私の祖母が亡くなった時、祖母は施設で十年以上寝たきりだった。 最後は「脳溢血でいびきをかき始めたが、歳が歳だから何もできないのでこのままとする」と、 医療関係者だか医師から連絡が有ったらしい。 そしてその連絡が有った翌日に祖母は亡くなった。 103歳だった。 その施設に入る前、まだ少し歩ける時には他の養老施設に入っていたが、 転んで骨を折り、また転んで骨折し、歩けなくなってしまいその施設から追い出された。 最後の十年間くらいはたまにしか会いに行けなくて、たまに見る姿が痛々しかった。 顔なんかは生気を欠いた顔色をしていたし、しゃれこうべに皮が張り付いているような状況で、 できることなら直ぐにでも楽にしてあげたいと思った。 誰かが言っていたけど、自分で食べ物を飲み込めなくなったなら、 強制的に栄養を補給するようなことはやめるべきだというのがよく分かった。 ベッドのそばで見ている祖母はただ生かさ

猫が死んだ。 まだ実家にいた頃、夏の雨の夜に裏庭の網戸越しに必死にないて助けを求めにきた。野良猫ではなさそうな毛の長い種類の猫で背骨がゴリゴリと痩せていた。既に猫を2匹飼っていたので持っていたネコエサをすぐにあげたがガリガリなのにいくらも食べずに、フミはただ人恋しがって撫でてくれと必死にせがみ続ける愛情に飢えた猫だった。 その1〜2年後、以前、絶対に人に可愛がられていたであろう人懐こい野良猫を、職場からうちに招いた。職場で子を産み、子をそれぞれで引き取ったが、子を取られたにゃおはとても悲しがって見ていられなかったから。にゃおは感情表現が豊かで、私が帰ってくると、玄関の土間でばったんばったんと身体をくねらしぐうぐう言いながら喜びを全身で表現した。私が他の猫を撫でていると不機嫌な顔をしながらパンチで追い払い、私を独り占めしようとする嫉妬深さも人一倍だった。 歳を取ったこの2人は毎日寄り添って寝

経歴28歳。国立経営学部を卒業し新卒で食品メーカーに就職。 およそ一年前に大腸がんに罹患した疑惑が出るも、上下の内視鏡、超音波、内視鏡超音波、血液検査などあらゆる検査の結果問題なく、一年間のほほんと楽しく生活してきた。 舌癌に気がついたきっかけ3日前、友人と飲食店で唐揚げを食べた。 唐揚げを食べている時に「痛!」と痛みを感じていた。 唐揚げを強く噛み締めた時に舌の側面を強く噛んだので、その痛みだろうと思った。 実際にその時、口の中で血の味がしたのを覚えている。 一昨日と昨日もチクチクした痛みと違和感があったが放置。 そして運命の今朝。 朝起きると口の中に強い違和感と痛み。 水を飲んでも痛い。口を動かしても痛い。飲み込みでも痛い。とにかく痛い。 恐る恐る痛い場所を見ると、下の側面に小豆のようなドス黒い腫れができており、その真横には小さい白い点ができていた。 少し触ってみた。ドス黒い大きな腫れ

https://anond.hatelabo.jp/20240212162252 #国は安楽死を認めてください とXで発信している人たちがいる。 彼らの望みは一目瞭然だ。楽に死にたいだけだ。現状から逃れるために。 苦しんでいる人のため、とか言う人もいるが、結局その制度を誰のために望むかといえば、自分のためだろう。 ならそんな彼らに必要なのは安楽死制度ではなく、自分で実行可能な苦痛のない死に方なのではないだろうか。 彼らは怖いのだ。自死に伴う耐え難い痛みが。万が一失敗したときの後遺症が。 そんな彼らに楽な死に方を教えてあげることができれば、#国は安楽死を認めてください なんてふざけた事を言うのもやめるのではないだろうか?

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