「キャプテン翼」は、漫画家の高橋陽一さん(63)が1981年に「週刊少年ジャンプ」で連載を始めました。 主人公のサッカーの天才少年、大空翼が個性豊かなチームメイトやライバルたちと共に劇的な試合展開の中で数々の名シーンを生み出し、友情を育みながら成長していく姿が描かれています。 高橋さんはことし1月、体力の衰えや執筆環境の変化などを理由に連載の終了を発表していて、4日は連載最後となる雑誌が発売されました。 東京・新宿区の書店では特設の売り場が設けられ、さっそく買い求める人の姿も見られました。 19歳の男性は、「僕自身がサッカーをやっていて親が買ってくれてからずっと読んでいます。現実ではできないような技もありますが、夢を持たせてくれるシーンがたくさんあって魅力に感じます」と話し、40代の男性は「ずっと長く読んできたので楽しませてもらいました。残念ですが、“ありがとうございました”と伝えたいです

スペイン1部レアル・ソシエダの日本代表MF久保建英が、ラ・リーガの9月月間MVPを受賞した。日本人選手初となる快挙に、スペインメディアは「リーグ最強」と大絶賛している。 【動画】久保建英がバルセロナDFから”平手打ち被害”を受けた決定的瞬間 現在22歳の久保は今季開幕から好調をキープしており、ここまでリーグ戦7試合で5ゴール1アシストの結果を残している。9月の5試合では4ゴールを叩き出しており、第4節のグラナダ戦(5-3)で2ゴール、第6節のヘタフェ戦(4-3)で1ゴール、第8節のアスレティック・ビルバオ戦(3-0)で1ゴールをマーク。第5節のレアル・マドリード戦は1-2で惜敗したものの、久保はキレのあるプレーを披露するなど存在感を示していた。 ラ・リーガが9月の月間MVPを発表し、活躍が止まらない久保を選出。スペイン紙「ムンド・デポルティーボ」は「リーグ最強」と評し、「22歳の日本人は素

[10.4 ACLグループH第2節 甲府 1-0 ブリーラム・U 国立] AFCチャンピオンズリーグ(ACL)は4日、グループリーグ第2節を各地で行い、J2リーグから参戦しているヴァンフォーレ甲府がブリーラム・ユナイテッド(タイ)を1-0で破った。0-0で迎えた後半45分にMF長谷川元希のヘディングシュートで劇的な決勝ゴール。国立に今季のホームゲーム最多となる11802人が詰めかけた中、歴史的な初白星をもぎ取った。 初出場の甲府は初戦のメルボルン・シティ戦(△0-0)で史上初の勝ち点1を獲得し、初出場を目指して臨む初のホームゲーム。本拠地のJITリサイクルインクスタジアムはACLライセンス基準を満たしていないため、国立競技場での開催となった。 (以下略、全文はリンク先で) [Jリーグ公式]甲府vsブリーラムの試合結果・データ(AFCチャンピオンズリーグ:2023年10月4日) https:

gakukentのブログ もともとは新座ストロングサッカークラブと自分の趣味を書き込むサイトでしたが最近はFBばかりになり、どちらかというと昔のがくけんとのブログの記録を残しておくためのサイトですかね。 2004年と古い話ですが、良い話なので、アップしちゃいます。 2004年9月11日に新座市サッカーフェスティバルにて 清雲清純氏(元・ ユース日本代表監督、JFF-UNITED 監督、当時 大宮アルディージャ SSC代表の高校の後輩です。)による指導者講習会にて聞いた話を以下の通りメモしました。ご参考にしていただければ幸いです。 以下は清雲さんの話・・・ 今日は、一人の男についてお話したいと思います。 私(清雲氏)が小野と初めて出会ったのは、1997年、ユ一ス(U20)日本代表監督になって彼を合宿に召集した時ですが、彼は挨拶のときから、きちんとしており、他の選手とはちがっていました。 代表

日本サッカー協会が、天皇杯で浦和レッズの一部サポーターが暴力や破壊行為に及んだ騒動に対する処分を協議するため、臨時の天皇杯実施委員会と理事会を来月初旬にも開くことが22日、分かった。 2日の名古屋との4回戦(CSアセット港サッカー場)で完敗した浦和側の応援リーダーら、現段階で77人が暴徒化した事態を協会は重く見ており、議論の進展次第では、サポーターの管理責任を負う浦和に対して来年度の天皇杯出場資格剥奪など厳しい処分が科される可能性がある。 ◇ ◇ ◇ 日本協会が、浦和と悪質サポーターに対し、史上最も重い処分を下す可能性が出てきた。現在、試合後の映像を集めて関与者の動向を分析中。状況確認が終わる来月初旬にも、詳細を共有するため、臨時で天皇杯実施委と理事会を開く必要があると判断した。裁定委と規律委が基準を示し、理事会の承認を経て、処分を最終決定する運びという。 その見通しについて、関係

分からないなりにサッカーを見続けて6年が経った。 沼があれば頭から飛び込んで、息継ぎをする間もなく最深部までたどり着くような愛し方を、サッカーに限らず毎度繰り返している。 文字通り何も分からなかった2017年、狂ったように毎週DAZNにかじり付いていた。 2018年はシーズンパスを契約し、ますます狂ったように毎週ゴール裏へと通っていた。 2019年はJ1のアウェイにたくさん行った。そうそうたる雰囲気の中で「強いサッカー」というやつを何となく肌で感じては、「山雅は弱いんだな」としみじみ泣いたものだ。 松本山雅FCに全振りの毎日。 あまりの傾倒っぷりに自分でも引いていた。 にわかだと思われるのも癪で、自分から人に言うことはほとんどしなかった。 熱しやすく冷めやすい性格なのは自分が一番よく知っているから、誰かに話してしまったら途中でやめてしまったときに恥ずかしいと思った。「そのうち飽きちゃうんじ

広島中心部に現れる“サッカー専用”新スタジアム 構想20年、「常時満員」へ米国流から得たヒント2023.06.11 著者 : 宇都宮 徹壱Twitter Facebook B!Bookmarkサッカー・Jリーグは今年、開幕30周年を迎えた。国内初のプロサッカーリーグとして発足、数々の名勝負やスター選手を生み出しながら成長し、1993年に10クラブでスタートしたリーグは、今や3部制となり41都道府県の60クラブが参加するまでになった。この30年で日本サッカーのレベルが向上したのはもちろん、「Jリーグ百年構想」の理念の下に各クラブが地域密着を実現。ホームタウンの住民・行政・企業が三位一体となり、これまでプロスポーツが存在しなかった地域の風景も確実に変えてきた。

はい、こんにちは、私です。カタールW杯はアルゼンチンの優勝で終わりました。御覧になった方は知っているとは思いますが、あまりに、あまりに素晴らしい試合でした。自分が見たサッカーの試合ではベスト3に入ります。試合前のストーリー、試合内容、監督の采配、試合後のアルゼンチンの熱狂、それら全てが素晴らしい、本当に素晴らしい試合でした。 あまりに素晴らしい試合だったので、備忘録もかねて試合のレビューを残しておこうと思いました。未だにあの試合の余韻が抜けてません。それほどの試合でした。 一生のうちに、数試合しか見れないであろう、そんなスポーツ史上に残る試合であったと思います。 試合前のストーリー、メッシの旅の終わりとムバッペ伝説の始まり 先にこの試合の前のストーリーの話から始めたいと思います。カタールW杯はサッカー界を長い事牽引し続けた二人のスーパースター、そして今後長らくサッカー界を牽引するであろ

出揃いましたねベスト16。 今回はヨーロッパ+南米の勝ち上がりチームが史上最少といわれる一方でアジアとアフリカの躍進が目立ちます。 しかし、国や地域といったくくりを越えた勢力が今回目覚ましい成績を残しているのにお気づきでしょうか? そう、「サッカー」勢です。 すなわち、アメリカ合衆国、オーストラリア、そして、日本。 例の競技を「サッカー」と呼ぶか「フットボール」と呼ぶかは、ざっくり「アメリカ合衆国影響圏」か「ヨーロッパ+(イギリスの)コモンウェルス影響圏」のどちらであるかでふりわけられます。 もちろん、独自の呼び方を採用している国もいくつかあります。イタリアの「カルチョ」がその代表例ですね。イタリアでは一方で「フットボール」も広く用いられていて、たとえばボローニャFCなんかのFCは「フットボール・クラブ」の略です。他にもバルカン半島諸国(ボスニア、クロアチア、スロヴェニア)の「ノゴメット(

#SAMURAIBLUE(#サッカー日本代表)が、初のベスト8入りを目指すFIFA #ワールドカップカタール2022で白星スタートを切りました。11月23日(水)にドーハのカリファ・インターナショナル・スタジアムにて行われたグループステージ初戦でドイツ代表と対戦。後半交代出場した堂安律選手(SCフライブルク)と浅野拓磨選手(VfLボーフム)が得点を決めて2-1の逆転勝ちを収めました。日本代表がワールドカップの舞台で、西ドイツ時代から2014年まで4度優勝を経験している強豪ドイツを相手に、後半の反撃でインパクトのある逆転劇を演じました。 日本は1994年大会最終予選でドーハの悲劇を味わった地で、30年前の悔しさを選手として経験した一人でもある森保監督の下、ワールドカップ初の逆転勝利で大金星をマーク。2大会連続でのノックアウトステージ進出と初の8強入りへ好発進です。 0:00 オー

日本がワールドカップで優勝する以上の番狂わせ――。ヴァンフォーレ甲府の天皇杯(第102回全日本サッカー選手権大会)制覇は、そう表現しても大げさではない出来事だった。甲府は1-1(PK5-4)でサンフレッチェ広島を退けて日本一の栄冠を手にするとともに、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)の出場権を獲得。さらに1億5000万円の賞金も得ている。 10月6日に発表された最新の世界ランクを見ると、サッカー男子日本代表は24位。甲府はJ2の18位(10月17日現在)で、J1の18チームを加えれば上から数えて36位だ。普通に考えれば日本サッカーの頂点には手の届かないポジションだろう。歴史をさかのぼれば2部からの天皇杯制覇は2011年度のFC東京、1982年度のヤマハ発動機、1981年度の日本鋼管といった例がある。しかしこの3チームはいずれも既に翌シーズンの昇格を決めていた。つまり今回の甲府とは“下剋

6歳でウクライナのディナモ・キーウのサッカースクールに入団。9歳の時、チェルノブイリ原子力発電所事故で罹災し一家で避難、幼年期を育った土地を離れて移住[3]。1992年にディナモ・キーウユースに昇格、1994年にトップチームでデビューを果たす。最初のクラブであるディナモ・キーウではチームを5年連続リーグタイトルに導き、自身は116試合で60得点した[3]。 シェフチェンコが国際的な注目を集めたきっかけは1997-98シーズンのUEFAチャンピオンズリーグにおける大活躍である。特にFCバルセロナとアウェーのカンプ・ノウで対戦した試合では、バルセロナの圧倒的優位という下馬評の中、シェフチェンコのハットトリックを含む0-4でディナモ・キーウが圧勝という番狂わせの立役者となった。シェフチェンコは次シーズンのチャンピオンズリーグでも大活躍し、10得点を挙げて1998-99シーズンのCL得点王を獲得。

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