前回に引き続き、ドラクエMSLの炎上事件について詳しくみていきたい。 前回は、AppleとGoogleが抱えているリスクについて書いたが、ソーシャルゲーム業界が抱える問題と、ドラクエMSLの開発・運営サイドの問題を中心にまとめていく。 ■ドラクエMSLのガチャ確率はどこまで「渋かった」か?本題に入る前に、ドラクエMSLの案件が、そもそも、極めて悪質とされるほどのものだったのかどうか。ゲーム界隈の一人である筆者の見解としては「うーん、微妙」ぐらいの感じである。 まず、ソーシャルゲーム業界の現状の業界団体内のガイドラインに照らして言えば、ガチャ(ふくびき)の確率は「理想的な運用とも言えないが、悪質な運用とまでは言えない。」水準である。現状、ソーシャルゲームの業界団体として出されているガイドラインはJOGAとJASGAによるものがあるが、ドラクエMSLの運用はJASGAの基準は満たしていないが、
先週、『ドラゴンクエストモンスターズ スーパーライト』(以下、ドラクエMSL)への批判が燃えに燃え盛った。批判がなされたのみではなく、金銭的にも一部ユーザーへの返金措置が行われた模様で、ソーシャルゲーム界隈に戦慄が走る事態となった。 今回の炎上の批判の矛先となった同ゲームの運営元であるスクウェア・エニックス側から、ユーザー全員に対する非常に丁寧なお詫びがなされた結果、2014年2月9日現在ではほぼ事態は沈下に向かっている。 確かにスクウェア・エニックス側に問題はあったのだが、今回の炎上の要因はスクウェア・エニックス単体の問題であるよりは複合要因であるというように業界関係者の間では見られている。ざっと挙げると(1)スクウェア・エニックス側の手落ち (2)ソーシャルゲーム業界全体の構造的問題 (3)2ちゃんまとめブログ等ネットメディアの構造的問題 (4)Apple・Googleの返金対応措置の
ガチャは悪魔の発明だ。 そう考える人がいるらしい。ガチャは一種のチートツールで、ゲームを面白味のないものに変えてしまう。ガチャの氾濫する今のゲーム業界はあまりにも不健全だ──。ソシャゲの黎明期にはよく耳にした意見だ。 最近では優れたゲームが増えて(もしくはユーザーが飼い慣らされて)ガチャは肯定的な文脈で語られるようになった。伊東ライフ先生のようなガチャ芸人まで現れて[1] 、すっかり市民権を得た。(※先生は人気イラストレーターです) しかし今でも「ガチャ悪者論」を捨てられない人がいるようだ[2]。ガチャが存在するせいで、ゲームから得られたはずの爽快感や達成感は損なわれ、ただストレスだけが残るという。本当だろうか? 結論から言えば、現在のF2Pゲーム(※free to play、基本無料のゲーム)は、ある点でコンシューマーゲームと決定的に異なる。それは「ユーザーが作品の値段を決める」というこ

どうしてソーシャルゲームを批判しなければならないのだろうか。僕が子供の頃、「ゲーム」は親にもまわりの大人にもいい顔をされないものだった。一見眉をしかめたくなるものであっても、目の前に現れた新しい「遊び」を安易に非難するべきではない。それは何より、小さな頃ゲームを手にしていた僕たち自身が一番わかっているはずだ。僕が大切にしていたゲームソフトの数々は、一部の「子供じみた」大人と、僕たち子供のためのものだった。 今は状況が違う。今の子供を持つ大人たちは、もう子供だった頃にゲームが身近だった世代だ。今や「ゲーム」は一大産業であり、日本が世界に誇れる文化の一つとしても認められている。ゲームはもう子供だけのものとは言えないし、僕自身ももう子供ではなくなってしまった。 そして、僕は今ここで、「ゲーム」を批判しようとしている。新しく出てきた「ソーシャルゲーム」は家庭用ゲームを越えて、すでに国内のゲーム産業

「ゲームとは何か?」という問いかけが途方もないほど、「ゲーム」という言葉はあまりに様々に使われているが、今回は思い切って不遜な疑問を投げかけてみたい。 日本で「ゲーム」とされている作品の多くは本当にゲームなのか? それはむしろ、ゲームの形式を借りた何かなのではないか? というよりも、日本のゲームが世界的に流行したある時点で、「ゲーム」と呼ばれるものの定義が大きく変わったのではないだろうか? 日本のコンピューターゲームは、伝統的に「ゲーム」と呼ばれてきた双六や囲碁やチェスやボードゲームの系譜に位置づけられるものではなく、別の発想から来たものではないのか。 あらかじめ自分の主張を述べておくと、僕はこの記事で、日本で「ゲーム」と呼ばれているのは伝統的なゲームとは違った種類のものだということを示そうとしている。 僕達が遊んでいる日本の「コンピューターゲーム」は、視聴作品の延長にある、欲望を満たすた

日本最大のゲーム開発者向けカンファレンス「CEDEC2011」でDropwaveの本城氏によって「ネットワークゲーム時代に求められる、ゲームプランナーの基礎知識」と題した講演が行われました。 「まずは自ら課金して廃人になるまでやりこむべし!」ということで、顧客生涯価値(LTV)の最大化を目的としたオンラインゲームの設計、開発および運用法について、本城氏自身の制作経験を踏まえて、講演というレベルを超えて微に入り細に入り赤裸々に経営哲学や制作理念が語られました。本城:本公演の趣旨を説明させていただきます。コンシューマゲームの開発者の視点から、オンラインゲームの開発、運営について話したいと思っております。本公演の対象者ですが、何年も家庭用ゲームソフトを作ってきてゲーム作りには自信があるのに、会社の命令で無料ゲームを作れといきなり言われて非常に困っていて、いやいやながら作らなくてはならない方

レベルデザインとはゲーム開発における作業の1つで、ゲーム中に登場するエリアの空間を設計したり、障害物やアイテムを配置したりして、プレイヤーが楽しめるステージを作成することです。ゲーム開発に携わっていない人にとっては取っつきにくそうなレベルデザインですが、レベルデザイナーのBobbyRossさんがFPSやTPSなどのシューティングゲームにおけるレベルデザインの基礎を公式ブログで公開しており、わかりやすい内容になっています。 The VisualGuide for Multiplayer Level Design — Level Art+Design Portfolio http://bobbyross.com/blog/2014/6/29/the-visual-guide-for-multiplayer-level-design ◆01:デザインに考慮すべき要素 プレイヤーの行動はレベル

上の記事はあまりメッセージを明確化できなかったのだけど、文章にまとめてみると色々発見があるものでそのメモ。 達成が主眼なゲームと回復が主眼なゲームでは作り方に違いがあると思った。 達成が主眼なゲームでは、何か明確な目標があったり、打ち負かすべき敵がいたりする。このとき達成したなら報酬が欲しいので喪失はない。むしろ喪失があったら困る。頑張って魔王と戦ったのに姫が死んでたとか勘弁して欲しい。 一方回復が主眼なゲームでは、そもそもマイナスからのスタートでそれを励ましたり、日常を過ごしたり、しながら回復させる。ゲームっていうのはこの2パターンあって喪失と相性が良いのは後者。 逆にTRPGってフォーマット的に達成型になっていて回復型の話にするのがゲームとして難しいのではないだろうか。基本的にはサイコロを振って成功判定して、その成功判定を積み上げていくゲームはどうしても達成型なのでは。 心の回復をど
「俺の屍を越えてゆけ」12年越しのリメイクに桝田省治氏は何を思うのか。俺屍から「まおゆう」の話題まで,多岐にわたったロングインタビューを掲載 副編集長:TAITAI カメラマン:JUMPEITAINAKA 123→ 1999年にソニー・コンピュータエンタテインメントから発売されたPlayStation用ソフト「俺の屍を越えてゆけ」(以下,俺屍)は,世代交代という要素に主眼の置かれた,一風変わったRPGだ。その個性的なゲームシステムや世界観により,熱いファン達を生み出したタイトルである。 2011年3月には,そんな俺屍のリメイク版が開発中であることが発表され,2011年秋の発売に向けて,少しずつ情報が明らかになってきている。 「俺の屍を越えてゆけ」公式サイト 4Gamerでは,そんな俺屍のゲームデザイナーとして知られる桝田省治氏にインタビューを行い,ゲームのこと,ファンのこと,桝田氏自身こと

3月2日の15時より、ソーシャルゲーム界の雄、ZyngaのプロデューサーChris Trottier氏が女性の視点からライトな女性ユーザーが好むデザイン、嫌いなデザインについての分析をする講演「Designing Games for the "43-Year-Old Woman" (43歳の女性向けのゲームデザインとは)」が行なわれました。 まず、なぜこの講演のタイトルが「43歳の女性向け」なのかというと、フラッシュゲームで有名なPopCapが今年の1月に発表した調査結果によると、ソーシャルゲームのプレイヤーの中心層は男性でも学生でもなく、平均43歳の女性だ、という発表がなされ、業界的に大きなニュースになったからです。 彼女自身は現在42歳、既婚で子供もおり、ゲームデザイナーですがゲーマーではありません。友達を家に招待して食事を振舞うことは好きですが、一緒にWiiでは遊びません。しかし
アナログ・ゲーム・スタディーズ(略称:AGS)のサイトです。 “学びが、ゲームをより楽しくする。ゲームが、人生をもっと豊かにする。”を合い言葉に、ゲームとそれ以外の社会的要素を繋ぐべく、現場のクリエイターや研究家・学術者・ファンたちが情報発信と実践をしていくプロジェクトです。 伝統ゲームを現代にプレイする意義(第3回) 草場純 ――――――――――――――――――――――――――――― ◆第2回はこちらで読めます◆ ――――――――――――――――――――――――――――― 「瀕死の伝統ゲーム」という表現は穏やかでないが、誰もプレイすることのないゲームは、信仰することのない宗教や、誰も演奏することのない音楽のように、滅亡したと言ってよいだろう。ならば、「殆ど忘れ去られた」ゲームは「瀕死」と言ってよいかも知れない。音楽は楽譜があれば再現できるが、古代や中世の音楽は残された楽譜が少なく、記述
アナログ・ゲーム・スタディーズ(略称:AGS)のサイトです。 “学びが、ゲームをより楽しくする。ゲームが、人生をもっと豊かにする。”を合い言葉に、ゲームとそれ以外の社会的要素を繋ぐべく、現場のクリエイターや研究家・学術者・ファンたちが情報発信と実践をしていくプロジェクトです。 伝統ゲームを現代にプレイする意義(第4回) 草場純 ――――――――――――――――――――――――――――― ◆第3回はこちらで読めます◆ ――――――――――――――――――――――――――――― 前回のククに続いて、もう少し「瀕死」の伝統ゲームについて見ていこう。 ククについては、その復興・伝播についての重要な問題点がある。これについては私も当事者の一人なので、余人にはできない立ち入った考察もできるし、それをここに述べることは、記録という意味からもそれなりに重要であり、恐らく興味を持たれる方もおられよう。だがそ
【鈴木謙介】「ダンジョンはいかにして〈ゲーム〉になるか」 ライター:鈴木謙介 鈴木謙介 / 社会学者 鈴木謙介の「そこ見るんですか?」ブログ:http://blog.szk.cc/ゲームの定番フィールド「ダンジョン」 僕らがまだ子供だったころ,「ダンジョンに入る」というのは,たとえゲームの世界であってもそれなりに覚悟が必要な行為でした。クリアまでセーブができない,しかしどのくらいの時間がかかるのか分からない。あまり時間がかかると,親に怒られるかもしれない……。 ダンジョンを攻略するためには,様々なリアルの条件を意識しなければなりませんでした。 そもそも,「ダンジョン」はビデオゲーム以前から,「ダンジョンズ&ドラゴンズ」などのテーブルトークRPGをはじめとして,ファンタジー世界の定番フィールドでした。 幻の秘宝が眠るダンジョン,悪の魔王が棲むダンジョン,生きて帰った者のいないダンジョンなど
戦後初原稿「政治嫌ひ」が「新夕刊」創刊号を飾る(上) 平山周吉(ひらやま・しゅうきち) 中公文庫編集部 「僕は無智だから反省なぞしない」と語った小林秀雄の戦後の始まりとは。 敗戦・占領の混乱の中で、小林は何を思考し、いかに動き始めたのか。 編集… 日本政治学の歴史をいかに描くのか 河野有理×前田亮介×酒井大輔 中公新書編集部 2025年3月9日、『日本政治学史』(中公新書)刊行記念として、ゲストに河野有理氏、前田亮介氏をお招きし、著者の酒井大輔氏とのトークイベント… 「新夕刊」創刊と、謎の社長「高源重吉」との関係(下) 平山周吉(ひらやま・しゅうきち) 中公文庫編集部 「僕は無智だから反省なぞしない」と語った小林秀雄の戦後の始まりとは。 敗戦・占領の混乱の中で、小林は何を思考し、いかに動き始めたのか。 編集…

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