実家が太い云々という増田を目にして、俺もつい自分の人生について書きたくなった。 約30年前、俺は両親が医者の家庭に長男として生まれた。 医者というとなんとなく世間的にもお金持ちのイメージがあるだろうが、事実裕福な家庭に生まれたと今でも思う。 そんな俺だが、結局30も手前になって職歴なしどころか学歴すらない立派な引きこもりに成り果ててしまった。 まず前提として俺の家系は代々医者の一族で、父方の祖父が地元(と言っても俺の住んでいる市内)でおそらく一番大きい総合病院の理事長をしていた。 その祖父の思想が強く、医者でなければ人間でないと言わんばかりの態度を常に振り撒いていた。 母方の祖父母は確か医者ではなかったと記憶しているが、いつだったか父方の祖父母の家に連れて行かれた際、「あまりあっちのじいじ・ばあばと話をすると頭が悪くなっちゃうぞ」などと耳打ちされたことを今でも覚えている。 当時は家や身なり

発達障害の診断がおりたのは40手前だった。幼稚園頃から「周りと違う」と感じていたけれども「診断がなんの足しになる」と思って受診しなかった。昭和56年生まれ。兄も発達障害の傾向あり。母、母方の祖父、大叔母も発達障害であるらしかった。もちろん未診断。 昔からゲームに興味はなく、暇つぶしに本を読んだり勉強したりして過ごした。友達もいなかったし勉強しかやることがなかった。小中高、いい思い出はなかった。ネット環境が整い自由に勉強できる今の時代に生まれていたら必ず不登校になっていたと思う。一人になりたいから勉強するのであって、塾には行ったことがなかった。北海道大学法学部に入って「ああ、自分はダメだ」と悟った。周りの人と違い過ぎた。周りの人は「恋愛も部活も遊びもそれなりに楽しんでかつ勉強もできる人たち」だと思った。私はそれら全ての時間を(他にやることがないため)勉強にあててやっと入れたにすぎない。サー

実父 不明 実母 覚醒剤中毒の立ちんぼ(布団を敷いたリビングが仕事部屋) 継父 覚醒剤の売人、気づいたら失踪してた。 という環境で育った。 学校には通わず同じ地区の同い年の奴らと10歳くらいから恐喝や窃盗などで小遣いを稼いでいた。狙うのは脛に傷があって騒げない奴。何回も捕まっていたが初めて少年院に入ったのは14歳。 2年半ほぼ独房で団体寮に行くことなく卒院。その後は地元の先輩たちのパシリをやっていた。借金の取り立てやヤキ入れ、攫いが多かったが、箱での電話やタタキをやらせてた債務者に発破かけたり監視したり、飛ぼうとした奴へのヤキ入れも多かった。タタキは民家は狙わず、ケツモチのいないキャバクラ、ホスクラ、ガルバ、デリヘルを狙う。スタッフのいる時間を狙って襲わせ、事務所まで案内させて系列の金庫ごとがっぽり頂く。 派手にやり過ぎたため目をつけられ、証拠が無くパイになっても別件で引っ張られるというの

前パート https://anond.hatelabo.jp/20220830220250 わかった風に述べてきたが、俺自身はそこまでI店に貢献したわけでもない。最初の三ヶ月は時給800円以下の日払いアルバイトだった。社員の人や、キャストの女性が多くのお金をもらっているのを見て、自分もいつかはと考えていた。 キャッチ役になると、I店に連れてきた人数と支払額に応じてバックがもらえるが、代わりに固定給の時間換算が500円以下となる(実績主義)。閑古鳥が鳴くような平日火曜日とかだと、むしろ働くのが損みたいなことになる。 お客さんがゼロの日が三度あったのだが、さすがにキツかった。その日の給料は相当安いし、皆の目線もちょっと冷たい。でも、店長も、キャストの人も、ほかの人も、「ドンマイ!気にすんな」とか「お前は慎重だから」とか「あんたは人の表情を見る力はあるんど。今はそれでいいんじゃけ。焦るな」とかい

2022.8/30 皆さまへ 前パートでは時間をぼったくってしまいました。申し訳ありません。 https://anond.hatelabo.jp/20220829202648 ___________________________________ 気が付いたらめっちゃ書いてるな。気が晴れてきた。 それから、地元ではイマイチ目立たない感じの、偏差値40半ばの私立高校(今年甲子園に出場している)に入った俺は、ますます薄汚い根性を身に着けていった。アニメとかドラマとかで、三下がやるような行動があるだろう。まさに、それをやっていた。 例えば、土曜日なんかの地元のセブンイレブンで、可愛い子と大学生くらいの男が仲睦まじい様子で店から出てきたとするだろう。モテない俺達としては、大いにイラッとするわけだ。 人がいない辺りに出たのを確認して、3人で近づいて取り囲んだことが何度もある。 「こんにちはー」「かわ

誰かに話したくなってきた。 まだ二十歳ほどの頃、地元の広島で特に定職に就くこともなくアパート暮らしをしていた俺は、昔からの繋がりの先輩に誘われて、客から高い金を踏んだくる店で働いていた。 福山駅の付近にある繁華街だった。福山といったら知名度はほとんどないが、桃太郎電鉄の青マスとして出てくる程度には良いまちのようだ。当時の俺は、そのへんのアパートで暮らしながら、昼はコンビニアルバイトで、夜はそのバーで働いて、それで明け方に自宅に帰って昼過ぎまで寝る。そんな毎日だった。 地元が懐かしい。もう6年は帰っていない。来年には帰ってみようか。増田民で、もしお勧めのスーパー銭湯とかラーメン屋とか焼肉屋とかあったら教えてくれよ。 すまないが推敲はほぼしていない。変な字があったらごめんよ。 ちょっと自分語りをさせてほしい。滅多にない機会なんだ。いいだろ? 正直、あまりいい門地の生まれじゃない。大きい河川沿い

pixivに初めて投稿したのは約八年前になる。 それから長い時間が経って、今は野良のプロとして漫画を描いている。特定の組織には所属していない。ごく稀にR18雑誌に寄稿したりもするが、基本はずっと一人だ。 今回、こうしてエッセイみたいなのを増田に投稿しようと思ったのは、感謝の念が芽生えたからだ。 ずっと、社会に恨みを抱いて生きてきた。子どもの頃からストレスが多い環境にいたせいだろう。最近、ようやく周りに感謝ができるようになった。以前は、作品を認めてくれるファンの人だったり、SNSで意見やコメントをくれる人だったり、本気で叱ってくれる人にしか感謝できなかった。 最近になって、子どもの頃から散々な目に遭わされた家族とか、昔々の、辛い状況でも諦めなかった自分に感謝ができるようになりつつある。ちょっと長くなるけど、自分語りをさせてほしい。 見た目があまりよくない。いじめに遭うことが多かった。 虫取り

仕事ができないと言われたくなかった。 「俺、コミュ障だし」「俺、アスペだし」とは笑って言えるのに、「俺、仕事できないし」とは言えなかったのである。 現代社会においてコミュ障であることは、仕事ができないことに等しいのは明白なのにだ。 俺はコミュ障だが勉強だけはそこそこ出来た文系という、最も潰しの効かないタイプのゴミである。 ということで、仕事は勿論うまくいかなかった。 まず俺は締め切りが億劫で守れない。 それに叱られるのが怖くて問題を先延ばしにする上、報連相が不能な典型的な使えない新人だった。 取引先相手につい嘘をついてしまい、会社にあらぬ損失を与えたことも何度もある。 こういう時、職場はこいつは排除しよう、という正当な動作をする。ということで俺は孤立した。 さっさと辞めちまえ、という周囲の心の声が聞こえてくるようだった。「仕事ができない」ことを認めたくない俺のプライドはズタズタである。 病

店員の女の子が可愛すぎるから毎日通っている 毎日フランスパンやらクロワッサンやらフレンチトーストやら惣菜パンやら買っている 営業している日は基本的に必ず行ってる そこの女の子は可愛い 滅茶苦茶可愛い可愛すぎる もう通い続けて3年になる これからも毎日通うだろう

この話をフィクションと思われてもいい。嘘松認定されてもいい。誰かの目に触れるだけで嬉しいから。 私は北国の相当の田舎で生まれた。コンビニも車がなければ行けない場所にあるようなところだ。当然電車なんて走っていない。ファミレスもないし、地方都市の象徴と言われているイオンなんてものはない。地方都市とも言えない部類の地域だった。 私は小さい頃から勉強ができた。少なくても幼稚園の頃にはひらがなはかけたし、繰り上がりの足し算も誰にも教えられずにできた。漢字は一度見たらすぐに覚えた。だから読んでいた物語に出てくるような高学年向けの漢字も2、3年生の頃には書くことはできた。周りがなぜ同じようにできなかったか理解できなかった。 そんな私を親も当然理解できなかった。周りの大人は中卒と高卒しかいなかった。学校を出れば男は工場だの大工だの漁師だの農家だのになるもの、女はさっさと結婚して子供を2、3人は生むのが当た

そこの学生君!年収30万なら死を意識しながら暮らしをしていると勘違いしていないか? 今日はそんな誤ったイメージを正し、実際にどれくらいの生活レベルか教えよう。 まず自分のスペック。40歳男、独身、東京圏在住、年収30万ほど。30万なら健保も地方税もほとんど撮られない。年金はごっそりとられる。 なおネタなどと言われるかもしれないが、そんなつもりは全く無く、 ただただリアルを伝えるために書いた記事である。 家賃について家賃は2.8万、1R。別に広くもない普通の部屋。 アパートがある地域はとにかく治安が悪い。自転車は共有物だし、DQNとそのご子息がいっぱい。 水はくさい。 普段の食事について業務スーパーの怪しい米と、蛋白源に鶏肉と納豆。 季節の安い野菜をたまに買う。もやしは高い。ザ・普通。 調味料は塩だけにしぼった。マヨネーズは贅沢品。 飲み会などの食事についてお金がかかるので交友関係は全部切

年収100万のリアルを教えよう そこの学生君!年収100万なら贅沢で優雅な暮らしをしていると勘違いしていないか? 今日はそんな誤ったイメージを正し、実際にどれくらいの生活レベルか教えよう。 まず自分のスペック。 36歳男、独身、関西田舎在住、年収100万ほど。100万と120万ではだいぶ変わるのでこれは誤差じゃない。 なおマウンティングなどと言われるかもしれないが、そんなつもりは全く無く、 ただただリアルを伝えるために書いた記事である。 家賃について 家賃は1万、3DK、破棄された古民家をリフォーム。別に広くもない普通のボロ家。 古民家がある地域の治安はたまにヤンキーが多いが、部屋自体はボロい。 別段キレイとかお風呂が特別広いとか全く無い。ただしボロい。 窓から綺麗な田園風景が見れるとかも無い。クーラーとかももちろん無い。 駐輪場も無い。普通の古民家。 普段の食事について 自家栽培の野菜と

こんばんは。 片田舎でホテルとホテルを行ったり来たりしながら春をひさいでいるアラサー女です。 みなさん、どうですか? コロナは。 私は今のところリピーターのお客様に支えていただいてなんとか影響のない状態です。 しかし増える待機嬢やインターネット上での接客サービス業従事者へ対する批判誹謗中傷の数々。 お客様には「できる限りの予防はしてるけど」「どうしようもないね」「早く収まってほしいね~」 なんて笑いながらも内心不安でいっぱいです。 私はとても体が弱い体質です。 というのも、数年前営業職をしていたとき過労とストレスで溶連菌感染症をこじらせて肺炎に罹ってから 慢性扁桃炎を患い、少しでも無理をするとすぐに40℃前後の発熱で1週間寝込みます。 週3~4日、厳しく体調を管理しながらならなんとか働ける、という状態です。 なので普通の週5日9時5時の仕事は到底できません。 私には頼れる親類がおらず、どう

前から考えていたことを少々。anond.hatelabo.jp 前から増田でも「文学賞やろうぜ」みたいなのは何度か見てるけど、正直個人のレベルでは「ムリ」だと思う。その理由をいくつか書き出していく。 文学賞の定義が曖昧 まず「はてな匿名ダイアリー(増田)」の投稿は千差万別で、その中から光るものを探すのが楽しいというところはある。ただ、その中から「これこれこういうものを文学と定義する」という基準がないと文学賞というものは決定できない。世の中の文学賞は「こういうジャンルで、何千字以上で」という規定があってその中から選考されるわけで、このフリーダムな増田という空間でそれをやるのは相当困難だと思われる。人によって「短文部門」だの「生活部門」だの規定されてもピンと来ないと思うし。 集約が相当面倒くさい 仮に上記の困難を乗り越えて、珠玉の増田が集まってきたとする。すると今度は多くの増田を取りまとめる
俺たち姉弟は不幸にも出来損ないの遺伝子を受け継いでしまった。 コミュ障で多動気味の父親と、美人だが(だったが)学習障害気味の母から生まれた私達は二人の特性を見事に受け継ぎ無能という名のサラブレッドとして現代社会の悲しき烙印を押された。 二人共同じくらい馬鹿で愚鈍で友達がいなかった。 社会性がないため姉は中学2年生から不登校になった。県1の馬鹿高校に行ったが夏休みが来る前に中退した。 俺は別のアホ高校に入学するも高校2年のときにいじめに耐えかね姉と同じく中退した。 俺はすぐに高校認定を取った。意外とこの程度ならなんとかなった。 姉はネトゲ廃人だったりニコ生主だったりとよくわからない生活をしていた。たまにバイトらしきものをしてたこともあるがどれも一瞬で辞めていた。 18歳になった俺は1.5年程度だけの短期のIT系の専門学校に入学した。 普通に偏差値の高い大学卒の元社会人なんて優秀な人もいたが入

小さい頃から逃げてばかりいた。 近所の子供たちが遊んでいるのを離れたところから見ているだけの自分に、親は「よして」と言うように教えてくれた。漢字で書くと「寄せて」になるのだろうか、仲間に入れてほしいというような意味だ。ついに一度も言わなかった。 家の中でばかり遊んでいた。本もゲームもそれなりに与えられてたので退屈はしなかった。テレビはアニメか特撮をやってるときだけ見ていたが、ドラマや歌番組には興味がわかなかった。 幼稚園と小学校は真っ暗なジャングルだった。そこら中に猛獣が潜んでいて、油断すると噛みつかれる。顔も名前もわからない「ともだち」たちから笑われ、小突かれ、追い回された記憶ばかり残っている。 教室にいると何が飛んでくるかわからないから、隠れ場所を探して校内をさまよった。目を閉じたら何をされるかわからないから、まばたきするのも怖かった。 このまま公立中学に行ったら殺されるに違いないとい

大学の食堂にはよく見かける変なおじさんが居る。いつも同じ服装で、くすんで元の色が白なのか茶なのかよくわからないツバ付きの帽子とこれまた同じくくすんだジャンバーみたいなのを着ている。おじさんの歩き方はとても特徴的で、一歩を踏みしめる度にまるで土を踏み固める様にグッ、グッとやる。その度に頭がぴょこぴょこ上下するので、食堂でよく目立つ。「あ、おじさん居るわ」ってすぐに気がつく。 おじさんを見かけるのは食堂なので、もちろんテーブルについているおじさんもよく見る。おじさんのトレーはいつも決まったものが並んでいるのだけど、これもまた変なのだ。ライス(中)二つ、ヨーグルト二つ、味噌汁三つ、お茶二つ。おかずは乗っていない。なんでライス(大)じゃなくてライス(中)を二つなんだろう、ヨーグルトは確かに美味しいから二つ頼むのも分からないでもない、味噌汁はあまり美味しくないのに三つも頼むのか……などなど思うことは

今だからあんまり気負わずに言えるけど、当時は人生に対して切実な思いを持っていた。もちろん自殺には失敗したから今生きている。 当時、ぼくは20歳でニート生活をしており、よくわからないまま何の目的意識もないまま、とにかくこの先の人生に絶望しながら生きてきていた。 ぼくはそのとき大学を中退してそれなりの年月が経過していた。大学に行ったのも特に目的は無かった。働きたくないし勉強もしたくなかったが、親が金を出してくれるということで、自分の人生に対して責任というものがなく、ただ言われるがままに進学をしていた。受験勉強は全くせず高校時代は家で勉強をしたことはなかったが、学校の授業を高校1年生から2年生まではしっかり受けていたこともあって、受験は成功し、ランクは落としたが大学に進学した。それでもそこそこの国立大学には進学したので、ぼくは同級生のほとんどを見下していたように思う。 大学に入ったときは「遊びま

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