今日のイギリス南部は、昼までは晴れていたのですが、午後から段々と天候が悪くなってきて、夜になって雨でした。しかも風があって凍えるほど寒い。 さて、同じコースの後輩に今日聞いた話をひとつ。 この後輩は若いドイツ人で、彼の専門は「傭兵の倫理」という渋いもの。 彼は私がコースを修了する半年くらいから始めて、今年の九月に論文を提出するとのこと。その内容を学校の中にあるパブでラガー(フォスターズ)を飲みながら披露してくれました。 時間がないので、例のごとく箇条書きで。 ●「傭兵」(マーセナリーズ) は、一般的には古代からあると言われているが、実は現代の民間軍事会社(PMC)と昔のそれは全然違う。 ●昔は、現在のような「傭兵」という概念はなかった。 ●「傭兵」の歴史に関する現在の学術界の研究は、しっかとした歴史研究をしていない。とくに中世のラテン語の文献まで調べて書いているものは皆無。 ●現代の「傭兵

うちからチャリで10分くらいのところに玉川上水がある。ここにかつて東京で一番と評された、お花見スポットがあった。それが「名勝・小金井桜」である。今回は、この小金井桜の昔の花見を知る人のインタビューである。 その前にちょっと小金井桜を説明。 小金井桜とは江戸時代に玉川上水の堤に植えられたおよそ2、000本のヤマザクラのこと。当時は歌川広重に浮世絵で描かれるなど多くの文人・歌人に愛された。明治16年には天皇も見に来たほどの見事な桜であり、大正13年には国の名勝にも指定された。昭和初期の観光ブームの時には、西武新宿線の数少ない観光スポットとして臨時駅まで誕生した。それが現在の私の最寄り駅である「花小金井駅」である。 そんな大人気だった小金井桜だが、今は排気ガスと桜の高齢化によって、すっかり廃れてしまい見る影もない。 さて、前置きはこれぐらい。これからは先日、玉川上水沿いの釣り堀で会った8
旧地名の調べ方!地名に隠された由来旧地名の調べ方をご存知でしょうか。旧地名の字(あざ)には、災害を回避するための情報が含まれています。そのあらましとともに、昔の地名や不吉な地名の由来を調べるためにはどうすればよいのかを知っておきましょう。 旧地名の調べ方!地名に隠された由来 市兵衛町、今井町、榎坂町、材木町、箪笥町、仲ノ町、日ケ窪町、三河台町、宮村町、竜土町と聞いて、みなさんはどこをイメージしますか? これに鳥居坂町、霞町、飯倉片町を加えれば、連想のはたらく人も多いでしょう。さらに、六本木町を加えれば間違いないですね。これらはどれも現在の東京都港区六本木一丁目から七丁目にあった旧地名(当時は麻布区)です。 昔の地名を調べてみると、明治維新以降にさまざまな変遷を辿っていることがわかります。東京では、明治2年の「番組制」、明治4年の「大区小区制」、明治6年の大区小区の改編とめまぐるしい改正を経
![旧地名の調べ方!地名に隠された由来 [土地購入] All About](/image.pl?url=https%3a%2f%2fcdn-ak-scissors.b.st-hatena.com%2fimage%2fsquare%2f4fbdb1b280e280cdf827100c4976ef1be69c986a%2fheight%3d288%3bversion%3d1%3bwidth%3d512%2fhttps%253A%252F%252Fimgcp.aacdn.jp%252Fimg-a%252F1200%252F900%252Faa%252Fgm%252Farticle%252F2%252F5%252F9%252F6%252F3%252Ftopimg_original.jpg&f=jpg&w=240)
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日本における代表的な漢方医学の学会と目されている「日本東洋医学会」のHPには「漢方医学の定義」が記述されていない。東京医科大学のHPでは「日本の伝統医学です」とした後「漢方医学の源流は中国から6世紀に伝来しましたが、室町時代頃から日本独自の進化をするようになりました。時代が下って、江戸時代に日本に入ってきた西洋医学(蘭方)に対して、もともと日本で行われていた医学を漢方と呼ぶようになりました」との記載があるが、これは後述するように史実として誤りを含む。日本漢方生薬製剤協会のHPには「日本の医学は、奈良時代以来中国伝統医学が主流でした。しかし、江戸時代中期以降に西洋医学が伝えられると、これを「蘭方」と呼び、 従来からの日本化された中国医学を「漢方」と呼んでそれぞれを区別するようになりました」という記載がある。これが、現在のところ概ねほぼ全ての関係者が一致出来る「漢方医学とは何か」の記述と言える
ザナドゥ計画 (Project Xanadu) は、世界最初のハイパーテキスト開発プロジェクトである。1960年、テッド・ネルソンにより創始された。開発は長期に及び、1998年にProject Udanaxとしてソースコードを公開。2014年に開発開始から54年間を経てOpenXanaduが公開された。その間に、ザナドゥ計画に影響を受けて1989年に開発が開始されたWorld Wide Webが全世界に普及し、当初狙っていたポジションは奪われてしまったため、現在はPDFの置き換えを狙って開発中である。50年以上という開発期間の長さは、ソフトウェアとしては異例中の異例である。 ヴァネヴァー・ブッシュが1945年に発表したMemexという構想に影響を受け、1960年に開始された、世界最初のハイパーテキスト開発プロジェクトである。Web上の公式サイトでは、紙媒体との発想の違いを強調している。曰く
史上最高の司書は誰か? この問いは「歴史上実在した」という意味を含んでいる。 自分の図書館にある本をすべて読んでいる司書は、今ではフィクションの中にしか存在しない※。 ※ フィクションには、『鋼の錬金術師』のシェスカ、『神のみぞ知るセカイ』の汐宮栞、『少女海賊ユーリ』のボルド、『武蔵伝II ブレイドマスター』のリコッタ、『冬のロンド』のダイアナ・ルミアウラ、京都大学附属図書館マスコットキャラクターのクラちゃん、インちゃん……と、このリストはいくらでも続けることができるだろう。図書館はもはや個人の手に負えないものになってしまった。 あるいはこうも言える。 人類はすでに/とうの昔に、個人が読むことができる以上の書物を生み出すようになってしまった。 しかし書物の数が爆発的に増えたのは、人類の歴史の中で見れば、それほど古いことではない。 現在、世界最大の蔵書を誇るアメリカ合衆国の議会図書館も、1

2006年11月18日22:51 信長と“おね” カテゴリ信長逸話集 mixiチェック さて、今回お送りする『信長好感度アップ大作戦』第三弾は有名な“あの”手紙です。 時は天正年間のはなしと思われ、浅井氏滅亡後、秀吉が長浜城主を勤めていた頃のことのようです。 おね(ねね)が多くの土産を携え安土の信長のもとへ久しぶりに挨拶に行き夫・秀吉の愚痴を信長に漏らしたようです。話を聞いた信長は後日、土産への礼状としておねへ宛て手紙を送ります。ちなみにこの手紙は現存しています。 どうやらこの頃秀吉は、多くの側室を持つようになっていたようです。おねはそれが不満で信長に愚痴をこぼしたようです。 信長は手紙の中で次のようなことを書いています。(要約) そなたは以前よりはるかにきれいになった。そんな女房をもちながら不満を持つとはけしからんやつじゃ!あの“禿げネズミ”(秀吉のこと)がそなたのような女房と二度と出会
名称: 関東地区 : 明治前期の低湿地データ(国土地理院技術資料D1-No.633) 近畿地区 : 明治前期の低湿地データ(国土地理院技術資料D1-No.633) 中部地区 : 明治期の低湿地データ(国土地理院技術資料D1-No.748) 静岡地区 : 明治期の低湿地データ(国土地理院技術資料D1-No.1016) 全国の主要都市周辺 : 明治期の低湿地データ(国土地理院技術資料D1-No.1034) 神戸市等38地区 : 明治期の低湿地データ(国土地理院技術資料D1-No.1092) 原典資料: 関東地区 : 第一軍管地方2万分1迅速測図原図(明治13年~19年) 近畿地区 : 2万分1仮製図(明治17年~23年) 中部地区 : 2万分1正式図(明治23年~43年)、5万分1地形図(明治22年~44年) 静岡地区 : 2万分1正式図(明治20年~22年) 全国の主要都市周辺 : 2万分1
嘉永六年(一八五三)六月、ペリー率いる米艦隊が浦賀沖に出現。役人たちは周章狼狽する。やがて京の都はテロに震えだし、坂本龍馬も非業の死を遂げる。将軍慶喜は朝敵となり、江戸城は開城、戊辰戦争が起こる。新政府が樹立され、下野した西郷隆盛は西南戦争で城山の地に没す―。波乱に満ち溢れた二十五年間と歴史を動かした様々な男たちを、著者独自の切り口で、語り尽くす。 シンプルなタイトルと表紙デザインが醸し出すとおり、この本は小説でもなく、ドキュメンタリーというわけでもなく、いわゆる歴史解説書のようなものです。小説好きな私は滅多にこの手の硬派な本には手を出さないのですが、とある理由があってこの本には興味をかき立てられ、読んでみる気になりました。 なぜ興味を持ったかと言えば、この本は「反薩長史観となることは請合いであります」と帯に書かれていたからです。このひと言に「我が意を得たり!」と飛びついてしまいました。つ

2013年02月15日00:51 戦前は学校でも軍隊でも体罰が絶対禁止だった 拙著『戦前の少年犯罪』の参考文献にも使った江森一郎『体罰の社会史』なんかを基に、欧米のように殴ったりせず子どもをのびのび育てる日本の江戸時代からの伝統をまとめた「日本の体罰の前史」というページがあるんですが、途中で戦前には体罰がなかったとかあったとかいう妙な話になっています。 我が国の歴史の基本的な処がこうも混乱したままで、正しい日本像が日本人に共有されていない状態では困りますので、整理しておきます。 戦前にも体罰はありましたが、戦前は体罰が絶対悪で、明確に「犯罪」として処理されていたのです。 なんか、戦中は違うと読み取る方が多いみたいなので、念のため書き加えておきますが、戦時中も体罰が絶対悪で、明確に「犯罪」として処理されていたのです。 変わったのは戦後になってからです。 戦前の新聞を読んでいる方なら、教師が生

考古学のニュースなどで遺物が何千年前のものといった年代推定が出されることがある。この推定によく使われているのが、放射性炭素年代測定である。遺物に含まれている放射性炭素の比率を計測することで、その年代が推定できる。ところが、『10万年の未来地球史 気候、地形、生命はどうなるか?』(参照)という本を読んだら、これが今後は怪しくなりそうなことが書いてあった。 現代という時代の物が将来遺物として発見されたとき、放射性炭素年代測定で測定できなくなるかもしれないというのだ。 ほんとかなあという印象も持つし、該当の説明である「5章未来の化石」を読むとちょっと誇張しているきらいもあるようにも思うが、この本の著者はそのスジの専門家でもあり、あながちめちゃくな話というのでもないだろう。 その結果、私たちの未来はどうなるかというと、これが面白い。 私たちが生きている間に生み出された文明の遺産を追跡する未来の科学
予定外の仕事が入ってなんだかすごく忙しくなってしまい、ブログの更新ができないので、『残酷な世界』のために書いて、けっきょく使わなかった原稿をアップすることにします。 ********************************************************************* 1943年4月16日、スイス、バーゼルの製薬研究所で新薬の研究をしていたアルバート・ホフマン博士は奇妙な経験をした。麦角菌(小麦やライ麦に寄生する菌類の一種で、麦角アルカロイドと呼ばれる毒性を有する)の派生物から合成した薬物を偶然、指先からほんのすこし吸収してしまったのだ。 その体験を、博士は日記にこう書いた。 「目をとじて横になっていると、幻想的なイメージがつぎからつぎへとくるくる変わりながら浮かんでは消え、浮かんでは消えていった。どのイメージも実にありありと立体感にあふれ、カレイドスコ

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