こんにちは、えらせんです。 今回は「かっこいい大人が手放すべき思考」というテーマで話していきます。大人になるということは、何かを得るだけでなく、不要なものを手放すことでもあります。それは感情であったり、考え方であったり、日々の習慣かもしれません。今回は、カッコよく生きるために手放したいものについてお伝えします。 1.認めてもらいたいという承認欲求「どう思われるか」が基準になっていると、本当にやりたいことが見えなくなります。他人の視線を気にするよりも、自分が納得できるかどうかを大切にしましょう。他人はあなたの人生を生きてくれるわけではありません。自分の行動や選択に満足できれば、他人の承認がなくても、自信を持って生きられるようになります。 2.他人を羨んでしまう嫉妬心「隣の芝生は青い」とはよく言いますが、嫉妬心に支配されると、自分の価値に気付けなくなります。他人と比べるより、「昨日の自分」と比
2017年10月03日16:50 カテゴリ防衛機制心理学・自己啓発・瞑想・ヒーリング全般 防衛機制としての外化(externalization) 防衛機制(defense mechanisms)とはフロイトが創始した精神分析学の概念で、不安を避けるために私たちが用いる心理的メカニズムのことです。 たとえば、否認(本当のことを認めない)、合理化(納得いく説明を捏造する)、反動形成(感じていることと真逆を装う)などいろいろあります。 防衛機制はその場での不安を避けるのに有益なこともありますが、無自覚のまま用い続けると、自分の本当の気持ちや相手の本当の気持ちから疎外され、心理的に病んでしまう原因にもなりかねません。 多くの心理的問題には、本人が気づかないまま用い続けている防衛機制が関わっているため、セラピーでは、本人に防衛機制を自覚して乗り越えてもらうことを重視します。 今日お話しする「外化」も
「圧倒的に面白い」「共感と刺激の連続」「仕組み化がすごい」と話題の『スタートアップ芸人 ── お笑い芸人からニートになった僕が「仲間力」で年商146億円の会社をつくった話』著者・森武司氏(FIDIA社長)は、2005年の創業以来、18年連続増収増益を達成し、年商146億円となった。ここまで会社を成長させてきた秘密は何か?本書からより深い学びを得ようと、インタビュー企画を実施。今回インタビューするのは、FIDIA役員でありグループ会社「イルミルド」の西俊彦社長。素人ながら化粧品開発に取り組み、あの資生堂を抜き、アマゾン年間売上1位となった。今回は本書にも登場した西氏に「仕事を任せられる人の条件」を聞いた。 「仕事を任せられる人」の条件 ――西さんは以前のインタビューで、「大きな仕事を任せることで社員を成長させる」とおっしゃっていました。仕事を任せられる人の条件とは何でしょう? 西俊彦(以下

インド民はとにかく何かにつけて「言い訳」を唱えてくる。まず、インドに着任してイライラするのはこのインド民のコミュニケーションモードである。これはインド民の自己防衛本能の一種であるが、実際に部下や取引相手として対峙した場合にはなかなか手ごわい。その結果、彼らとの議論が面倒臭くなり、適当にやり過ごし、こちらが相手の主張を飲み込んでしまった場合、インド民は、「やはり俺が正しかった」と本気で思いこむ。よって、議論や責任を有耶無耶にすることは、長期的に見れば相互に誤解を生むことになり、結果として逆恨みや約束の不履行などに繋がる。相手が部下であれば、あなたは彼や彼女をコントロールできなくなるだろう。何しろ、あなたが追求をやめれば、相手は自分が受け入れられたと考えるからである。日本人であれば、無理筋な自らの主張を理解して、心のどこかで良心の呵責が発生することを期待できるかもしれないが、インド民はそのよう

悪気はなくても…。ふいに人を傷つけてしまったときにできること余計な一言やとっさの嘘で相手を傷つけてしまったり、つい感情的になってひどい言葉を放ってしまったこと、多かれ少なかれみなさんにもあるのではないでしょうか。人を傷つけずに生きていきたいけれど、どんなに配慮をしても、色々なことが起きるのが人生です。今からでもあなたのできることを一緒に考えてみましょう。2021年03月18日作成

「自己肯定感」という言葉を耳にしたことがあるだろうか。人は、さまざまな経験を経て自分自身の存在を受け入れ、「自己肯定感」を高めていく。しかし、自分を受け入れられず自己肯定感が低いまま社会人になり、行き詰まりを感じる若者が少なくないという。(清談社 真島加代) ケアレスミスを連発する人の自己肯定感が低い理由 若者だけでなく、中高年でも自己肯定感の低さが問題となるケースは多くある。些細なミスで部下を怒鳴りつける上司も、実は自己肯定感が低いのだ Photo:PIXTA 「自己肯定感は、読んで字のごとく自分自身の存在を受け入れることを指します。心理学用語として『I am OK』と表現されることもありますね」 そう話すのは、全国心理業連合会公認上級プロフェッショナル心理カウンセラーの浮世満理子氏(ホームページはこちら)。 「自己肯定感が低いと聞くと『自信がなくておとなしい人』をイメージしがちですが

ブログネタ:アスペルガー症候群 に参加中! さて、前回、 「アスペルガーは言い訳ばかりする」と判断される要因を3つ書いた。 下記3点である。 ================================================= 【1】非難を、質問文の形式にしてしまっている 【2】「普通」「常識」といった義務では無いもの(暗黙的ルール)を、 事前説明無しに要求している 【3】何故か「虚偽の報告」であると決めつけている ================================================= 今回は、4つ目の理由について記載したいと思う。 そして、この4つ目の理由こそが、 言い訳を多発させている要因ではないかと、個人的に推測している。 【4】「悪い」の判定基準が異なる仕事の場合で考えてみる。 定型発達者とアスペルガー患者では、仕事における「悪い」が、

アスペルガー症候群だからって言い訳してしまうとそこで成長って止まってしまうと思いません? 私は自分がアスペルガーだと知らずに大人になってしまいましたが、知ったからこそ出来ない事を一つでも多く知り改善したいと考えています。 出来るか出来ないかは難しい問題ですが、アスペルガーだから出来ないという言い訳をしたくないんですよね。しかしこの障害があるから仕方が無い事も沢山あります。こればかりは解決しない(汗) 自閉症スペクトラムは相手の気持ちが理解出来ないと言いますが、これは頑張ってもかなり難しい問題です。 興味が持てないから理解出来ないのかもしれませんが、自分の考え方と相手の考え方に相違があると受け入れがたいのです。 しかし受け入れたくない訳ではないので理由を聞いたり話し合ったりと歩み寄る事はしています。 それでも相手の気持ちが鮮明に見えてこないと理解が出来ないのですが。。。発達障害は冷たいとも

私がASの人に一番「ASらしさ」を感じるところは、「人の存在が絶えず前提されている」ということだ。あるASの人から、「ASは人から干渉されると困るんですか?」と聞かれて、「あなたは全く干渉されないことが想定できますか?」と逆に聞き返したことがある。ASの人は干渉されないことが想定できないと思う。ADHDは逆にACやAS被影響症候群などの二次障害がひどい場合を除き、「干渉されないことが当たり前」という基本前提で考えると思う。 その他、「この人のおかげでたいそうひどい目に遭っている」と訴え続ける割に、「だったら距離を置いて関わらなければ良い」という発想が出来ない。とかの、ものの考え方の「結果」の部分よりも、「当たり前に想定している」部分によりASらしい、ADHDらしいとところが現れる。 例えば計画で言えば、ADHDは第一感で長期計画を立てようという認知はない。現実生活の不適応のために二次的に


ジャイアン(自己正当化型ADHD)の不思議な(理解されにくい)発想に、「自分が躓いたのはこんなところに石があるからだ」というものがある。「誰が置いた!」と逆切れするのは珍しくない現象だ。 私は最初はこれは「人のせいにしている」ということだと理解していた。しかし最近になって、実は「実際にそう見えている」という認知障害と考えるべきであると考えるようになった。 つまり、「本当に表面的な現象しか見えない」「自分が能動的に歩いていたとか、発見できなかったということは全く思い浮かばない」ということだと今は考えている。 「石があった」→「躓いた」ということだけが頭にあり、それ以上に想像は全く広がらないから、「石が悪い」ということになるわけだ。 対人関係の場合には、「ただ相手が怒っている」ということだけが見えて、その原因にまでは全く想像が届かないので、とりあえず機嫌取りで相手をなだめるという発想しか浮かば

ADHDの本質は「自己突っ込み」であると私は考えている。 「先延ばし」や言行不一致への異常な怒りなどの大きな 行動特徴はこの自己突っ込みから来ていると考えるからだ。 ところで私の飼っている自己突っ込みの最強のものは、 「その醜い姿でいつまで生き恥をさらし続けるか?」と いう自己突っ込みであり、24時間365日ずっと意識の片隅にある。 事実おっしゃる通りなので、まともに反論するすべは無い。 出来ることは、「(この自己突っ込みへの)言い訳をし続 ける」ことしかないというのが私自身の現状だ。 「このブログで、ジャイアンの醜い姿を自ら公開して、 ジャイアンの周囲からの理解しにくさ、本人の生き辛さを 少しでも解決出来る可能性を考え続けるので、今しばらく 勘弁してくれ」と自分に言い訳をし続けている。 合理的な自己突っ込みは「問答無用」で、弁護の余地の無い 失敗は、意識のかなたに忘れていても、時折蘇って

最近の考察を受動型ASの本人から見た場合で考えてみた。 受動型ASの本人が理解するべきことは、以下の通り。 1.「誰かが本人を理解することも、本人を大事にすることも、100パーセントを求めることは出来ない」という単純な当たり前の真実を認める。 2.親でも。親友でも、パートナーでも同じである。「100パーセントを目指して努力し続ける」ことは出来るが、結果として「100パーセントの理解が成立した」と感じるとすればそれは「錯覚」であり、「勘違い」である。 3.当たり前に100パーセントの理解や100パーセントの受け入れを要求した場合、関係が長持ちすることは不可能である。これも考えれば当たり前であるが、現実的には「4、5歳までの幼児期に親が一見それに近い状態になれる」か、または「胎児期の母親は100パーセントの庇護をすると言えるが、その母親に胎児が現実的に要求することは出来ない」と考える。 4.だ

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