きくりも確実にこの悪循環に陥っている。彼女は酒を飲むことで憂さを忘れ「幸せスパイラル」の状態に入るのだが、その「幸せ」は何をどう見ても破綻と破滅へと急降下していく呪われた螺旋である。 また、酒を飲んでいない彼女は典型的な「陰キャ」でまともに話すこともできないのだが、その姿は本編の主人公「ぼっちゃん」が陰キャのまま、なけなしの勇気を出して活躍していく姿の陰画ともいえそうだ。 つまりはこの外伝は本編の少しリアルでシャレにならないバージョンといえ、本編を読んでいたときはげらげら笑っていたぼくもほんとうに笑って済ませて良いのか疑問に感じるわけである。 しかし、ネットの感想を見る限り、どうやらほとんどの読者はそのような読み方をしていないようで、ぼくはここから「ひとはフィクションに対しどのように向き合うべきか」というテーマを考えさせられる。 もっとも、その答えは最初から出ている。「どのように向き合って

「待って無理」「〇〇しか勝たん」「5万回言ってるけど」などなど、推しへの愛を叫ぶときに使うことの多い“オタク構文”。SNSでもしばしば取り上げられ、日々新たな言い回しが誕生しています。 私たちはなぜ、推しへの愛を語るときに特別な言葉を使いたくなるのでしょうか? 今回は日本語の歴史を研究する明治大学 文学部 教授・小野正弘さんに「オタク構文」がどのようにして生まれ、オタクたちの間で受け入れられていくのかについて、一緒に考えていただきました! お話を聞いた人:小野正弘さん 明治大学 文学部 日本文学専攻教授。専門分野は日本語史。日本語の各単語の意味がポジティブなものになったり、ネガティブな意味を持ったりする“変化”について、その背景や要因などの研究に取り組む。著書に『オノマトペ 擬音語・擬態語の世界』(角川ソフィア文庫)などがある。 HP:小野研究室のホームページ 私たちはなぜ“大げさな表現”

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