つい先日、花蓮と台東を続けて旅行した。はてブなのでネットの海に埋もれるのもあっという間だろうが、もし見つけてくれた人がいたら参考にして欲しい。 大前提として、花東は大変美しい地域だった。過ごしやすく、騒がしくなく、休暇先としては最高の場所と言ってもいい。日本からの観光客が増えないのが不思議なくらいだ。 日本の植民地時代以降本格的に開発された&元々原住民の多い土地柄とあって、台湾西側とは全く異なる雰囲気。台湾の多様性も直に感じられると思う。万人におすすめ。 ただ、以下のリンク先にもあるようにこと観光という点においては幾つかの(深刻な)課題がある気がする。 https://www.koryu.or.jp/Portals/0/images/publications/magazine/2020/%EF%BC%91%E6%9C%88%EF%BC%88%E6%AD%A3%EF%BC%89/05kank

映画の批評とそれに付随する解説・考察など。基本ネタバレ。できるだけこれまで語られてこなかった美点・特徴を持った作品を中心に扱います 監督 エドワード・ヤン 1991年 台湾 希薄な物語……というべきか、それともあまりにも多彩な物語、というべきか。『牯嶺街少年殺人事件』は様々な人の様々な生の交錯を描き、ささやかな物語性を維持しつつも物語から逃れ、見事に映画となっている。 そのため前半部は観客が内容を理解することが難しい。外国人である我々からすれば「小四」「小公園」などは人名なのか、場所なのか、小学四年生ということなのかも分からないし、登場人物たちは当時の社会情勢に影響されているらしいが、それは具体的にどんな情勢なのか? 街なかを日常的に戦車が走っているのはいったい何なのか? 小四の父はなぜ捕まり、なぜ解放されたのか? 分からないことだらけだ。 人物描写も次々と人を入れ替えていき、いったい誰が

一平方キロメートルあたり六百九人が居住する台湾は、世界で最も人口密度の高い地域のひとつである。総人口は二千二百万人超。 そして、エドワード・ヤンほど、この台湾という都市を意識して映画を撮り続けた映画作家は他にいない。他の台湾ニューシネマの同期の監督も台湾を映画で描こうとしたが、エドワード・ヤンほど執拗に都市としての台湾を描き、成功した監督はいない。また彼ほど生前においてその寡作が表している通り、映画製作の機会に恵まれなかった天才はいない。確かに、遺作となる『ヤンヤン夏の想い出』は世界的に評価された。しかし、これから映画作家として本格的に世界的に活躍しようとした時に、亡くなってしまった。五十九歳という若さであった。 現在、エドワード・ヤンは台湾ニューシネマの旗手として、映画史において伝説的な映画監督としてその名を刻んでいる。そこで、改めて、私は彼のフィルモグラフィを振り返りつつ、いかに彼が映

花蓮(ホワリエン)エリア台北から鉄道で約2時間、台北の松山空港から約50分の場所にある花蓮は、現地の人に人気の観光地です。台北からの日帰り旅行もしやすい場所なので、日帰りツアーを利用して訪れるのもおすすめです。 大理石の岸壁は大迫力 太魯閣国家公園 九曲洞 花蓮の見どころとして外せない場所が、「太魯閣国家公園(タイルーガーグオジャーゴンユエン)」。「台湾府志」に記された「台湾八景」のひとつです。大理石の岩盤が立霧渓という川に浸食されて形成された渓谷が公園の中心となっています。迫力ある奇岩と森の緑のコントラストが美しい場所です。 南北に約38km、東西に約41kmに広がっており、総面積は9万2000ヘクタールにも及びます。広大な敷地の中にさまざまな絶景スポットがあるのですが、広大すぎるがゆえにあらかじめどこへ行くか決めておかないと、うまく回ることができません。 そこで、どこを訪れるか迷ってし

台北・松山空港では、空撮写真のように飛行機を俯瞰で撮れる場所があります。 それが今回紹介する「劍潭山」。 この記事では劍潭山への行き方や撮れる写真などををお届けします。 劍潭山ガイド 劍潭山はこんなところ 劍潭山は台北・松山空港の北側にある山です。 超有名ホテルの圓山大飯店が麓にあり、このホテルは2018年11月に読んだ漫画の島耕作にも出てきていました。 劍潭山は山と言ってもちょっと頑張れば登れる程度。 頑張った先には、飛行機を上から撮れる素晴らしい世界が広がっています。 劍潭山の場所と行き方 劍潭山の場所 劍潭山の行き方 劍潭山展望台までの行き方はちょっと複雑なので、写真付きで紹介します。 最寄り駅はMRT劍潭駅。ここから歩いてアクセスします。 目指す展望台までは駅から徒歩30~40分ほど。 山道を登っていくので、気合を入れていきましょう! MRT劍潭駅を降りると、目の前に見える山が劍潭

「素晴らしい夜であった。それは、親愛なる読者諸君よ、われらが若き日にのみあり得るような夜だったのである」 「白夜」ドストエフスキー エピグラフを入れてみた。エピグラフには一般的に、作品にコンテクストを与えたり、余韻を与えたりするためのもののような気がする。なぜ、僕が突然ドストエフスキーを引用したかといえば、それは、いわば、有り体に言ってしまえば、カッコつけてみたというとことなのである。 なんにせよ、とにもかくにも宜蘭の夜は、年に一回あるかないかの特別な時間だったような気がした。 前編:台湾の原住民タイヤル族の村で村長に会い、なぜか面前でカラオケを歌わされる。 - 今夜はいやほい 幸福帽のおっちゃんは車を走らせた。 コンビニの居抜き物件のような体裁の店についた。店のまわりは、閑静な住宅といくばくかの田畑で構成されており、日本の郊外とよく似た風景が広がっていた。僕と加藤は、もう十分にお腹がいっ

Kebaya Bali Anne Avantie Yang Mempesona – Kumpulan Model Kebaya Continue Reading

台湾カルチャーを五感で味わえるTaiwan Tea & Gallery『台感』が東京・蔵前にOPEN! 日本初の台湾カルチャーに特化したお店で台湾の魅力に出会う こんにちは。Keinaです。 ものづくり好きに人気の蔵前に、2017年12月1日に台湾カルチャーが味わえるお店がオープンするという情報を聞きつけて、さっそくオープン日に遊びに行ってきました! Taiwan Tea & Gallery『台感』のプロデュースを手がけたのは、台湾と日本をつなぐクリエイティブエイジェンシー『LIP』、運営はVidaway。以前、箱庭でご紹介していた、LIPがつくったガイドブック『LIP的台湾案内 こんにちは! 新しい台湾』も濃い情報が盛りだくさんだったので、新しいお店では、どんな台湾カルチャーに出会えるか期待も高まります。 『台感』は大江戸線蔵前駅 (A5出口)を出てすぐのところにあります。 ギャラリーで

歌舞伎町をつくったのは誰か? その答えは「台湾人」である。断言してしまうと大げさかもしれない。だが、今の歌舞伎町の原型を形造るうえで、彼らが大きな影響力を持っていたのは事実である。その軌跡を示すかのように、歌舞伎町には今なお台湾の痕跡が残っている。今回はそれらを紹介するとともに、歌舞伎町と台湾の黒社会との関係についても考えてみたい。 まず、簡単に経緯を振り返る。現在の歌舞伎町の基礎になったのは、太平洋戦争後の闇市である。元々は内藤新宿として宿場町ベースで発展していたので、マーケットとしてのポテンシャルは高かった。しかし、空襲で焼け野原になってしまったため、戦後まもなく新宿復興計画が始まった。 この復興計画では、現在の新宿バルト9、世界堂のある新宿3丁目から甲州街道沿いの南新宿~西新宿エリアが中心になる予定だったという。それもそのはずで、街道沿いのほうが発展していたし商売人も多く集まっていた

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