日本におけるSFの始祖となった小説家。本名は佐野昌一。徳島市の医家に生まれ、早稲田大学理工科で電気工学を専攻。逓信省電気試験所に勤務するかたわら、1928(昭和3)年、「新青年」に『電気風呂の怪死事件』と名付けた探偵小説を発表して小説家としてデビュー。以降、探偵小説、科学小説、加えて少年小説にも数多くの作品を残した。太平洋戦争中、軍事科学小説を量産し、海軍報道班員として従軍した海野は、敗戦に大きな衝撃を受ける。敗戦翌年の1946(昭和21)年2月、盟友小栗虫太郎の死が追い打ちをかけ、海野は戦後を失意の内に過ごす。筆名の読みは、「うんのじゅうざ」、「うんのじゅうぞう」の二通りが流布している。丘丘十郎(おか・きゅうじゅうろう)名でも作品を残し、本名では電気関係の解説書を執筆している。 「海野十三」

この作品には、今日からみれば、不適切と受け取られる可能性のある表現がみられます。その旨をここに記載した上で、そのままの形で作品を公開します。(青空文庫)

1895年3月17日東京に生まれ、東京大学英文科を中退し、1919年プリンストン大学を卒業する。ジェイムズ・M・バリ著「マイレディ・ニコティン」、モース著「日本その日その日」、ジョセフ・C・グルー著「日記・公文書・私文書に基く記録」、ハーシー著「ヒロシマ」、パールバック著「郷土」、ヴァン・ワィック・ブルックス著「花ひらくニュー・イングランド」「アメリカ文学史」「自信の歳月」、フランク・ギブニイ著「日本の五人の紳士」、ハーディ著「テス」などを訳し翻訳家として活躍。また、大阪毎日新聞、東京日日新聞特派員としても活躍。また、自ら日本パイプクラブ会長と名乗るぐらいの愛煙家で煙草に関するエッセイも多い。さらに、1952年小津安二郎監督の「お茶漬けの味」に大川社長役で出演している。一方同年東京ライオンズクラブ初代会長になり、1959年6月3日第42回国際大会で国際理事に就任するも、同年8月4日急逝。(

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