なんどか書いてるけど大学の3回生ぐらいから卒業してすぐぐらいまで、ジャズミュージシャンの真似事をしておりました。音楽の才能がぜんぜん無かったのでそっちの道はすぐにあきらめたんですが。神戸の元町のポートタワーホテルとか中山手通のサテンドールとか、大阪の中津の今はなき東洋ホテルとか、梅田の今はなきDonShopとか、北新地の名前忘れたけどなんとかいう店とか、京都の木屋町の名前忘れたけどなんとかいう店でウッドベースを弾いておりまして、それでメシ食ってたぜとはとても言えないですが、まあトラ(臨時の代理)の仕事も含めて月10万ぐらいにはなっておりました。 学生のバイトとしてはわりと実入りがよかったです。時代はバブルで、そこらじゅうに生演奏の店があり、またそういうところに彼女を連れていくのがおしゃれとされていた時代で、ちょっと背伸びして今日はジャズでも聴きにいこうかというお客さんがわりといて、チャージ
脱原発か、コンビニエンスな生活か これだけのことがあって、いまひとつ脱原発の機運は盛り上がっていない。現実的に考えて、みなが原発は今後も必要不可欠と考えているようだ。 原発の必要性を考える場合に重要なことは、単に電力が足りる足りないということではなく、電力の質を考える必要がある。人々がある程度の自然環境のきまぐれに対する労力を惜しまないなら、太陽熱、水力などの自然エネルギーを増やして、長期的に原発が廃止していくことは可能だろう。 しかしいまのような「コンビニエンスな生活」を存続するためには、原子力、火力のような、安価で安定した電力をベースとする必要がある。問題は、日本人がこのコンビニエンスな生活から抜ける覚悟ができるか、ということだ。 コンビニエンスな国、日本 「コンビニエンスな生活」とは単に便利な生活ではない。そのポイントは「他者回避」にある。古来、人が生活するためには他者との協力関係が

すべてではないと思うんですが 今の30代半ば以降の、バブル崩壊後に社会人になった世代は、積極的にモノを買わなくなったといわれています。それは景気がいいの悪いのの域を超え、習慣として根付いてしまっていると。私のような、わずかな期間でもバブルを経験した世代としては、どうしても「貧乏くさい趣味?」という印象が拭えず、「それで楽しいの?」なんて余計な文句も言いたくなったりしてしまいまうのですが。 でも、懐古にすがってばかりで、こうした時代の流れをしっかり把握しておかないことには、商機は見えてきません。そんな、従来の物差しでは通じない新たな価値観を持った世代の秘密に迫るのが、本日紹介する一冊「シンプル族の反乱」です。 車が全くといっていいほど売れていないとか。いや、環境対策とランニングコストでの値頃感を謳った特定の車種に限って狂ったように売れている状態、といった方が正しいでしょう。一方で、ユニクロや

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