青い鳥症候群(青い鳥シンドローム)は、精神科医の清水将之氏が提唱した言葉です。 青い鳥症候群は、幸福の「青い鳥」を求め探し続ける旅人のように、「もっと自分に適したものがあるに違いない」と定職につかなかったり転職を繰り返したりする、漠然とした青年の思考パターンを意味します。 青い鳥症候群は、高い知的能力を持っていながら、精神的な幼児性があるため、現実を認識する能力が低く、具体的には、環境や集団にうまく溶け込めない、進路の選択ができないといった状態をいいます。 社会性を身に付ける経験に乏しく、忍耐力が低い若者に、青い鳥症候群が多くみられるといわれています。 また、子供時代においては、勉強中心の生活で友達との交流が少なかった人、プライドが高く自分の思う通りに事が運ばないと我慢できないような自己中心的な人に多くみられるともいわれています。 青い鳥症候群は、日本独自の特異的な現象といわれ、本人がこの
『発達障害に気づかない母親たち』(PHP研究所) 「家事が苦手でいつも家が散らかっている」「感情のコントロールができずすぐカッとなってしまう」「人づきあいが苦手で集団に馴染めない」「子どもをどう愛していいかわからない」etc.…もしかしてあなたは、こんな悩みを抱えてはいないだろうか? もし、心当たりがあるという人がいれば、特にお勧めしたいのが、『発達障害に気づかない母親たち』(PHP研究所)だ。というのも、冒頭に挙げた悩みを抱えてしまうその理由は、「発達障害」という病気のせいかもしれないからだ。 自閉症、学習障害、ADHD(注意欠如多動性障害)などの病気の総称である発達障害。子どもの抱える病気というイメージが強い発達障害だが、大人にも発達障害はある。 「発達障害を抱えている日本人の割合は、10人に一人とも言われている」 そんな衝撃的な事実を教えてくれるのは、不登校や発達障害などを専門にする

広島在住の臨床心理士が,忘れっぽい,うっかりミスが多い,ぼーっとする,空想に浸りがち…そんな「のび太型」のADHD症状とうまく付き合う方法を紹介します。 home about all admin 皆様、お久しぶりです。 昨年7月に記事を書いて以来、ブログが放置気味になっていました。大変申し訳ございませんでした。 これにはわけがありまして、実は、受験勉強をしておりました。 私は現在広島大学の博士後期課程に在学中であり、マインドフルネストレーニングの研究をしています。 すなわち、博士課程の受験のためにブログが更新できなかったのです… 沖縄から広島に転居し、今ようやっと落ち着いてきたところですので、ブログの続きを書きたいと思います。 前回までのおさらいをしますと、「やる気が出ないから行動しない」という考えが悪循環の始まりであり、本当は「行動するからやる気がでる」のが脳科学的に正しいということを
人格障害と呼ぶ前に⑥ -- ADHDのACでないことを確認する。 自分で「境界例」や「AC(アダルトチルドレン)」と言ってクリニックを訪れる人の多くはADHDのACであると私は考える。ADHDの二次障害によって、自己評価が低下し、「自分は人格障害だ」「変わらなければならない」と一生懸命に訴えるが、客観的には深刻味に欠け、訴えるほど対人緊張が見られず、また人格障害特有の人を振り回すずる賢さなどを感じさせない。多くは「考えすぎ」等と言われて相手にされずがっかりして通院をやめることになる。ADHDは状況が分からない障害で、境界例やACは状況認知に非常に敏感であり、本来ADHDはACにはなりようが無い。しかし主観的には、本人の体験としては、見捨てられ不安や人と自分の問題の境目が分からないなどの境界例やACの特徴を備え、「本人の感じている形としては境界例やACそのもの」ということになる。 上の特

AC、人格障害関連 親子の相性⑤親がADHDのACの場合 2006/12/24 AC、人格障害関連,ADHD関連, その他(医療関連), 研究, 診療 コメント: 10 母親がADHDのACの場合ADHDのACは二次障害のため基本的に自信がなく、また多数派に合わせるために(本人の感じ方としては)「こんなに自分は頑張っているのに」という追い詰められた状況に生きているため、結果として「身近の人に支配的になる」ことがある。 またADHDとして三者関係が分からない部分はそのままであり、子供が思春期に差し掛かると、親の不安定なところを見て、「親として頼りにすることができない」ということになることもある。 思い込みが激しく、時には非常に強迫的な教育ママになることもある。(積極奇異型ASのパートナーに合わせて生活した場合には実はよく見られる。この場合は強迫的に完璧に家事をこなしたりするためにADHD

自己コーチングガイド各論② ADHDの自己理解そのC (言葉表現の特徴を理解する) C.ADHD特有の言語表現の特徴を理解する。 多数派はコミュニケーションの場において、他者の表情や口ぶりなどの非言語的情報から「状況」を直感的に察知し、言語的情報はむしろ表面的で、しばしば本心と異なる「建て前」という形で現れる。 これに対しADHDは、非言語的な直感的状況察知は出来ないため、言語的な情報のみで意志を伝えようとする。簡単に言えば「本当のことしか言わない」のだが、このために多数派から見ると奇異と映るいくつかの特徴が現れる。 例えば「馬鹿正直」、「冗談や遠まわしな表現が通じない」、「ズバズバ言い過ぎる」等の多数派と異なる言語表現上の特徴を呈し、そのための反発やマイナスの評価を受けることも多い。これは多数派からみると、「自分が不利になることを計算もしないで本当のことを言ってしまう」、「状況から考えれ


AC、人格障害関連 ジャイアンは回復するとのび太になる 2012/8/17 AC、人格障害関連,ADHD関連, AS(アスペルガー)関連, その他(医療関連), 研究, 診療 コメント: 59 「のび太とジャイアン」の新しい図は、理解ある環境で育ったのび太と、厳しい合理的な環境で育てられたジャイアン予備軍のADHDは同じ「合理的ADHD」になるという考えを表している。 これは、とりもなおさず、「ジャイアンはジャイアン的な対人関係のグチャグチャした関係を切り離せば、みんなのび太に限りなく近いスタイルに移行する」ということを意味する。 厳密に言えば、最初からのび太のケースとは、「強迫的傾向」で少し違う可能性はある。ジャイアン予備軍で厳しい合理的な環境で育った群はこだわりが多く強迫的になることが多いだろう。他方「最初からのび太」はむしろ、こだわりは少なく、「好きなことだけする」という風で、一見

「言ってやってもらっても駄目、意味が無い」という感じ方はAC特有の発想であると言われているが、表面的にはACでないジャイアンにも受動型ASにも同じような発想と行動パターンがある。 ①ACの場合 「自分がそんなことを口で言おうものならとんでもないわがままと思われて嫌われる、見捨てられるから言えない」。幼少期の家庭環境の中で「本当のことを言ったら見捨てられる」という不安が強かったことから来る認知と行動のパターンである。 ②ジャイアンの場合 「人にお願いすると後で自己突っ込みがきついのでお願いはできない」「自分で責任を取りたくないのでつらくてもお願いはしない」。独立独歩の中心志向と責任を取りたくない志向が両方とも非常に強いので、自分からお願いするのは都合が悪い。 ③受動型ASの場合 「そもそも自分から動く必要自体ありえない」「当然相手から動くべきだ」。依存させることを約束したわけだからその相手に

明らかにADHDの仲間であるのだが、過集中エピソードが目立たない一群が居る。 過集中で突っ走っているADHDから見ると、「好きなことに集中することを忘れた」という風に見える。 周囲に合わせるしかないと思い込んだADHDのACかと思うと、それほど自己評価は下がっていない。 場当たり的になった依存型ジャイアンかと思うと、合理的思考は保たれている。 世間的には「頑固者」という見掛けになる。 おそらくもともとある程度KYである(非言語的状況察知能力があまり無い)ので、場に合わせ続ける依存型にもなりきれず、「自分を飼いならすような合理的な理由を見出して無理矢理納得することを習慣としてしまった」と私は想像している。 このタイプの親は管理型の強迫的ジャイアンが多く、幼少期からかなり強制的に親の価値観を押し付ける。 不思議なのは正面切ってこの親に反抗しないことだ。普通のジャイアン、ADHDであれば、不合理

ジャイアンACで「褒められると苦しい」という話を何名か聞く機会があり考えた。 最初は「親のジャイアンから徹底的につぶされて自己評価が極端に下がっているから」という風に考えてきたが、どうやらまったく違うメカニズムでそうなることがあるようだ。 ジャイアンは褒められると相手の意図を問わず表面的に舞い上がって調子に乗ってしまう。表面的な世界に生きる悲しい性だ。そのせいで、例えば「いい嫁」と言われたら「本人の主義とか性格に関係なくいい嫁たるようにがんばる」ということになる。 もともとジャイアンは人の言いなりにはなれないところもあり、周囲にあわせて優等生だけしていると本来のジャイアンの部分に大きな不全感を感じ、うつ状態やパニック障害様の身体症状(ふらつき、動悸、過呼吸、吐き気、下痢など)が出現して多くは身体的に不調となる。 それらの症状で心療内科に受診してよく話を聞いてみるとADHDのACであり、AC


のび太型ADHDは、他者を気にすることなく、本当の意味でマイペースで生きられるので、本来「依存」とは全く無縁のはずである。 しかし現実には、共依存の片割れになっていることがよくあり、何故なんだろうかと考えていた。 具体的には、「誰もしようとしないから自分が引き受けた」「しょうがないねえ」という流れでみんなの面倒なことを結果として押し付けられ、相手が子供やパートナーの場合は丸投げ依存されてしまいケア上のマイナスが大きいという結果になる。 「あなたは本来人に依存する人でも依存させる人でもないはず」という人なのに結果は共依存の状況が出来上がってしまうのだ。 私はこの現象は、「現実状況だけを見て人を見ていない」ことの結果であると思いついた。 目の前の現実は解決するべきである。本来するべき人はやろうとしない。しないと口で言っていたりする。いろいろ出来ない事情を言っていたりする。 「人」を見れば、「こ

のび太が依存になってしまうのはなぜかずっと考え続けていたが、思春期のケースについて考えていて一つ気がついた。 「アスペルガーの家族の影響下で育つとのび太も依存的になる」。 のび太は本来ドライなADHDなので、例えばADHDばかりの環境で育てば、いくら他者が仕事を放置して帰っても「私の仕事じゃないから」と平気で放置して帰れるようになるはずだ。 のび太(だけでなくADHD)が育つには、十分に放置されることが必要なのだ。 のび太(だけでなくADHD)の場合に、「せっかく私がやろうとしていたのに親などからやれと言われたからやる気が無くなった」「親の言い方が嫌だからやる気が無くなった」という発言が聞かれて、「やらない言い訳」の典型のように受け取られているが、私はこの発言には意味があることが分かってきた。 つまり、本人から見て「現実的な必要」から「人からの要請」に変化したということだ。 私はAS環境と


孤立型ASDについての理解は時間とともに深まっている。 今回第二段をまとめてみる。 この人たちの特徴を一言で言えば、「イヤなことをしないことに一切罪悪感を感じない」と 言い表せるだろう。 ある思春期の小学5年生は、本人のこだわりで一部しか授業に出ないことに対して、「クラスメートからずるいと言われることを気にすることは無いの?」との質問に、「実際に言われているけれどもそれが何か?」と涼しい顔をしている。 このブレなさ加減が孤立型ASDの真骨頂とも言うべきところだ。 ノビ太型ADHDは嫌なことをしなかったら「自分は逃げていて良くないのではないか?」と 必ず考えて、そうこうしているうちに結局嫌なことをする羽目になる。 ジャイアン型ADHDは逃げていると人から指摘されたら大変なのでとても平気ではいられない。 受動型ASDも外モードでは周囲に合わせるのでこれほどオレ流にはなり切れず、元祖オレ流の積極

2015年12月17日 何も考えてない奴の特徴wwwwwwwwwwwwwwwwwwwww カテゴリ ☆妻「夫から知らないシャンプーの匂いがする変な店に行ってるに違いない」 探偵「調べたところ」→結果… ☆俺「PayPayで」店員「使えないです」俺「いや、だからPayPayで」店員「当店では使えないです」俺「だ・か・らPayPay!!」→結果… ☆違法駐車する奴がいたので、カラーコーンの内側にセメント詰め込んだやつを設置したら… ☆医者「癌ですね、余命3年です」自分「で?だからなに?」→結果… ☆自分「3月で辞めます」クソゴミ上司「でもこの報告書は君しか書けないよ?」→結果… ☆家の近くの交差点はしょっちゅう事故が起きる。→交差点に向けてカメラを設置した結果… ☆弊社「社長は新型クラウン買って息子の家建てたけど物価高で給料カットしまーすw」→結果 ☆女上司(29)「アハハ」ブッブビチィッ 新

リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く