庭においての待遇は「毎日三十疋、引物二千疋、手の物十一人、毎日人別二十疋宛、引物惣中五百疋」と
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