15/4/23 昨今の諸々を踏まえて移管します。詳細は最新記事をご確認ください。ブックマークいただいていた方は変更をお願いします! レジー「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします」 司会者「年末年始はどう過ごしましたか」 レジー「例年通り、年末は紅白見て、元日は国立に天皇杯行きました」 司会者「柏レイソルがガンバ大阪を下して優勝しました」 レジー「いやー素晴らしいね。いい新年になりました。去年はACLの試合見に行けなかったので、今年は1試合は行きたいね。さすがにアウェーは無理だろうけど」 司会者「紅白はツイッターしながらがっつり見ましたね。特に印象に残ってるアクトがあれば」 レジー「今回はやっぱり美輪さんでしょう。ももクロも泣けたし、Perfumeもすごかったね。あーちゃんが一箇所とちってたけど。あとはゴールデンボンバーか。あの演出インパクトあったね」 司会者「「女
内田樹「階層化する社会について」http://blog.tatsuru.com/2010/11/10_1216.php 内田氏の主張の是非を問うことは後回し。 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101023/1287803171で、玉野和志氏の『創価学会の研究』を引きながら述べたことに関係する。内田氏のこのテクストに限らず、最近「階層」という言葉を使う人は多い。他方階級という言葉はどうか。〈教条的〉といってもいいちょっとアレな左翼以外はあまり使わないのではないか。不図思うのだが、「階層」という言葉を使った時点でもう負けなんじゃないか。社会学者や経済学者が分析のトゥールとして使うならともかく、その分析対象たる生活者が使った時点で。階級の分割は質的且つ非連続的である。それに対して、階層は量的且つ連続的。例えばマルクス主義的に言えば、階級は生産手段を所有している/

リアルと、リアリティーとは、自分では区別している。 想像上の、現実にはいない人物の死に涙し、十万の死を意味する数字は目にも留めない。 前者は、リアルではないが、リアリティーはあり、後者は、リアルであるが、リアリティーはない*1。 感情を感じると、リアルリアリティーになる。 さて、そういうわけで、リアリティーを出すために、いろいろな手段が生み出された。 オーケストラが伴奏したり、絵を動かしたり、音を鳴らせたり。ブレアウイッチプロジェクトだっけ?劣悪な画質で、手持ちビデオの感覚を出したり。普通でいう、リアリティーの範疇から外れるが、ゲームのように、インタラクション性をだしたり。逆に、中途半端な3Dモデリングが、リアリティーを損ねることもある。で、普通の物語で、リアリティーを確保するための手法で、お仕事フィクションというのがある。まあ、美味しんぼが開拓した分野か。お仕事の薀蓄、構造を取り入れるこ
文字通りの印象論。 北村弁護士の演説のこと やっぱりこういうアジは小泉さんが図抜けていて、余人が真似すると小さく見えてしまいますね。麻生さんですら小物に見えてしまうのだから、小泉さんの扇動力は53万を軽く超えているに違いありません。 で、確かに扇動手法の基本は万国共通なんですが、つらつら見てきた感じ、日本には他国にない独特の傾向があるように思います。 それは キモい方が負ける といういたってシンプルなもの。 逆に言えば、キモくない方が勝つ。 そのあたりはさすが小泉さんで、通常の扇動手法に加えてキチンとこの「キモ史観」をも押さえていました。なんせ小泉さんが設定した「抵抗勢力」のキモいことキモいこと。 こうなるともう勝って当たり前、テロリストに対するセガールの如し。 その点、安倍さんはぬかっていました。あろうことか、自らの内閣の中に「キモさ」を発生させてしまった。「美しい国」に始まり、教育再生
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です -はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて -はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
ちょっと、以下のグーグル検索の結果を見て欲しい。 努力 甘える -Google 検索 この検索結果からは、「甘える」と「努力」を対立項のように捉えている文章が沢山見つかる。かなり嘆かわしく、短慮のほかないと思う。しかし実際、多くの人が「甘えること」と「努力すること」を対義語のように用い、対立する概念のように考えているのが現状なのだろう。即ち、甘えることの重要性を説く人は努力を否定し、努力を強調する人は甘えることを非難する、という図式である。しかしこれは道理に合わない考え方ではないだろうか。 「甘える」能力を馬鹿にしてはならない。適切に甘えることが出来る人は強い。自分では出来ないことも、省力化したいことも、他人に解決してもらえる。そして甘えるスキルが巧みな人は大抵、相手をむしろ気分良くしながら助けて貰ったりするのだ。「甘え上手」ということは間違いなくコミュニケーション上の大きなアドバンテー
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