それは二〇二四年の出版界における一つの事件であった。あるいは、その後の「令和人文主義」を巡る議論を思えば、ある種の地殻変動の予兆であったのかもしれない。三宅香帆氏による『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』が三十万部を超えるベストセラーとなり、多くの読者がそのタイトルに自らの姿を重ね合わせ、切実な共感の声を上げたことである。 そこでは、かつて学生時代には貪るように本を読んでいた人間が、社会に出て「全身全霊」を求められる労働環境に身を置いた途端、読書という行為から疎外されていくという喪失がもたらす痛感が語られた。しかもそれは個人に由来する要因、例えば、怠惰のようなものではなく、日本の近代化と労働倫理の構造的な病理として描き出された。ゆえに同書は、現代の若年層の心に巣食う「文化的欠乏感」を見事に「言語化」したとして受容され、「消費」された。 この受容的消費に対し、データをもって異議を唱えたの

生成AIによって作られた「やたら長文なのに内容は薄い文章」とか「要約されてはいるけど、必要なことが書かれていない文章」を上司や同僚に送りつける人がいます。 そういう仕事の邪魔になるようなAI生成物ををハーバード・ビジネス・レビューが「ワークスロップ」って名付けてるそうです。来年くらいにワークスロップがヤバいって記事が増えそうな気がしますね。 いうまでもなく、「やたら長文なのに内容は薄い文章」とか「要約されてはいるけど、必要なことが書かれていない文章」を上司や同僚に送りつけてしまうのは避けた方が良いことです。 テック系ではない一般の会社の方も含め、ビジネス基礎スキルとして「読み手の負担を想像しながらAIを使うスキル」が重要になりそうな気がしますよ。 人事系の方は、来年の新卒研修にぜひ入れてほしい。 ※謎マナーを増やしたいわけではないので「こうあってはならない」という話ではなく、「自分の効率を
イタリア人にとって「パスタ」とは、ただの炭水化物ではない。 宗教であり、歴史であり、アイデンティティそのものだ。麺はアルデンテでなければならない。ソースは素材の味を最大限に活かさなければならない。そして何より、「ケチャップをパスタにかける」なんて行為は、イタリア刑法で裁かれるべき重罪だと教わって育った。 もし僕が実家に帰って、マンマやノンナ(おばあちゃん)の前で「今日はケチャップでパスタを作るよ」なんて言おうものなら、家を追い出されるどころか、一族の恥としてピエモンテの山奥に幽閉されるかもしれない。それくらい、イタリア人にとってケチャップパスタはタブー中のタブーなのだ。 しかし。 今日、僕はここで、ある重大な告白をしなければならない。 僕は、日本の「ナポリタン」を愛している。 いや、愛しているどころではない。崇拝していると言ってもいい。 そして、この「ナポリタン」という、イタリアには存在し

死にてえーーーー 支離滅裂に適当に思うまま書く。 子どもが発達障害(おそらくASD(自閉症))だった。 なるほどな…人生こうきたか…という気持ち。絶望しかない。 正直、私は王道のレールの上を歩んできた人生だった。 小学校受験で有名私立に合格、習い事も複数させてもらい、中高は部活や生徒会に入り楽しく過ごし、大学受験も第一志望の早慶レベルに合格し、JTC総合職になんなく就職。 20代で結婚して帝国ホテルで結婚式を行いモルディブで新婚旅行、家を買って車を買い、不妊治療の壁はあったものの第一子を出産。 学生時代の友達も趣味の友達も途切れずたくさんいるし、新しくできたママ友も多くいる。仕事も不満はない。全部うまくいっていると思ってた。 この後は、そこそこの年収をさらにそこそこに乗せ上げるよう動いて、週末子どもをどこに連れて行こうかな、旅行はどうしようかな、みたいなことだけ考えてればいい…と思っていた

昨日の夜更けにこんな文章を読んだ。note.com 私は発達障害児の親で自身も多分そうだ。正直、嫌なものを読んでしまったと思った。嫌なのに全文読んで、数分おきにコメントを読み込んで全部目を通し、共感するコメントにスターをつけ、文章を書いた人のXまで見に行った。そのうえ、こうやって感想?を書いている。もしこれが釣りなら大成功だし、やられた、バカだな、私。でも釣りであって欲しいと思う。 Xのプロフィールに「3y幼稚園児(NICU卒・ASD)の状況をメモしたり弱音を吐いたりする雑多垢」と書いてある。 プロフィールの更新をしていない可能性もあるが2025年9月24日付けの投稿で「大学病院 ・この月齢だとできるできないまだハッキリしない、診察では問題ないように見える ・凸凹があることを問題視しているように見受けられる ・協調性が悩みと理解した」とある。 私の読み間違えでなければ、現在おそらく3歳で
私の読書は「バカの読書」である。 そう名づけたのは学生時代にアルバイトをしていた家庭教師派遣事務所の経営者だった。本人はよほどの依頼でないと家庭教師業務をしないと聞いていたが、出入りする者はみな「先生」と呼んでいた。 先生は専門でも何でもない海外文学が好きで、私も同じ領域の本を好んでいたので、ときどき読み終わった本をくれた。新刊は学生時代の私にとって高価だったし、図書館に必ず入るものでもないから、わあいと言ってもらっていた。 バカの読書とは、役に立たず、お金にもならず、最後のページをめくったら「たのしかったあ」と言って、それで終わる読書をさす。もっとも、これは私の解釈であって、言われたせりふはこうである。 「あなたは、字が書かれた紙の束を口あけて読んで、ご機嫌になって、そして忘れる。バカの読書をしている」 わりと悪口である。 私がそのように言うと、先生は、そんなことはない、褒めている、との

はじめに 文章を読むとは、自分の中で文章を再構築するということである。 あなたは技術記事を読んで「わかった」と思ったのに、いざ実装しようとすると何も書けなかった経験はないだろうか。ドキュメントを読んで「理解した」と思ったのに、同僚に説明しようとすると言葉が出てこなかった経験はないだろうか。 私にはある。何度もある。悲しい。 これは単なる理解不足ではない。もっと根本的な問題だ。私たちは「読む」と「書く」を別々のスキルだと思い込んでいる。しかし、それは違うと私は考えている。読むとき、私たちは頭の中で文章を再構築している。書き手の言葉を、自分のスキーマ(枠組み)に翻訳し、自分の言葉で理解し直している。読むことは、実は書くことなのだ。ただ、それが頭の中で行われているだけだ。だから、「わかった」と思っても実装できないのは、頭の中で再構築したものと現実の折り合いがついていないのだ。自分の言葉で書き直せ
Web制作会社で働いているのだが、 最近、本当に悩ましいことが増えた。 クライアントとの打ち合わせで、毎回のように飛び出してくる。 「AIで作れば安くできるんですよね?」 というフレーズだ。 今年に入ってから、この種の問い合わせが明らかに増えた。ChatGPTが話題になったあたりから、みんなAIさえ使えばなんでも簡単にできると勘違いしているように見える。 つい先週も新規のお客さんから「ホームページをAIで作ってほしい」と言われた。予算を尋ねると「AIなら10万円でいけるでしょ?」と返される。普通なら100万円はくだらないボリュームの案件なのにだ。 そこで説明する。「AIは便利な道具ではあるけれど、デザインの方向性を決めたり、業界や商品ごとの細かなニュアンスを理解したり、調整したりするのは結局人間の仕事なんです」と。 だけど相手は納得しない。「YouTubeで、AIが全部やってくれるって見ま

GPT-5の文章、正確で鋭いけど文章として読みにくいですよね。o3の時からですがGPT-5も以下のような傾向があると思います。 情報圧縮が強くて可読性が低い文章 すぐ箇条書きを使う 動詞を名詞化して多用する こちらのカスタムインストラクション、ChatGPTのo3の箇条書きで簡潔になりがちなのを防いで文章で回答させるのに役立っていそうです! https://t.co/tv3OuU2zUL — 限界助教|ChatGPT/Claude/Geminiで論文作成と科研費申請 (@genkAIjokyo) July 20, 2025 これらはGPTの個性とも言えますし、要点を簡潔に把握したい場合は優れている場合もありますが、この癖を矯正してもっと自然で読みやすい文章を書いてもらうため、私がGPTに考えさせたカスタムインストラクションを紹介します。 「文章矯正」カスタムインストラクションこちらが今回作

はじめに 毎日LLMで仕事をしています。2年前の作業スタイルがもう思い出せません。未経験のタスクに着手するハードルはかなり下がりました。 LLMは得意なこと、不得意なことがあります。日進月歩なので、変わっていくところもありますが、原理的に大きく変わらないところもあります。 この記事ではそういう「考え方」について書いていきます。エンジニアじゃない方がLLMの気持ちをちょっと理解して、日頃のコミュニケーションに役立てていただければ幸いです。 LLMは文章を扱うのは得意だけど、文字を扱うのは苦手 いきなりややこしいことを書きました。LLMへのプロンプトは主に文章で、出力も文章です。(画像や音声などのマルチモーダルもありますが、基本的にはテキストです) LLMが大規模言語モデルという意味であるように、基本的にはテキストを扱うことでトレーニングされています。 ですが、LLMが実際に扱っているのは文

こんにちはあなたは、ソーセージがお好きですか? 私はソーセージが好きすぎて、ドイツへ飛びそのまま肉屋で働き始めた日本人女です この度、ドイツの肉屋で働き始めて1年が経ちました この1年間でどんな出来事があったのか、当時の日記やメモを見ながら振り返ることにしました 予めお伝えしておくと、この記事は非常に長いです(22000字超え) また所々肉の解体場面の写真(モノクロ)があります 苦手な方はご注意ください それでもいいよと言う方、一緒に私の初出勤からお付き合いしていただければ幸いです 2024年5月初出勤2024年5月2日 ガチガチの緊張と不安で戻しそうになっている私を、今の上司たちがにこやかに迎え入れてくれた オーナーでもある親方は180cmはゆうに超える身長、スポーツ選手のようなぶ厚い肩幅、握手してわかる何でもわしづかめそうなデカい手、ドイツ人らしい濃ゆい顔の作りの持ち主 153cmの日

AIコーディングツール「Cursor」で記事を書くようにしたら、“考える余裕”ができた2025.04.30 20:0059,846 かみやまたくみ 楽すぎる。 いろんなAIツールが登場している昨今、特に評判がいいのが「Cursor(カーソル)」です。AIにコードを書かせまくり、ひたすら楽してプログラム開発しちゃおう、って感じの開発ツールです。エンジニアに大好評で、大企業開発部署への導入がガンガン決まっていたりします。 結論から言うと、「文章を書くのが仕事」という人にもおすすめできます。 自分はエンジニアでも何でもなく、物書きなのですが、あんまりにも目にするので「そんなにすごいの?」と思って触ってみたら、よすぎて手放せなくなってしまいました。 CursorとはCursorはAIコーディングツール、本来的にはプログラムを開発するためのアプリケーションです。特徴は「AIペイン」「エディタ」「ファ

前回の記事「文章術としてのCursor入門 」では、AIエディターCursorの基本機能と文章作成の基本を紹介した。今回は、実際の文章作成プロセスをより詳細に紹介する。 Cursorが特に力を発揮するシーン Cursorが文章作成において特に力を発揮するのは、「効率」と「品質」の両立が求められる場面だ。たとえば締切に追われているとき、複数の文書を並行して作成する必要があるとき、あるいは専門性の高い内容を読みやすく伝えたいときなどだ。 従来のワープロ・エディターソフトと大きく異なるのは、Cursorがただのテキストエディターではなく「考えるパートナー」として機能する点だ。単なる文字入力や整形の手助けだけでなく、内容の構成、専門知識の補完、表現の洗練まで一貫してサポートしてくれるということだ。 特に以下のような文書作成において、Cursorは真価を発揮する。 ・定期的な更新が必要な文書:ブログ

やっぱり、「CURSOR」を使わないのは損だ 1ヵ月ほど前に「いま文章を書くのに「CURSOR」を使わないのは損だ」という記事を書いた。CURSORは、プログラムを書くためのコードエディタだが、それを日本語の文章を書くために活用しようというのが、その記事と今回の原稿のテーマである。 つまり、この原稿は前回の記事のアップデート版であり続編でもあるが、はじめて読む方にもわかるように書いている。執筆のきっかけは、「あの記事を読んでCURSORを使いはじめました」と何人かの知人から声をかけられたことだ。そして、 「めちゃめちゃ文章を書くのが楽になった」 という声をいくつも聞いたからだ。また、JEPA(日本電子出版協会)でCURSORのセミナーをやらせてもらうことになった。4月4日にオンラインで開催された「遠藤諭氏『AIと共に書く』 CURSOR入門」である。 そこで、セミナーのために用意したスライ

ChatGPTに「○○は将来どうなりますか?」と直接的に尋ねても、大抵は「確かなことは言えません」といった控えめな返答しか得られない。その背景には、未来の出来事を予測しないようChatGPTの頭脳であるLLM(大規模言語モデル)に調整が施されている可能性も指摘されている。ところが、プロンプトにある工夫を加えると、雄弁に未来を語り出すという。どういう工夫なのだろうか。(小林 啓倫:経営コンサルタント) 生成AIの予測力を上げるには 質問すれば何でも答えてくれる、便利な生成AI。いっそ未来のことも聞けないかというわけで、さまざまな形で生成AIを未来予測に活用する取り組みが行われてきたことは、この連載でも何度か取り上げた。 たとえば、専門家が編み出した「未来予測手法」に従うよう指示した生成AIは、予測精度が上がるという研究結果が出ている(参照記事)。 しかし、もっと簡単にChatGPTの予測精度

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